03 絶頂からどん底へ

 兄の劉縯りゅうえんが宛を攻略し、弟の劉秀が昆陽にて大軍を退ける。


 隠れもなき大功であり、更始帝こうしていとしては、今こそ新を倒す好機であったが、彼がず頭に思い浮かべたのは、劉縯のであった。


「朕は廃されるのか」


 更始帝は確かに凡庸であったかもしれない。

 だが、その猜疑心は凡庸ではなかった。

 それは天子という至尊の地位に就いたことにより、よりおおきく、黒く変容を遂げていた。

 そしてそれはあることをきっかけに爆発し、信じがたいことに、劉縯の命を奪うことに成功する。



 劉縯・劉秀兄弟の勝利にいて、一月ひとつき後。

 更始帝は劉縯配下の勇将、劉稷りゅうしょくを抗威将軍という地位に就けようとした。

 ところが劉稷はこれを拒否。

 元々、更始帝を皇帝として認められないとらしていた劉稷は、そのような勅命など勅命にあらずと鼻で笑った。


ゆるせぬ」


 これが更始帝のかんさわり、数千の兵を繰り出して劉稷を捕らえた。

 劉縯へのに殺してくれようとなった段に、当の劉縯が参内さんだいしてきた。

 劉縯は更始帝の過激な行動に驚いたが、すぐさま劉稷の助命を願い出た。


「わが功に代えても、どうか」


 敵将であろうとも、見所みどころがあれば助命する度量を持つ劉縯である。

 その拝礼は堂々としていて、そして更始帝のを誘った。


「よかろう。なら功に代え、その罪が三族に及ぶのは免ずる……ではれ!」


 更始帝の号令一下、驚愕に目をく劉縯と劉稷の主従は四方八方からの刃を受け、滅多刺しにされ、息絶えた。



 劉縯、死す。

 その覇道が今まさにこれからというところで、あなどっていた更始帝に誅殺されるという死のあり様は、弟の劉秀に多大な衝撃をもたらした。


 しかしず劉秀の取った行動は、兄・劉縯の「謀叛」について、更始帝に詫びることであった。


「兄の振る舞い、臣たり得ず」


 その恭謙な態度は更始帝のを大いに刺激し、また更始帝としても、新や赤眉軍へのである劉秀まで欠くのは良くないという思惑もあり、劉秀は生き延びることになった。

 ただし、の立場で。


 そして時は流れ、更始帝の軍勢は諸国からの兵の参入もあり、勢いに乗って長安をとし、新の皇帝・王莽おうもうは落城の混乱の中で命を落とした。


「天下は、朕の手に」


 更始帝は得意の絶頂にあった。

 しかし、王莽の簒奪に始まり、赤眉・緑林の乱により乱れた大陸は、今や群雄割拠の乱世に突入していた。

 中央を抑えた更始帝であったが、地方の諸国を鎮定しておらず、その「天下」はまだ危ういものであった。

 そうこうするうちに、河北へ誰かを派するべき、という議論が生じ、では一体誰を送るべきかという話になった。

 ここで、大司徒・劉賜りゅうしが「諸家の子独り文叔ぶんしゅく(劉秀のあざな)有って用いるべし」と主張した。


 この劉賜は侠客ともいうべき人物で、兄の仇を討つために、私財を投じて刺客を雇い、仇討ちを成し遂げている。

 またある時、宛で任光という男が着飾っていて、それを更始帝の兵が襲いかかってその衣服を剥ぎ取られた上に、殺されそうになった。そこを通りかかった劉賜が兵を制止した。

 当然ながら兵は更始帝の威光をに着たが、劉賜はひとにらみで黙らせている。

 実は先述の劉賜の兄は、更始帝の弟を殺した仇を討っており、そのため更始帝は劉賜に対して何らとがめることはなかった。


 そして今、その劉賜が劉秀の河北派遣を主張されたら、更始帝としては認めるしかなかった。

 しかし、腹の内にはまたちがう考えがあった。


「ただし、兵は出せぬ」


 限りある兵をこれ以上けないという事情を表に出して、更始帝は劉秀に兵を与えることはなかった。そう言われると、劉賜としても何も言えず、だまって頭を下げるのみであった。


「これで……朕が始末せずとも、河北の群雄が劉秀を始末してくれるわ」


 勅命を拒否すればそれでよし。

 飼い殺しのままにしておくだけのこと。

 ほくそ笑む更始帝の下に、劉秀が勅命を受けたことのしらせが届いた。


「では征け。仮令たとい生き延びたとしても、身一つで何ができる」


 たった一人で――何人か仲間はいようが――天下をくつがえすなど、できるものか。

 更始帝は高をくくって、劉秀を送り出した。


 こうして劉秀は、昆陽の戦いに勝利したにもかかわらず、兄を殺され、ろくに兵も与えられずに、河北へとおもむくことになった。

 だがその河北において、劉秀は雌伏の時を過ごすも、やがて大きく羽ばたくことになる。


 ちょうど、身一つから天下を取った、漢の高祖・劉邦のように。

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