第6話 ヤーヌカミー
日が沈み、ランタンに火が灯る頃、辻村に昼間とは別の世界が訪れる。
幻想的な炎の光と闇が織り成す妖しげな空気に導かれ、男達はまるで花に引き寄せられる蜂のごとく娼館の門をくぐった。
そしてサクは、辻村での初めての夜を迎える。
農村であれば一日が終る頃から辻村は活気づく。その事に、サクは戸惑いを隠せない。
だが、その賑わいから逃げるように、サクはカイと娼館の奥にある誰も来ない部屋に移った。
「ボクたちは、明日のお日さまが昇るまで、ここを出ちゃダメなんだよ。男の人は、ボクたちみたいな小さな子供を見ると、ヤル気がナエるんだって」
「ヤル気って何? ナエるってどういうこと?」
質問ばかりしてくるサクに、カイは面倒臭くなっていた。
「言葉じゃ説明できないよ。考えちゃダメさ。感じないと」
要するに知らないんだな、とサクは思う。
「ここを出たら、サクもゲンコツされる?」
「うん、絶対。スッごく痛いから、おとなしくしてた方がいいよ」
カイに言われなくても、サクは眠たくてしかたなかった。
アクビをしているとカイが言った。
「寝る時は、そこの布団を自分で敷くんだ」
「すごい! ふわふわのお布団だ」
カイが呆れた顔をする。
「ここじゃこれが普通だよ。いつも何で寝てたの?」
「床だよ。寒かったら藁にもぐってた」
「ふーん」
サクが敷いた布団に潜り込むと、カイも布団を敷きだした。
「でも、サクが来てくれて嬉しいよ。カリンがジュリになってから、ボクはいつもこの部屋で一人ぼっちだったから」
だが、カイの言葉を最後まで聞くこともなく、サクは深い眠りに落ちていた。
それは突然だった。
髪の毛を掴まれ、乱暴に引き起こされたのだ。
熟睡していたサクは、悲鳴すら出なかった。
首に腕をかけて抱え上げられる。呼吸が出来ないサクは必死にもがく。
「ジタバタすんじゃねぇ! ブッ殺すぞ!」
本気で殺す気だと、サクの本能が察した。
部屋を転がり出る影が見えた。カイが無事に逃げたのだ。
「ガキがもう一人いやがったか。まあいいさ」
男はサクを抱え上げたまま、カイの後を追う。
サクは男の腕にしがみ付き、何とか息だけはできた。
「ドロボー! ドロボーだあ!」
カイは叫びながら走る。
廊下の向こうから、半裸のアンマーが出て来た。部屋の中から、数人のジュリが恐る恐ると顔を出している。
少し後からカイの母親も来て、アンマーの隣に立った。
サクは、その時ようやく、男の右手に鉈が握られている事に気付いた。
その鉈が、サクの首に押し付けられる。
「金だ! 金持ってこい! 逆らうと、このガキの首を落とすぞ!」
興奮で男の鉈を持つ手が震え、サクの首から血が流れた。
「金ならあるよ! ほら、ここだ」
アンマーは手にした木箱を開け、中の金が男に見えるように傾ける。
「へへへ、物分かりがいいじゃねえか。そこに置け!」
アンマーは、警戒しながら数歩前に出ると木箱を男の前に置き、すぐに元の場所に下がった。
「やった! 金だ! 俺の金だ!」
男の手がサクを離したが、腰を抜かしているサクはそのまま座り込んでしまう。
男は、右手の鉈でアンマーを威嚇しながら左手を金の入った木箱に伸ばした。
その瞬間だった。
カイの母親が一歩前に進んだかと思うと、耳の横にあった右手が小さく回転し、素早く左前方へと伸びた。そして、全く逆の動作で元に戻る。
それだけだった。
それだけで勝負はついていた。
頭上でゴンゴンと続けて鈍い音がして、男の眼がひっくり返って白眼になるのをサクは見た。
カイの母親は、左手を右の脇の下に差し込むとヌンチャクを持つ手を替え、身体の左側でクルクルと何回か回転させると、トドメとばかりに真上から男の脳天を打つ。
しかし、本気ではなかったのだろう、カポンと間抜けな音がした。それでも、脳震盪を起こしている男には十分な衝撃だった。丸太
が倒れる様に、男はバタンと倒れた。
「カイ! 何でもいいから縄を持ってきて」
カイは忠犬の様に縄を持って走って来る。
「母ちゃん! これでいい?」
「上出来だよ」
カイの母親は、男の手から鉈を取り上げると、後手に縛った。
「おっと、こりゃあイイ鉈だ。ありがたく使わせてもらおうかね」
そして、男の足も縛って、猿ぐつわもかませた。
サクはアンマーに抱えられる。
「大丈夫? 立てるかい?」
「うん、大丈夫」
「可哀想に、怖かったろう。今日来たばかりだというのに……」
確かに怖かった。だが、カイの母親が助けてくれるという、強い確信があった。
「……首のキズは……大したこと無いね。軟膏つけてたら治るよ。痕も残らないさ」
アンマーは立ち上がると、縄でグルグル巻きになった男を蹴飛ばした。
「ウチの娘に酷い事しやがって!」
それを見ながら、自分の家族はこれからこの人達なんだ、と実感した。
奉行所の役人がようやく来たのは、日が完全に昇りきって、すっかり明るくなった頃だった。
「ほら、乗れ」
二人で来た役人の中年の方が言った。
足の縄だけ外された男は、荷車に黙って乗り込む。
「逃げてもいいぞ。逃げてくれたら、これでバッサリとやれる……」
中年の役人は、腰の刀をポンポンと叩く。
「……生きて連れて行くのが一番やっかいだからな。飯も食わさないといけないし」
役人の言葉に男は返事をせず、見物に集まって来た子供を威嚇するように睨む。だが子供達は、嬉しそうに男を眺めるだけだった。
「じゃあ、アンマー。何事も無くて良かった」
中年の役人とアンマーは顔見知りのようだ。
「ありがとうございました。お役人様も、たまにはウチに遊びに来てくださいな」
役人の鼻の下が伸びる。
「アンマーが必ず相手をしてくれるのなら、毎月でも行くのだがな」
「まあ、お上手だこと。私みたいなお婆ちゃんでなくても、ウチには若いコが沢山いますから」
若いほうの役人か引く荷車が動きだした。
中年のほうは、荷車の後を押しているのかいないのか、微妙な様子で後を歩く。
若いほうが振り返って言った。
「ここのアンマーは、若くて美人なんですね」
中年のほうが答えた。
「美人なのは認めるが、歳はお前の母親より上だよ」
「え……」
「もののけと呼ばれる由縁さ」
その会話が聞こえていたカイの母親は笑った。
「ハハハ、もののけだってさ。どうする、アンマー」
「ほめ言葉と受け取っておくよ」
「金払いが良さそうな男じゃないか」
「あれで私のオシッコを飲みたがる性癖さえなけりゃあねェ」
おじいの時とは違い、アンマーは見送りもせずに館に戻る。
そこに、サクが不安そうに立ち尽くしていた。
「ぜんぶ終わったよ。悪いドロボーは行ってしまった……」
アンマーは、サクの頭を優しく撫でる。
「……こんな事、年に一回有るか無いかだから……」
結構有るんだな、とサクは思う。
「夜明け前のあの時間は、客も全部帰って女ばかりで寝ているからね、どうしても狙われるのさ。だけど、ウチにはヤーヌカミーがいるから」
その時、カイを抱いた母親も入ってきた。右手にカイを抱いたまま、左手にサクを抱き上げて館の中へと向かう。
「ありがとう、ヤーヌカミー」
サクはカイの母親に言った。
「当然の事さ。子供を助けるのは、ヤーヌカミーの使命だからね」
その顔は、自信に溢れていた。
「サクも、いつかヤーヌカミーになりたい」
「そうだね、人はいつまでも強くはいられない。いつかヨボヨボになって死んでいく。次のヤーヌカミーは頼むよ、サク」
サクは頷いた。
五歳の少女の、精一杯の決意だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます