04 河北の劉秀

 黄河を越えて、河北。

 折からの暗雲は次第に濃くなり、やがてその重みに耐えかねたように、雪が舞い降り始めた。


「…………」


 馬上、はらりはらりと落ちる雪をその頭上に受け、黙々と馬を進めるその青年の名は、劉秀。


 更始元年冬。

 劉秀は更始帝の命により、この河北へとおもむいていた。


 更始帝が洛陽、長安をとし、皇帝の座を簒奪した王莽おうもうが死に、天下は更始帝の手に落ちたかに見えた。

 が、地方諸国では群雄が割拠し、ここ河北でも、誰かが何かを策している。


「河北を安んじめよ」


 あまりにも漠とした勅命であるが、河北が不安定なのは事実であり、そこを安定させる必要はあろう。

 劉秀としても、それは首肯するが、問題は――


「兵が無い。やはり、河北の勢力のどこかへ身を寄せ、兵を得るべきでは」


 そう直言してはばからないのは、劉秀麾下きか馮異ふういである。

 馮異は、劉秀が略奪を禁じていることに感銘を受け、己の城を明け渡したという男で、以降、劉秀に私淑して、この河北行にも付き従っていた。

 他にも劉秀には供がいたが、馮異は彼らと必要以上にれ合わず、一定の距離を置き、野外で話す場合は、少し離れた木に寄りかかって聞いていた。

 こうした馮異の「やり方」は、彼にある二つ名をもたらした。

 すなわち、「大樹将軍」と。


「大樹将軍、ではいかにして、兵を得るか」


 これは鄧禹とううという男の発言であり、鄧禹は劉秀が長安で学んでいた頃に知り合った学友である。新末後漢初の混乱の中、これまで野にいたが、劉秀の河北行を知り、駆けつけて合流。以来、劉秀の腹心として仕えている。


「この河北で、誰がどのように動いているか。それを探るほか、あるまい」


 馮異の回答は、ごく当たり前のことであった。

 だがその「当たり前」が難しい。

 劉秀とって、ここ河北はいわば敵地。

 誰が信用できるか、分かったものではない。


「…………」


 一連のやり取りを聞いていた劉秀は、やはり何も語ることなく、馬を進めていた。

 そうこうするうちに、前方に一人の男が見て、おそらく劉秀のことを待っていることが知れた。


「何者か」


 鄧禹が誰何すいかの声を発すると、待っていた男は劉林りゅうりんと名乗った。


「同じ漢室の宗族、見知りおきあれ」


 劉林は含み笑いをしながら拝礼する。

 そして、ぜひ邯鄲かんたんへと言った。



 邯鄲。

 かつて、趙という国の国都であった街。

 劉林はこの街で博徒や者を従え、盤踞ばんきょしていた。

 そして今、この乱世において、「ある策」を画策していたが、その策の実行寸前に、ちょうど劉秀が来たという次第である。


「赤眉が迫っていると」


「さよう」


 劉林の言うところによれば、赤眉軍もまた、劉秀のように黄河を越え、河北への進出を狙っているという。


「そこででござる」


 劉林はわざとらしく人差し指を立てて、己が言説を強調する。


「黄河のつつみを切りなされ」


「…………」


 一種の謎かけである。

 劉秀はそう判じた。

 おそらく劉林は、この河北の地、邯鄲にて自立を目論んでいる。

 その劉林が「黄河の堤を切れ」ということは。


「劉秀どの。この河北においても、長安での出来事はに耳に入っておる」


 更始帝の酷薄さ。

 兄の死。

 様々な出来事が、劉秀の胸中を去来する。


「いかに」


 黄河の堤を切れば、しばらく黄河を渡ろうとする者はいなくなる。

 つまり、劉秀に河北で独立しろと言っているのだ。


「…………」


 しかし劉秀は、劉林に対して答えない。


「いかに、いかに」


 劉林はなおも劉秀に返答を迫ったが、劉秀はやはり答えず、そのうちに、供の者と相談させて欲しいと告げ、席を立った。

 劉林は劉秀の戻るのを待っていたが、いくら待っても姿を見せなかった。そこで手下に探させると、劉秀が邯鄲にいないことが判明した。


げたか」


 だが劉林としては、この事態はむしろ歓迎すべき事態であった。

 劉林は、おもむろに「ある人物」を呼び、かねてから温めていた「ある策」を実行に移した。


「おれは劉子輿りゅうしよだ」


 荒淫の果てに死んだ皇帝・成帝の落胤、劉子輿。

 そう称する男をかついで、劉林は邯鄲を占領。そのまま劉子輿を皇帝として即位させた。

 実際、成帝の落胤という存在はかもしれないが、正式に確認されていない。

 ただ、そう称するがあり、そこにつけこんで天下を狙う輩がいたということである。

 劉子輿を擁する劉林は勢いに乗って勢力を拡大し、河北の各地に檄文を飛ばし、使者を送り、着々と味方する都城を増やしていった。

 

 この劉子輿と称する男、本名は王昌おうしょうといい、卜占ぼくせんで身を立てていた男であり、ある時、青史に名を残すとの占いを得て、河北に流れてきたという。

 王昌は確かに青史に名を残すことになる。

 ただし、王郎おうろうという別名を残し、そしてその別名は、と共に語られることになる。

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