第11話 別れ
男がまともではない事はサクにもわかった。武芸者と名乗っているが、ただ暴力に餓えている獣の眼だ。
どんなに怖くても、周りの状況を確認すること。グナァアンマーの教えに従い、サクは周囲を見回す。
酒に酔っている客達は、高みの見物を決め込んでいる。赤き龍の乙女の評価は、サクの実力を超えて大きくなり過ぎていた。
「バカな男が赤き龍の乙女に挑戦してきぞ。こっぴどくヤラれるのが見物できるな」
皆、サクがまだ十四歳の少女である事を忘れている。
だが、グナァアンマーが部屋を飛び出して行くのが見えた。ヌンチャクを取りに行ったに違いない。何とかして時間を稼ぐ必要があった。
サクは、男から眼を逸らさすに言った。
「タスキを掛けても?」
「もちろん」
男は狂気を含んだ笑みを浮かべて答える。
サクは舞台の奥へ行き、敢えて男に背を向けて膝を着く。そして、袖から紐を取り出してタスキ掛けをする。
男の目的は、自分を人前で倒して名を上げる事だろう。背後からは攻撃してこないという確信がサクにあった。
そして舞台の奥には、サクが自分のヌンチャクを籠に入れて置いていた。前回の事件の後、カイが舟の櫓の切れ端で作ってくれたヌンチャクだ。
それは、赤き龍の乙女に相応しい、鮮やかな赤に塗られていた。
サクはタスキを掛け終わると、自分の身体で隠しながらヌンチャクを手にする。そして、男の方に振り返りながら立ち上がると、素早く右側構えに構えた。
この構えだと、左肩を少し前に出せば、男の位置からヌンチャクは見えない。しかも、ヌンチャクの赤が着物の赤い色に溶け込む。
サクは、六畳程の広さしかない舞台の奥から男に言った。
「いつでもいいわよ」
男の顔色が変わる。
「武器を取れ!」
「必要ない」
サクは声が震えないよう必死で平静を装ったが、それがかえって男を見下している印象を与えた。
「おのれ、愚弄するか!」
男は三尺(約一メートル)程の高さの舞台の上に、助走もつけずに軽々と飛び上がる。思いがけない男の身体能力に、サクは警戒を強めた。
男の眼が怒りに血走っている。
次の瞬間、男は六尺棒を大上段に構え、大声と共にサクの脳天めがけ振り下ろした。
「キエーッ!」
だがそれは、サクが想定した通りの攻撃だった。
サクが恐れていたのは突きの攻撃だ。素早い突きの連打を体捌きで避けるのは難しい。
しかしサクは、男が脳天打ちか袈裟打ちで来ると踏んでいた。それが最も破壊力のある攻撃だからだ。
想定通りの攻撃に対し、サクは冷静に一歩下がる。案の定、男の攻撃は頭上の梁を直撃して、ガキッっと大きな音を立てた。
舞台の上には梁が渡してあり、多少の雨なら上にゴザを乗せれば凌げる仕組みになっていたのだ。
怒りで周囲が見えていなかった男は、サクの策略にはまり、自由に棒を振り回せない舞台の上に誘い込まれたのだ。ところが、男の破壊力はサクの想像を超えていた。梁が真っ二つにへし折れてしまう。
梁を失った左右の柱が、男に向かって倒れ込んだ。男は慌てて柱を避けるが、サクはそれを見逃さない。
舞台を照らしていたかがり火の籠の中に左手を突っ込むと、灰を一掴みして男の顔に投げつけた。
「ゥガッ……」
男は声にならない悲鳴を上げる。
サクはすかさず男の脳天をヌンチャクで打った。人は脳天を打たれると下を向く。そこを、かち上げる動作で顔面を打つ。
これを一挙動で行う。辻村ヌンチャク『天地』という技だ。
視界を奪われた上に脳震盪を起こした男は、フラフラとよろめきながら闇雲に棒を振り回す。それを冷静に下がって避けたサクは、バランスを崩して棒を落とした男に向かって踏み込み、凄まじいスピードの持ち手換えを繰り返しながら、ヌンチャクを男の全身に叩き込んだ。
その赤いヌンチャクによる攻撃を人の眼で捕える事は難しく、客達にはサクが炎を投げ付けているように見えたという。
完全にグロッキーになった男が舞台から落下して転がった先は、グナァアンマーの足元だった。
グナァアンマーが駆け付けた時、もう闘いは一方的だった。男を打ちまくるサクを見て、グナァアンマーは手出しは無用だと判断する。
「また腕を上げたね」
男の手足を縛りながら、グナァアンマーはサクに声を掛けた。
グナァアンマーの様に一撃とはいかなかったが、それでも今回は敵を倒す事ができた。
サクが笑顔を見せると、あまりにも一方的だった闘いに静まり返っていた客室に、喝采と拍手が起きる。
踊り終った時と同じように、サクは客室に向かってお辞儀をした。
☆
名ばかりの武芸者ではあったが、多くの面前で倒した事で、赤き龍の乙女の名は更に高まる。
人の噂には必ず枝葉が付くものだ。サクの噂にも、龍神の加護があるとか、その為に炎を自在に操るとか、抱けば無病息災が約束されるとか、途方もない話が増えていく。
そして、半年後に迫った初御客になろうと、多くの男が群がった。
初御客は、ジュリにとって間違いなく人生最大のイベントだ。身体を買われ続ける一生の中で、最高の価値が付く。
その日が近付くにつれ、アンマーがサクの面倒を見る時間は長くなる。芸事に磨きをかけると共に、男を悦ばせる性技を伝授されるのだ。
それは生々しく猥褻で、社会通念から逸脱したものだが、辻村で育ったサクにとっては日常の延長だった。
そして、サクより半年早く十五歳の誕生日を迎えたカイが、辻村を去る日がやってきた。
館が休みの日の午後、カイは布団と僅かな衣類、そして仕事道具だけを担いで門を出た。
カイは、見送りのジュリ達に頭を下げる。
「今日までありがとうございました。一人前の船大工になれるよう、精進します。皆さんも身体に気を付けて、お元気で」
アンマーは涙を浮かべていた。この館のジュリに産まれた子は我が子同然だ。
「たまには帰って来ればいいさぁ。いつでも歓迎するからね」
しかし、カイが辻村に戻ることがあるとは思っていなかった。辻村の産まれであることは、一般社会で生きて行くには足かせだ。隠して生きるのが当然だった。
だが、カイは黙って頷く。
「じゃあ、母さん。行ってくる」
「ええ、いってらっしゃい……」
グナァアンマーも涙を浮かべていた。
カイは背を向けて歩きだした。
ジュリ達はその背中が見えなくなるまでカイを見送ったが、そこにサクの姿は無かった。
カリンの部屋は四人部屋だ。館の中でも歳の若い二人のジュリ、そしてサクと同室だった。
カイを見送った後、部屋に戻ると、サクはまだ布団をかぶって丸くなっていた。
カリンは、そんなサクに声をかける。
「カイ君、行っちゃったよ。寂しそうだった。サクが見送りに来なかったからだと思うよ」
サクは布団の中から頭を出す。その顔は、見事に泣き腫れていた。
「だって、こんな顔、見せれないよ」
「あらま、確かにヒドい顔……」
「カイの事を考えると、胸がギューって苦しくなるの。病気かなぁ。苦しくて苦しくて、見送りになんて行けなかった」
「それでも行くべきだったわ。だって、次いつ会えるかわからないのよ。私達ジュリは、村を自由に出る事は許されない。来てくれるのを待つしかないから」
「カイは来てくれないの?」
「仕事で遠くに行ってしまったら、もう来てくれないでしょうね。結婚とかしても来てくれないと思う。辻村を出た男のコは、客としてか、おじいみたいに仕事でしか村に入れないから」
「カイもいつか、外の誰かと結婚すると思うと、胸が死ぬほど苦しくなるよ」
「それは恋ね」
「恋……」
「尊い感情だから、大切に胸に仕舞っておくのよ」
「ジュリも恋していいの?」
「当たり前よ。身体が汚れるジュリだからこそ、心は純粋でないといけないの。アンマーなんて、何十年もおじいに恋してるんだよ」
「うん、知ってる。カリンちゃんもそうなの?」
「私の場合はお客さん。その人が他のコを指名すると、胸が苦しくなる。今のサクと同じだね」
「そうかぁ……みんな同じなんだ」
「どうしてもカイ君に会いたかったら、一生懸命働いて、自分で自分を買えばいいんだよ。そして、カイ君を招待するの」
「カリンちゃん……頭いい」
「エヘン……って、アンマーが言ってたんだけどね。でも、来てくれるかどうかは別みたい。おじいは一度も来てくれないらしいから」
「おじいはアンマーが嫌いなの?」
「ううん、多分逆だと思う。大人になってこじらせると大変なのよ、きっと」
「そうなんだ……カイはどうかなぁ。他の男に抱かれたお金で招待されたら嫌かなぁ」
「考え過ぎちゃダメ。私達がジュリとして生きていく運命は変えられない。船大工のお給金で、辻村に遊びに来るのも無理だわ。今は来てくれると信じて頑張るしか無いから」
カリンと話をして心が少し晴れたのか、サクは布団から出てきた。
「私、頑張る。頑張って働いて、カイにご馳走を食べて貰うんだ!」
「うん、応援するよ。そのあと、しっかりカイ君に抱いてもらえるよう、私も祈っているね」
サクはゆでダコの様に赤くなると、再び布団の中に潜り込んでしまった。
それが可笑しくて、カリンは声を上げて笑ってしまう。
赤き龍の乙女と周囲が騒ごうと、サクの心は普通の少女に過ぎなかった。
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