第10話 招かざる客

 サクは怒られると思っていた。

 一人でノコノコと賊に近付き、無様な闘い方をした事は、残されたおびただしい血の量が証明している。

 才能の無さに呆れて、グナァアンマーが稽古をつけてくれなくなる事をサクは恐れた。

 だが、そんな事は無かった。館を守る為に命がけで闘ったサクを褒める者はいても、叱る者などいる訳がない。

 賊は鎌を持っていたのだ。多くの人が殺されかねない状況だった。

 最初に駆け付けた者の中にアンマーがいた。アンマーの今日の客は馴染みのご隠居さんで、女を抱くのが目的ではない。下半身はその役目をとうに終えており、酒と会話を楽しみ、酔えばアンマーの膝枕で寝るのだけが楽しみだった。

 その時も、ご隠居はアンマーの膝の上でイビキをかいていたので、サクの叫びにいち早く駆け付ける事ができた。

 血溜まりに立つサクを見て、アンマーは何が起きたのか、一瞬で察した。

「ケガはないかい?」

 駆け寄って両腕を掴むと、サクの身体が小刻みに震えているのがわかった。

 アンマーの問いに、サクはカクカクと頷く。

「良かった。誰か、水と手拭い。お湯はダメだよ。血が固まるから」

 サクに物音の事を伝えたジュリが、桶に水を入れて持って来た。

「ネズミだと思ったのよ。まさかこんな時間に泥棒がいるなんて思わなかったから」

 泣きそうな顔で言い訳する。

「誰もお前を責めたりしないよ。サクも無事だし、大丈夫だから」

 アンマーは、サクの顔を拭きながら言った。

「でも、その血……」

「これはサクの血じゃない。賊の血だ」

 そこにいた客は、信じられない思いだった。こんなにか弱く見える娘が、強盗を血ダルマにしたというのか?

 だが、アンマーとジュリ達は知っていた。サクがどれほど熱心にヌンチャクの修行をしていたかを。

 ザワつく客に向かって、アンマーはパンパンと手を叩いた。

「さあさあ、お客さん方。気を取り直して楽しんでくださいな。我が館はこの通り、赤き龍の乙女が守っていますから、何処よりも安全に遊べますよ」

 その言葉に、客達は笑顔で戻って行った。


 騒ぎの後、グナァアンマーがサクと顔を合わせたのは、今日付いた二人組の客が帰った後だった。

「ごめんよ、サクちゃん。騒がしいとは思ったんだけど、まさかそんな事が……」

 サクが賊と闘っていた頃、グナァアンマーは前の穴と後の穴を二人から同時に攻められ、強烈な快感に気を失わないよう意識を保つのがやっとの状態だった。

「……だけど凄いよ。一人で賊を倒すなんて!」

 だが、サクは首を振る。

「倒せなかった……何度叩いても。そして、逃げられたの」

 グナァアンマーは、優しくサクの頭を撫でる。

「ヤーヌカミーの役目は敵を倒す事じゃない。追っ払う事さ。私の場合は、たまたま敵が倒れるだけの話だよ」

「でも……」

「それに言っただろ。今生きていること、それが勝ちなのさ」

「私、ヤーヌカミーになれるかしら」

 グナァアンマーは笑顔で言った。

「この館を立派に守ったんだ。サクちゃんはもう、一人前のヤーヌカミーさ」


 疲れ切ったサクが寝室に向かっていると、仕事に出る前のカイが廊下に立っていた。

 サクを見ると、真剣な顔で近寄ってきた。

「母さんに聞いたんだ。本当に大丈夫か?」

「うん。この通り、大丈夫だよ」

「良かった……そんな暇無いかもしれないけど、オレならいつでも叩き起こしてくれよ」

「ありがと。カイもお仕事頑張ってね。いってらっしゃい」

「ああ、いってきます」

 身体は疲れていたのに、神経が興奮して眠れそうもないと思っていたサクだったが、カイと言葉を交わしただけで安らかな気持ちになった。

 寝室に入ると、同室の三人のジュリ達は既に寝息をたてており、サクは静かに自分の布団に潜り込む。

 眼を閉じるとほぼ同時に眠りに落ちた。そして、カイと海辺で遊ぶ夢を見て、幸せな気持ちになれた。



 小さな国の、狭い村だ。

 昨夜の出来事は、あっという間に広がった。

 辻村に出入りする者で、『赤き龍の乙女』を知らない者はいない程になる。

 そしてサクのいる娼館に、赤き龍の乙女を見たさに客が押し寄せた。

 十四歳のサクは、村の掟で来年まで客を取ることができない。それでも納得しない客の為に、アンマーはサクに舞いを舞わせることにした。

 それがまた大変な評判になる。元々サクは踊りが上手だ。

 カリンの三線と歌に合わせてサクは舞った。サクの美しさに魅了されない男はいなかったが、歌うカリンにも男が殺到するようになる。

 カリンと遊ぶ金額は二倍にもはね上がった。

「サクのお陰で商売繁盛さぁ。もう一人くらい賊が入ってくれないかねぇ。サクがチョチョイと追い払ってくれたら、もっとお客が来るだろうさ」

 アンマーはこんな軽口を叩いていたが、不謹慎な事を考えるとろくな事はない。それは現実となってしまう。



 その日も館は盛況だった。

 客室は一杯で、アンマーを含めたジュリ全員に客が付いていた。

 まだ九歳のククルまで給仕に駆り出される程だった。

 アンマーは庭に小さな舞台を作り、そこで赤い着物を着せてサクに舞いを舞わせた。客は部屋の戸を開け、酒を呑みながら舞いを観賞できる仕組みである。

 商売上手なアンマーの発想が無ければ、赤き龍の乙女も、ここまで有名にはならなかっただろう。

 サクの舞いが終わった後、演奏を終えたカリンは舞台からその日の客の部屋へと向かうのだが、そのカリンを迎える事が男達のステータスになっていた。赤き龍の乙女人気が産んだ副産物である。

 その時、カリンは演奏を終えて、まさに部屋に向かう途中だった。カリンが部屋に入って戸を閉めるのを合図に、それぞれの部屋も戸を閉めるのがお約束だ。全ての部屋の戸が閉まるまでサクはお辞儀を続ける段取りなのだが……。

 カリンの真っ正面から、六尺棒を地面にガツンガツンと打ち付けながら、その男はやって来た。

 背の高い、日に焼けたボサボサ頭の男だった。その眼を見ただけで、カリンは男がまともではないと察した。

 男はカリンには眼もくれず、横を素通りして、真っ直ぐにサクの方へと向かう。

 そして、舞台の前に立つと、大声で叫んだ。

「俺は旅の武芸者だ! 諸国を周りながら腕を磨いている! 赤き龍の乙女はお前か? いざ、尋常に勝負せよ!」

 カリンの予感は的中だった。

 その時、グナァアンマーは客に酌をしている最中だった。客は脂ぎった中年で、グナァアンマーの一番嫌いなタイプの客だったが、酌を受けながらも片手をグナァアンマー胸元に差し入れ、絶妙な手捌きで乳房を揉みしだいていた。

 グナァアンマーは意に反して身体が火照ってきた所だったが、外の男の大声に我に返ると、客を置いて廊下へ飛び出し、ヌンチャクを取りに神棚へと向かった。

 ーーまさか、賊が正面の門から入って来るなんて!

 グナァアンマーは自分の迂闊さを悔いた。

 賊の目的が盗みだけとは限らない。赤き龍の乙女の知名度を考えれば、頭のイカれた自称武芸者が挑戦してくる事は、十分視野に入れておくべきだった。

 ーーお願い! 私が行くまで間に合って!

 グナァアンマーは神に祈った。

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