第3話 予想だにしなかった障壁

「ところでさ、入れ替わるためには一つ条件があるの。それと元に戻るのも」

「どんな?」

「まず入れ替わる条件は、当事者が入れ替わりの意思を持っている事」


「なんだ、そしたらやっぱエリリンは無理じゃん」

「だから~もうその話は無し!」

「元に戻る条件は?」


「入れ替わりの目的を達成するか、又は達成可能性がなくなるかのどっちか。本人達の意思では戻れないから注意して」

「目的?」


「あんた達の場合は、無事子供が生まれる事ね。仮に死産でも達成可能性がなくなるから、やっぱり元に戻る」

「縁起でもない事言うなよ」


「だからさ、あんたがまず真っ先にすべき事は、早紀と仲直りして彼女を説得する事だね」

「う~ん。機嫌直してくれるといいんだけどなあ。あれでけっこう強情な所があるから。前に怒って実家に帰られた事もあるんだ。まだ結婚する前だけど」


「まあ、せいぜいがんばんなよ」

「ちぇっ。冷たいなあ。あと心配なのが、早紀が君の事を信じるかって事」

「ああ、それなら心配いらない。あたいがなんとかする」


「どうするの?」

「あんたに信じてもらった時と同じ事する。早紀しか知らない事を彼女に言えば信じてくれるでしょ」

「それ知りたい。内緒で教えてくんない?」


「ダーメ。守秘義務があるから。懲役1兆年の刑に科されちゃうよ!」

「うそつけ!」


「それよりもさ、あんた早紀の機嫌が直りさえすれば彼女を説得出来るつもりかもしれないけど、たぶん説得するのは難しいと思うよ」

「それなら大丈夫じゃないかな。昨日『タツノオトシゴみたいに君と入れ替わってあげたい』って言ったら喜んでたし」


「そんなの冗談半分の話でしょ。あんたの心遣いが嬉しかっただけだよ。あと今はつわりが酷いから苦し紛れってのもあるかも」

「まあそうだろうけどさ」

「あんた母性本能を甘く見過ぎてるよ」


「そうかな?」

「もうすぐ安定期に入ってつわりも収まる。胎動も始まる。そうしたら早紀の中に抑えられない母性本能が目覚める」


 安定期とは、妊娠初期の不安定な体調やつわりの症状が落ち着いて、流産する可能性がぐっと下がる時期の事。具体的には、妊娠4〜5か月以降である。

「そうだろうね」


「母性本能は、あんたの性欲なんかよりずっと強い人間の根源的な本能なんだ。だから女はね、我が子のためなら平気で命だって捨ててしまうの」

「!」


「いくらPSASイクイク病で命の危険があっても、早紀は自分で産みたいんじゃないかなあ」

「う~ん。そう考えると入れ替わりをやめた方が早紀のためって事になるよね」

「あたいに聞くなよ。あとはあんた次第だね。健闘を祈る!」


 イブはまた突然姿を消した。



 その後、翔は家に戻った。

「おかえり翔。さっきはごめんね。大人げなかった。翔が浮気みたいな事するはずないよね」

(良かった。機嫌は直ったみたいだ)


「もちろんだよ。それで早紀、大事な話があるんだ。良く聞いて欲しい」

 翔は、説得するなら今しかないと思った。

 というのも、イブの言うとおり、安定期に入って母性本能が目覚めてからは説得するのは難しいと思ったからだ。


「帰りが遅かったのはなぜなのか言うよ。信じられないかもしれないけど、実は神様に出会ったんだ」

「まさか!」


 すると、早紀の目の前にイブが現れた。

「はーい! あたいが神様でーす!」

「あらかわいい。翔、私にプレゼント買ってくれたの?」


 たしかに最近はネコ型のマスコット人形で、言葉を話したり、本物の生きものみたいに動くおもちゃもある。早紀は勘違いしたようだ。

「早紀、おもちゃじゃないんだ。この娘が神様なんだよ」

「嘘でしょ。そんなの信じられない」


 すると、イブは早紀の耳元に行き、なにやらゴニョゴニョと話している。残念ながら翔にはその話の内容は聞こえなかった。


 そして……

 早紀は顔を真っ赤に染めて、叫んだ。

「なぜそんな事知ってんの!?」

「あたいが神様だから」


 早紀は翔に言った。

「翔、あなたの言う通りこの娘が神様なのね。今の話でもう信じるしかなくなった」


「ねぇ早紀、いったい何を話したの?」

「イヤッ! 絶対翔には知られたくない! 私以外誰も知らない事だから」

 早紀は両手で顔を覆ってヘタヘタと座りこんでしまった。


「たとえ夫婦でも知らない方がいい事はあるからね。もうそれくらいにしたら。それよりも早く本題に入りなよ」と、イブは翔にささやいた。

 翔は早紀とイブの話に興味津々ではあったが、今はそれどころではなかった。


「早紀、これでイブが神様だって信じたよね。それで、イブは男と女の身体を入れ替える事が出来るんだよ」

「そんなすごい事が出来るの?」


 イブは早紀に言った。

「そう。翔に頼まれたんだ。早紀、これから出産までの間、あんたと翔の身体を入れ替えてあげる」

「ちょっと待って」と、早紀は言った。


「翔、あなたの気持ちは嬉しいよ。だけど、私はたとえ命にかかわるような事があったとしても、自分で産みたいの。お願い、産ませて」

 早紀は、声を震わせながら言った。


「早紀、聞いてくれ。以前鷺沼医師が言っていたように、このまま君が十分な栄養状態を維持出来なければ、妊娠を続ける事だって出来なくなるって」

「でも産みたい。無理してでも食事はするから」


「君の病気、PSASの症状で身体が敏感になってるでしょ。だから陣痛の痛みが通常よりも増すかもしれない」

「それでも産みたい」


「それだけじゃない。陣痛の合間にPSASの症状が出たら、次の陣痛に耐えるために身体を休める事が出来ないだろ。そんな事になったら……身体が持つのか? 今の早紀の身体じゃ無理でしょ。本当に命の危険が生じるよ」

「分かってる。でもね翔、私どうしても赤ちゃんを産みたいの」


 それでも早紀は、決して翔から目をそらさなかった。毅然としたその瞳は、たとえ何があっても自分で産むのだという固い決意を表していた。


「……産んじゃだめだ。僕と入れ替わろう。僕が2人の赤ちゃんを産んであげる。イブの力で本当にタツノオトシゴみたいにさ、君に変わって子供を産めるようになれるんだ」

「私は自分でこの子を産みたいの」

「早紀……」


 翔も負けずに早紀の瞳をしっかり見つめながら言った。

「君のためなんだ」

「いやっ! 産みたい」

「早紀!」


「PSASの私が出産するのは無謀だって事、私が思ってる以上に大変な事だってのは分かってる。簡単に決められる事じゃない。そんな事は分かってるんだよ。でも、それでもやっぱり……産みたいの」そう言うと、早紀は大声で泣きだしてしまった。


 翔の想像以上に早紀の母性本能は早く目覚めていた。しかもとても強いものであった。


「早紀……君の覚悟はそこまでだったのか」

 翔は、やはり入れ替わりをやめる事が早紀のためになると考えざるを得なかった。


 イブは、翔と早紀に言った。

「あたいからは何も言う事はない。とにかく早紀が嫌だと言っている以上、翔と早紀の身体を入れ替える訳にはいかない」


◇◇◇◇◇◇



 読んでいただきありがとうございました。


 次の第4話は、ついに翔と早紀の身体が入れ替わります。いったいどうなるのでしょうか? お楽しみに!

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