第4話 一進一退。早く出してっ!

「子宮口全開大。分娩室へ行きましょう」

 内診した鷺沼医師が翔に告げた。

(これでやっといきめるんだ……)

 破水したため陣痛は更に強く、間隔も短くなった。

「痛い……お腹だけじゃなく脚も腰もとにかく痛い」

 早紀のマッサージが本当に心地よい。翔は痛みに耐えながら早紀の励ましに心から感謝していた。


 胎児の頭が骨盤内へ下がって来るのを感じる。

 凄まじい痛みに加え、体の内側から伝わる異物感。


 分娩室の扉が開く。「分娩中」という上のランプが点灯する。まるで手術室のような雰囲気だ。それでなくても翔は自分が帝王切開になってそのまま手術を受ける事になると覚悟していた。鷺沼医師から常々言われていたからだ。


 分娩室に入った翔は、中央よりやや左側に設置されている分娩台に上る。リクライニングシートのように上体を起こしたような形の分娩台だ。「寝る」のではなく「座る」と言った方が正しい。


 今時の分娩台はこのようにベッドに寝た姿勢ではなく、「半座位」のようないきみやすい姿勢のものが主流だそうだ。

(うん、この姿勢ならいきみやすそうだ)


 下着を脱いで分娩台に座ると、脚に袋のような形をしたシーツを掛けられた。助産師の美波が翔に声掛けをする。彼女は翔のプレママ友であり出産の先輩でもある。


「原口さん、子宮口が全開になったので次に痛くなったらいきんでみましょう。なるべく長くいきんでください」

 翔と美波はかなり親しい関係なので、普段は下の名前呼び捨てと、あだ名で呼び合っている。当然タメ口である。でも、病院では他人のふりで苗字でさん付けである。


 陣痛が来て、翔は分娩台のレバーをしっかりと握り、下半身に力を込めた。

「う~ん」

「そうそうその調子。上手よ。なるべく声は出さないようにして」



「うぐうううう……むうううっ……」

 胎児が急激に下に降りてくる感覚。いきまずにはいられない。分娩台のレバーを壊れるかと思う程強くにぎり、必死でいきむ翔。


(なんという強い痛みなんだろう。鼻からスイカなんてなまぬるい物じゃない。体内からエイリアンがお腹を食い破って出てくるんじゃないかって感じだ……それに痛みだけじゃない。とてつもない吐き気がする。くっ……苦しい……)


 翔は自分の想像がいかに甘かったかを思い知らされていた。陣痛は男が経験したら死ぬと言われている。


 ただでさえ陣痛はそれ程までに過酷な経験なのであるが、翔の場合はそれだけではなかった。PSASイクイク病で敏感な身体になっているため、通常よりも陣痛の痛みを強く感じるのだ。


 更に陣痛の合間には激しいオーガズムに襲われ、次の陣痛に耐えるために英気を養う事が出来ない。今の時期は陣痛の合間がとても短いため、仮眠を取る余裕もない。


 まぶたに鉛の重りが付いているかのような、強烈な睡魔に襲われた次の瞬間に体に電流が走る感覚で目が覚める。こんな過酷な拷問が他にあるだろうか。

 やっと間欠期が来てホッとする。少しでも仮眠を取らないと体がもたない。ところが……


 翔は望まぬ絶頂を迎え、一睡も出来ずにいたのだ。

 そしてすぐにまた地獄のような痛みが襲ってくる。


(うわ~体がちぎれる…………痛い痛い痛い)

「なるべく声は出さないようにしてください。力が入らなくなるから。なるべく長ーくいきんで」

「うう~ん……」

(そんな事言われても、どうしても声が出てしまう……)


 まだ赤ちゃんの頭も見えていない時期に、既に翔の体力は限界に近づいていた。

(もうだめだ……いっそ殺してくれ……おーいイブ、そこにいるんだろ、返事してくれ)


 イブは姿を現し、翔にささやく。

「なんだよもうギブアップか。しょうがないなあ。たしかにあたいは閻魔大王ともマブダチだからね。あんたを殺すなんて朝飯前さ。でもいいのかい。あんたが死んだらおなかの赤ちゃんも死ぬんだよ」

 イブは意地悪そうで楽しそうな表情を浮かべている。


(なんだって! それはダメだ。やっぱ今のナシ。ちくしょう、絶対耐えてやる)

 強がっては見たものの、やはり人間には出来る事と出来ない事がある。翔はだんだん気が遠くなってきた。すると……

「赤ちゃんの頭が見えてきましたよ!」

介助している美波が伝えた。


(おお~やっとゴールが見えて来たか)

「……鏡を……見せて下さい……」

 翔はやっとの思いで美波に告げる。ところが……

 鏡を見ると、赤ちゃんの頭はごくわずか髪の毛が見えるか見えないかぐらいだった。

 まだまだゴールははるか遠くにあったのだ。


 この時期を「排臨」と言う。赤ちゃんの頭が見え始める時期の正式名称だ。でも、赤ちゃんの頭はどんなに一生懸命いきんでもすぐには出てこない。少しづつ少しづつ出ては戻り、また出ては戻りを繰り返しながら進む。まさに一進一退である。


 陣痛が来ていきむと、赤ちゃんの頭は母体外にほんの少し露出する。しかし、陣痛の合間にはまた元通り体内に引っ込んで見えなくなるのだ。母親(中身は父親)にとってはとてももどかしい時期と言える。


 美波は翔の体内に手を入れて、進行を確認する。その手つきはお産のプロ、助産師そのものだ。翔を愛しているプライベートの彼女は完全に封印されている。すごいプロ意識だ。

(やっぱりカトミナにして正解だな)

「もうかなり降りてきてます。あともう少しです。がんばって」


 しかし、初産である翔の排臨はかなり長時間に渡った。陣痛時の激しい痛みと、くり返し児頭が出たり入ったりする刺激で、間欠時には激しいオーガズムを感じるという拷問のような時期が続く。

「大丈夫ですか? 赤ちゃんの頭に触ってみましょう」


 翔は気を失いそうになりながらも、自然と赤ちゃんの頭に指を当てる。

(あ、本当だ……もうすぐそこまで来てる…)

 

 再び強烈な痛みが翔を襲い、大量の汗がしたたり落ちる。

(これが赤ちゃんが挟まっている感覚なのか。大きい。身体がバラバラにされそうだ)


 陣痛が止むと、胎児の後頭部は産道を戻っていく。

 脚は閉じられないくらい骨盤に胎児が下りてきていた。


 深呼吸をして息を整えると、段々と痛みが増してくる。

 「きたっ! う~ん」

 翔は今日一番にいきんだ。

 「ン…………」


 声を出さずにうまくいきむ。

 やがて陣痛が止むと、嘘のように胎児の頭が翔の中へと戻る。

 この排臨の時期は一進一退でもどかしい。

 

(痛いっ!)

 胎児の後頭部が更に大きく見えてくる。

 鼻からスイカ以上だ。

(すごく大きい……)


 裂けそうな感覚を生じ、力を抜く。でも陣痛がすぐに翔をいきませる。

 出ては戻っての繰り返しが続く。

 

 翔には胎児の頭の大きさを鮮明に感じ取れた。

 翔は何度もお腹に力を入れた。

  

(まだ……戻らないで……)

 どれだけいきんでも、児頭は間欠期には体内へと戻ってしまう。

 まだまだ排臨から進みそうな感じがしない。


◇◇◇◇◇◇



 読んでいただきありがとうございました。


 次の第5話は、ついに翔の赤ちゃんが生まれます! お楽しみに!

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