02 新末後漢初という時代
前漢末。
荒淫の果てに斃れた成帝、つづく哀帝、そして平帝の擁立へと混迷の様相を見せる宮中において。
その男、
「朕は、皇帝である」
世にいう新王朝を成立した王莽は帝位を簒奪し、彼独自の価値観により、「復古」の国政を開始した。
曰く、官名を古代のものに戻す。
曰く、銭を古代の貝貨へと戻す。
曰く、土地の所有を古代の
……つまるところ、これまで進んできた経済、財産の有り方を否定して、遥か昔の、理論上は「理想」とされた形に戻してしまった。
結果、国政は混乱した。
そしてその混乱は、そのまま叛乱へと直結する。
まず、
本懐を遂げた呂母は亡くなるが、残された集団は解散せず、そのまま新王朝へと叛した。
彼らは敵味方を区別するため、眉に赤く染めた。
このことにより、彼らは「赤眉軍」と呼ばれた。
この赤眉軍の組織内の名称が、旧前漢の官名を使用していることに、痛烈な皮肉が感じられる。
*
赤眉軍が勢力を拡大していく中、荊州にも動きがあった。
地域の顔役である王匡を中心に蜂起が起き、その蜂起はやがて数千人の規模に達した。
その勢力は、最初に立てこもった地――緑林の名を冠して、こう呼ばれる。
「緑林軍」と。
この緑林軍は、草莽から興った勢力の常として、分裂と合流を経て、徐々に一大勢力へと成長していくのだが、その流れの中で、
劉縯の活躍は目ざましく、新の軍隊を次々と撃破し、その宿願である漢の復興へと着実に歩を進めていった。
やがて緑林軍の中で皇帝を擁立しようという話が持ち上がり、漢の皇族の血筋の者である劉縯と、そして劉玄という者が候補に挙がった。
劉縯は組織の分裂を嫌い、敢えて劉玄に皇帝の座を譲った。
劉玄――彼はこの時より
劉縯としては、実は更始帝が凡庸であることを見越し、やがては己が皇帝にと目論んでいた。
「
豪傑として知られる劉縯は、そううそぶいて、戦場へと向かった。ちなみに彼の子孫に劉備という男がいて、やはり天子の座を目指すことになるのだが、それはまた別の話である。
*
その劉縯が宛を攻めている頃。
さしもの王莽も、更始帝とその軍を危ぶみ、大司空・
その数、号して百万。
目指すは、
そこには、劉縯の弟である劉秀が数千の兵を率いて、兄の宛攻略の支援のため、新の領域を攻めているところだった。
王邑としては、その劉秀を討ち、宛を攻める劉縯への圧力をかける狙いである。
そして。
「
だが劉秀は戦いを避け、いち早く昆陽へと引きこもってしまう。
王邑としては、振り上げた拳の持って行きどころを失ったかたちとなった。
「
部下の
「昆陽には数千の兵しかいない。百万の軍で包囲すれば、いと易く
もし長期戦となりそうであれば、力攻めにて攻め落とせばよい、と王邑は荘尤の進言を退けてしまう。
そして王邑を喜ばせる事態が発生する。
劉秀の遁走である。
「逃げたか、
王邑は
ここでまたも荘尤が、兵法によれば城攻めには一方のみ空けるべしと進言したが、王邑は無視。
結果、昆陽の将兵は全滅を避けるべく必死の抵抗をつづけ、王邑の軍は昆陽に釘付けとなり――。
「敵襲!」
逃げたはずの劉秀がかき集めた三千の兵を率いて、王邑の軍を奇襲。王邑の軍は大軍であるため、かえってもたついてしまい、そこをさらに昆陽の城内からの決死の反撃を食らい、撃滅されてしまった。
世にいう昆陽の戦いがこれであり、しかもその戦いに前後して、宛は劉縯により
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