第5話 辻村ヌンチャク
辻村では、子供はジュリと客との間に生まれた「ナシングヮ」と、貧困から売られてきた「チカネーングヮ」に区別して呼ばれる。
区別して呼ばれてはいたが、どちらの子供も同じように愛情を持って育てられた事には変わりない。
確かに幼い頃から労働に従事するが、十分な食事を与えられ、読み書きやソロバンなどの基礎教育を娼館ぐるみで行った。
サクが売られた娼館でも、食器を洗ったり、洗濯物を干したりの雑用が一通り終ると、年配の者が子供の教育に当たる。
今日の先生は、先ほど未練たらしくおじいを見送っていたアンマー(娼館の経営者、『母親』を意味する)だ。
綺麗な貝殻を一枚、ちゃぶ台の上に置いた。
「これが『一』だよ」
もう一枚置いた。
「これが『二』」
更にもう一枚。
「じゃあこれは? カイ」
カイは元気に答える。
「三!」
「そうだね。じゃあこれは?」
アンマーは、もう一枚貝殻を置く。
カイは再び元気に答える。
「わかんない!」
「これは『四』さ」
「四!」
「そうだよ。じゃあサク、これはわかる?」
更に貝殻が置かれた。
「五つ。サクと同じ五つだよ」
「その通り。サクは賢いねえ。顔立ちも整っているし、きっと私みたいな美しいジュリになるよ。沢山稼いで、私の老後を楽にしておくれ」
「エヘヘ」
アンマーの言っている事の意味はよくわからなかったが、とにかく誉められて嬉しいサクだった。
この時間、ジュリ達は楽器や踊りの稽古をしている。
隣の部屋ではカリンが三線(さんしん/琉球の弦楽器)を弾き、それに合わせて他のジュリが踊っていた。
サクはアンマーに尋ねた。
「サクも、楽器とか踊りとか習えるの?」
「もちろんさ。でも、もう少し大きくなってからだよ。ここでは十歳になったら稽古を始める慣わしなんだ。それまでに読み書きとソロバンを覚えないとね」
ジュリが売ったのは身体だけではない。男を楽しませる音楽と踊り、そして知的な会話。それは、幼い頃からの体系的な教育によるものだった。
勉強に飽きてきたカイがアクビを始めた頃、カイの母親が庭に出てきた。
黒いすりこぎ棒を二本、左手に持っている。その二本は、赤い紐で繋がれていた。
「あっ、母ちゃんだ。母ちゃーん! がんばれー! ねえ、アンマー。母ちゃんのヌンチャクの稽古、見ていいでしょう? サクも見たいって」
カイの言葉にサクも頷く。
アンマーは笑って言った。
「いいよ。無理に勉強しても、ソワソワして手につかないからね」
カイの母親は、棒の一本を右手に持つと、もう片方の棒をクルクルと回転させ始めた。それは、すぐに高速に達する。
そして、それをどう操作しているのかわからないが、身体の背後や側面で右手から左手へ、そしてその逆へと持ち手が変わる。
ただ、棒が風を切るビュンビュンという音だけが庭に響いた。
「これがヌンチャク……すごい……」
サクが驚きで眼を丸くする。
カイが自慢気に言った。
「アレが当たったら悪者なんて一発だよ。エンシンリョク(遠心力)って力なんだ」
「エンシンリョク……って何?」
「ボクもよくわかんない……」
眼に見えない速度で回転するヌンチャクは、時々風を切り裂いて前方へ伸びた。それは、サクには龍が炎を吐いたように見えた。
「カイも大きくなったら、ヌンチャクやるの?」
サクの問いに、カイは悲しそうな顔をする。
「辻村ヌンチャクはジュリしか習えないんだよ。だからボクは、トンファーを習うつもりさ。おじいはああ見えて、トンファーの達人なんだ」
「おじいって、アンマーが恋してるあのおじい?」
アンマーの顔が赤くなった。
「あら、やだ、この子ったら。子供でもやっぱり女ね。ヘンな勘は鋭いんだから」
カイが続ける。
「うん、サクをここに連れて来た、あのおじいだよ。それとね、辻村ヌンチャクの事は、村の外の人には話しちゃダメなんだ」
サクが首を捻る。
「なんで?」
カイも首を捻った。
「知らない」
「それはね、ヌンチャクが弱い武器だからさ」
アンマーの言葉に、サクとカイは驚いた。
「ヌンチャクは強いよ! 母ちゃんは悪いヤツを何人もヤッつけたし!」
カイはムキになる。
「そうだね。相手が素手だったり、武器がせいぜい鎌くらいだったらね。だけど、薩摩のお侍が持っているような刀や槍だったらどうだい?」
「……」
「まともに闘っても勝てないさ。だけど、槍が振れないくらい、刀が抜けないくらい近付いたらどうなるか?」
サクが叫んだ。
「勝てる!」
「そう。てもそれは、敵がヌンチャクを知らなかったら、だよ。知っていたら、誰だって警戒するからね」
「だから、外の人には秘密なのね」
アンマーの眼が細くなった。
「サクは本当に賢い子だ。この狭い遊郭に、200件もの娼館がある。天井だって高くない建物ばかり。こんな場所で有利に闘えるように考えられたのがヌンチャクなのさ」
「それに、余程の事が無い限り、致命傷にならないからね……」
稽古を終えたカイの母親が、手拭いで汗を拭きながら戻ってきた。
「……遊郭で刃傷沙汰とは穏やかじゃないしね。賊は追い払えば、それでいいのさ」
「母ちゃん!」
カイは母親に駆け寄ると、縁側に腰掛けた母親の膝に乗ろうとするが、そのまま持ち上げられて降ろされてしまう。
「今は暑いから、ちょっと待っておくれ」
サクは、傍らに置かれたヌンチャクに触ってみた。
ただのすりこぎ棒が紐で繋がれただけの代物だった。
グニャグニャ曲がったり、伸びたり縮んだりにも見えたが、驚異的なスピードが見せた錯覚だったのだろう。
「おや? サクちゃんはヌンチャクに興味があるのかい?」
カイの母親が尋ねると、サクの顔が輝いた。
「うん! サク、ヌンチャク習いたい。そしてヤーヌカミーになるの!」
「ハハハ、珍しい子だね。だけど、ヤーヌカミーは年取ってお客がつかなくなったジュリがなるものさ。身体だって、大きいに越したこと無いし」
「大きくないとヤーヌカミーになれないの?」
「まあ、そういう決まりは無いけどね、小さ過ぎるのは危ないさ。せっかくの可愛い顔に当たったら大変だし」
「サク、これからドンドン大きくなるよ」
「そうだね。10歳になって、まだ習いたかったら教えてあげる。だけど、三線も踊りも覚えないといけないし、大変だよ」
だが、サクは自信に満ちた顔で答えた。
「大丈夫。サク、頑張るから」
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