第2話 神がサイコロを振る時

(ひどいよ早紀。君のためを思ってあんな魅力的な提案を断ろうと思ってたのに)


 翔は、とぼとぼと夜道を歩きながら、イブの提案を受けようかと考え始めていた。

(世界レベルの性感の持ち主かあ。そりゃすごいなあ。それにエリリン美人なだけじゃなくてナイスボディだしな……お金の心配もなさそうだし絶対入れ替わりたい)


 そんな妄想が、早紀を想う気持ちをかなり上回ってきた。でも……


 翔の心に引っ掛かる言葉に出来ない違和感。これは一体何なのだろう。


 イブと話していた時には、明らかに早紀への愛情からの躊躇だった。でも今や早紀への愛情はかなり薄れ始めてきている。それでも、違和感は減るどころか、むしろ大きくなっていた。


 少なくとも、イブが神様である事はもう疑う余地はなかった。なにせ翔の心の奥底にある事まで知っているのだ。でも何かがおかしい。


(まず、当り前だけど自分の利益だけを考えちゃダメだよな。確かに女優の美貌と地位と性感が手に入ったら素晴らしいけど、これって得するのは僕だけだ。それに早紀への愛情だけ考えるのも偏り過ぎなんだよな。ここはゼロベースで冷静にもう一度良く考えた方が良さそうだ)


 翔は早紀とケンカした事で、クールにイブの提案を考える事になったのだ。


 そして……



「早紀とケンカしたみたいだね。だから言わんこっちゃない」

 翔の前に、再び現れたイブ。やはり不敵な笑みを浮かべて翔を見つめている。


「悪かったな。でもおかげで君の提案を冷静に考える事が出来たよ」

「ふ~ん。やっぱりあたいの提案を受けるってか」

「いや、受けない」


「何だって?」

「せっかくの提案だけど、僕にとってはもっと素晴らしいのが、やはり妻の早紀と入れ替わる事だって分かった」


「やっぱあんたおかしいよ。早紀なんてさっきみたいにちょっとした事でヒステリーを起こすような女だよ。そのうち愛情もなくなるんじゃないの」

「そうかもしれない。でもそんな事はどうでもいい」

「分からないな。どういう事なのか説明してよ」


「今僕は早紀をちょっとだけウザいと思い始めてるから、最初に君と話した時ほど目は曇っていないつもりだ」

「そしたらエリと入れ替わればいいじゃん」

「エリリンと入れ替わる事がもたらす、早紀が困る事とは別の問題が見えて来たんだ」


「聞かせてくれる?」

「まず、エリリンはたまったもんじゃないだろう。僕なんていう一般庶民になるなんてさ」

「あんたらしくない。もっとわがままになったらどう? もう一度言うよ。エリの性感は世界レベル。味わってみたいんじゃないの?」


「それはたしかに魅力的だ。でもさ、早紀をほっとけないのと同じで、好きなエリリンのためにならない事はしたくないよ」

「あんたがそんなに他人の事を考える人だとはね。エロのためなら何でもする人かと思ってたのに」


「あのねえ……いったい人をどんな目で見てるんだよ」

「じゃあさ、エリがOKすればいいって事だよね」

「いや……それでも答えは変わらないよ」


「何でよ?」

「僕には演技の才能も経験もない。だから、『大女優古橋エリ』がいなくなる事になる。これは僕にとっても、彼女のファンにとっても、いやそれだけじゃない。日本の芸能界にとっての大損害だ」


「ふうん。ずいぶんスケールの大きな事考えてるねぇ。でもさ、エリと入れ替われたらこの先お金の心配がいらなくなるんだよ。なんだかんだ言ってもきびしい世の中、先立つ物は大事だよ」


「そのとおりだね。でもさ、エリリンのお金を棚ぼたで手に入れたら、僕はきっと堕落すると思う。そして人間、一度転落を始めたら早い。君が言ってたマリットくらいの大富豪だって、あっという間に破産するなんていう例はいくらでもあるだろう」


「……」

「それ以前にさ、やっぱり自分で稼いだお金じゃないと嬉しくないし、気持ち良く使う事も出来ないと思う」

「あんたそんなしっかり者だったんだね」


「とまあ、色々考えたからなんだけど、一番決定的なのは君の事なんだ」

「……あたいの事?……何それ。なら素直にあたいの言う事聞いて欲しいんだけど」

 イブは自分の顔を指さしながら、不思議そうな表情に変わった。


「それが本心ならね」

「エリと入れ替えてあげるという提案は本心じゃないって言うの?」

「そう」


 イブの顔からは既に笑みは消えていた。

「ここまで僕が言ったとおり、君の提案はどう考えても不合理なんだ。僕以外に誰も得する人がいない。いや、長い目で見れば僕にとっても決して得とは言えないかもしれない。神様が本気でそんな提案をするとは思えないんだ」


 イブは目をつぶって黙り込んでしまった。

「もしかして君は、僕を試したんじゃないのか?」


 すると、イブは目を開いて再び翔をじっと見つめて言った。

「良く分かったね。お察しのとおり、あんたの事を試させてもらった」

「やっぱりそうか」


「あんたに悟られないように、一番の弱点のエロで攻めたけどだめだったか。まだまだ神として修業が足りないかな。あたいの負けだ。あんたの頼み、聞いてあげるよ。早紀とあんたの身体、入れ替えてあげる」

「ありがとうイブ。頼むよ」


「あたいが試したのは、あんたが考えている事が、あんたの想像以上に過酷だから。もしあんなチンケな手にひっかかる程度の覚悟なら、手を引こうと思ってた」

「そうか。やっぱり乗らなくて良かった」


「中途半端な覚悟じゃ駄目なんだよ。出産は男が経験したら死ぬ程の痛みを味わうんだ。しかもそれだけじゃない。早紀の病気、PSASイクイク病は出産時に大変な状態になる」

「どんな事になるの?」


「まず、PSASはあらゆる刺激に過度に敏感になるから、普通の人よりも更に陣痛の痛みが体感上増してしまうの」

「ただでさえ死ぬ程の痛みがもっと痛くなるって事?」

「そう」


「もう一つは、陣痛の合間に激しいオーガズムに襲われる。出産時は胎児の身体で産道が刺激されてるからね。そうすると、次の陣痛に耐えるために身体を休める事が出来なくなる」

「そんな事になったら……身体が持つのかな?」


「今の早紀の身体じゃ絶対無理。本当に命の危険が生じるよ。それでも入れ替わるの?」

「ああ。僕はかつて早紀に命を助けてもらった事があるんだ。今度は僕が早紀のために命がけでどんな事でもしてあげたい」

「分かったよ。早紀は幸せ者だね。あんたにこんなに愛されてるなんて」

 この時のイブの笑顔は、不敵な笑顔ではなく優しさに満ちていた。


◇◇◇◇◇◇



 読んでいただきありがとうございました。


 次の第3話は、翔の前に立ちはだかる意外過ぎる障壁。いったいどうなるのでしょうか? お楽しみに!

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