第7話 番外編①ブルース・リーと辻村ヌンチャク

 1973年、ある男の出現と一本の映画が、アジアの片隅に細々と伝わっていた土着の護身具を世界的に広めてしまう。

 男の名はブルース・リー、映画の題名は『燃えよドラゴン』。

 この映画でブルース・リーは、これを見よとばかりにヌンチャクを高々と掲げ、発情期のネコのような声をあげて、敵をバタバタと倒していく。

 この頃、子供はもちろん大人までも、長くてクネクネした物があれば、「アチォー!」と叫びながら振り回すのがお約束だった。


 そして僕が、武術としてのヌンチャクを見るのは『燃えよドラゴン』の公開から数年後、近所の沖縄空手の道場に通いだしてからだ。

 そこは空手と平行して琉球古武道も教えており、棒、トンファー、サイ、ヌンチャクとステップアップしていくシステムだった。

 つまり、ヌンチャクは上級者しか学べず、僕を含む初中級者は先輩のやっている型を見る事しかできなかった。

 中学生にもなれば、映画とリアルの違い位わかる。時代劇の殺陣と本物の剣術が同じ筈がない。

 同様に、ブルース・リーのヌンチャク技術と実際のヌンチャク技術はかなり違うのだろうな、とは思っていた。

 そして、その通りだった。

 映画ではひたすら片手で振り回すヌンチャクだが、その流派では両手でしっかり持ち、受けからの打ち、または突きという地味な動作が多かった。片手で振り回すのは『トドメ』の技だけである。

 なぜブルース・リーの様に振り回さないのかと、師範に聞いた事がある。黙ってヌンチャクを持たせてくれた。

 映画で使われるのよりずっと長く、想像していたより遥かに重い。誤爆して自分に当たれば悶絶、下手をすれば大怪我の可能性がある代物だった。

 振り回さない、のではない。振り回せない、のだ。

 機動性より破壊力を選択したのが、その流派のヌンチャクだったと言えるだろう。

 

 高校に入り、僕は道場を変わる。

 その頃はプロ興行を行う胡散臭い空手団体が幾つかあったが、その一つだった。

 時代はプロレス人気の絶頂期で、キックボクシングですら冬の時代だ。その他のプロ格闘技団体など瀕死に近い状態だったが、格闘技で飯が食いたいと漠然とした夢を持っていた僕は、そこにすがるしかなかった。

 いやあ、その団体も胡散臭さ満載だった。

 当時ポストブルース・リーとして人気が出てきていたジャッキー・チェンにあやかり、道場を香港風にしたり、選手にカンフー着を着せて試合させたりと、まあ色々やっていた。

 断っておくが、僕はその事を非難する気はない。トライアルアンドエラーは、経営者として当然の事だと思う。

 道場や格闘技団体を運営するのがどれほど大変か、今なら理解できる。


 さて、そこでもヌンチャクを教えていたが、短くて軽めのヌンチャクを高速で振り回す流儀だった。やりたくない武器を無理に強要される事もなかったし、最初からヌンチャクを学ぶ事ができた(トンファーやサイなどの他の武器も、結局大学に入る頃には自ら好んで学ぶようになるのだが)。

 僕は、ブルース・リーのアクションに少し似ているその流派のヌンチャクが気に入り、頑張って稽古した。道場の誰よりも熱心だったと思う。

 だが、上達するにつれ、疑問も出てくる。

 その流派には幾つかの『構え』があるのだが、全て身体の後側でヌンチャクを持つのだ。そして、攻撃しては、またすぐに背中に隠すのが鉄則となる。

 後ろ手を組んだまま闘うボクサーを想像してほしい。一発打つたびに手を背中に戻すボクサーなどいるだろうか?

 どれだけ奇異な事か、わかって頂けると思う。ヌンチャクだって同じではなかろうか?

 ただ、そんな事を考えながらも、疑問は疑問のままに稽古を続けていた。

 技や動作の意味を一々教えない。タネ明かしは最後に行うのが、昔の武術の指導法だったからだ。


 そして、大学生になったある日、道場で一人でヌンチャクを練習していると、フラッと師範がやって来た。

 そして、唐突にこんな事を言った。

「ウチのヌンチャクはね、実は娼婦のヌンチャクなんだよ」

「娼婦って、男に身体を売る、あの娼婦ですか?」

「そう、沖縄に辻村という遊郭があってね、そこに伝わっていた技なんだ」

「娼婦がアチォーって、やってたんですか?」

「アチォーとは言わなかったと思うがね。辻村は女性だけで運営されていた遊郭で、警備も女性がやっていたんだ。現代の警備員が警棒を持っているように、辻村ではヌンチャクが使われていたんだな」

「なるほど。では、ヌンチャクを背中で構えるのは……」

「敵に情報を与えない為だよ。武器を持っているのかいないのか、長いのか短いのか。女しか居ないと知られているから、強盗なんかも多かった。そんな状況で武器をギリギリまで隠す事が、最大の切り札だった訳だ」

「建家内では、敵も長い武器は振り回せない。だから、こんな無防備な構えができるのですね」

「振り技が多いのは、女性の非力を遠心力で補うため。その振りがコンパクトなのは、やはり室内での戦闘を想定しているからなんだ」

 古武術は現代の格闘技に比べ、一見非合理で非効率に思えるが、実はちゃんと意味があって、想定された状況下ではこれ以上無いと言えるほど合理的かつ効率的である。

 この事を初めて知ったのが、その時だったように思う。


 ところでその時、僕は師範がどのようにして門外不出の辻村ヌンチャクと巡りあったのかも聞いたのだが、その話がまた面白かった。

 いずれまた、番外編で……。

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