第15話 そして、神話に幕が下ろされる

「貴様は、あのときの“勇敢なる者”か」

「ああ、500年ぶりだな」


 魔王と視線をぶつけながら、ルイは剣にまとわりつく炎を払って、そのまま鞘に戻す。

 あの白銀の剣には見覚えがある。あれは勇者の代名詞――聖剣『レーヴァテイン』。


(これが、本物の“勇者”の姿……)


 まだ痺れる上体を起こして、必死に目の前の光景を目に焼き付けようとする。


 ――流れる静寂。


 しばらく黙り込みながら見つめ合う二人は、どこか懐かしむようにこの沈黙に身を浸している。


「貴様にひとつ問おう」


 不意に魔王が口を開く。


「何を今さら?」


 悪態をつき、ルイは首を傾げる。

 すると、魔王は腰に提げた闇色の魔剣を抜き放つ。そして、その切っ先を突きつけ、静かに問いかけた。


「――500年前語った理想の世界とやらは訪れたか?」


 その問いに目を逸らして、ルイは遠くの空を見る。

 自分には、500年前二人の間にどんなやりとりがあったのかは知らない。それでも、ルイの答えは簡単に予想できてしまう。


「……いいや、実現できたのはロクでもない世界だけさ」

「ルイさん……」


 ため息をこぼすルイを、じっと見つめる。

 そうだ。彼にこんな仕打ちを与えた世界が、理想の世界なわけがない。彼にそう言わせることが悔しくて、ぐっと唇を噛む。


 ふと、ルイがこちらを見る。

 目を丸くする自分を見てから、少し口元を緩めた。


「でもまあ、こんな平和ボケした奴らが生まれてくるぐらいには、十分平和になったさ」


 視線を鋭く戻すと、ルイは魔王に向き直る。


「……フッ、ならば良い」


 ルイがゆったりと聖剣を抜き放ち、魔王が呼応するように魔剣を構える。


「では、これからは……」


 魔王が一歩、足を踏み出す。


「ああ、これからは……」


 ルイも一歩、足を踏み出す。

 一瞬の静寂。そして、500年前と同じように風が吹き込んだ。


「「500年前の続きと洒落込もうか――ッ!!」」


 風を合図に、両者とも弾かれたように駆け出す。

 何度も、何度も剣を交える。だが、その軌跡が見えない。


(は、速すぎる……!)


 格が違う。神話の再現を目の前に、ごくりと息を呑む。


(でも、このままだと――)


 目を凝らす。

 僅かに見えるルイの全身には、剣を交えるごとに浅い傷が刻まれていっている。幸いまだ大きな傷はないが、押されているのは確か。


「くっ……!」


 その証拠に、じりじりと後退しているのがわかる。

 引き離そうと聖剣で強引に払うも、反撃の魔剣がルイの身体を斬りつける。

 逆に一息に飛び込んでも、堅牢な障壁に聖剣の一撃が阻まれる。


 直後、飛び退いたルイは片膝をついて、肩で荒々しく呼吸をしていた。


「さすがに500年のブランクは大きいよなぁ……」


 作業服はすでに至る所が破け、下の肌も傷だらけ。彼が不死だとわかっていても、その痛々しい姿に顔が歪んでしまう。


 ルイはふらつきながら立ち上がり、もう一度駆け出す。

 だが、魔王には一太刀すら届かない。

 また振り払われて膝をつくも、もう一度駆け出す。

 それでも、魔王には届かない。

 傷だらけの身体でまた駆け出し、何度も魔王に振り払われる。


 目の前で何度も何度も繰り返される戦いに目が奪われる。


「ルイさん……!」


 口元を覆い、頬に涙が伝う。

 痛々しい光景だ。普通は見ていられない。

 しかし、なぜかこの繰り返される攻防から目を離せずにいた。


 ――ああ、そうか。やっとわかった。


 そうだ、私はこの景色を見たかったんだ。何度も諦めずに、誰かのために何度でも立ち向かう伝説の“勇者”の姿を……。


「おかえりなさい、私たちの勇者様……っ!」


 抑えていた涙が溢れてくる。

 もう我慢できない。抑えようにも、溢れ出てきて止まらない。


(ルイさん、どうかこの世界を――)


 目尻を拭うと、絶対に見逃さないように剣を交える二人に目を凝らした。


 大きな流れは変わらない。

 ルイが攻め込み、魔王が押し返す。

 十回、二十回、五十回、百回……。

 何度も何度も、同じ光景が繰り返される。


 剣を交えるたび、ルイの身体には傷が刻まれる。対照的に、魔王は無傷。

 それでも、ルイは聖剣を振るい続ける。何度でも、何度でも……。


「え……?」


 すると、徐々にフィルディナントが後退しはじめる。

 さらに十回、五十回、百回、千回……。

 もはや数え切れないほどに剣を交える。散る火花は激しさを増し、剣戟の音も耳をつんざくほどに大きくなっていく。


 何時間が経っただろうか――。


 ついに、そのときが来た。


「……アァァァァァ――ッ!!」


 雄々しく吼え、大上段に聖剣を振り上げる。

 対する魔王も、その一撃を防がんと魔剣を構える。

 そして、輝きを纏って聖剣が振り下ろされる。


「――――ッ!?」


 光と闇が交差し、視界が圧倒的な光量に塗り潰される。


(いったい、どうなって……!?)


 ぎゅっと閉じていた目を開き、ルイの姿を探す。


「あっ……!」


 目に映ったのは、砕かれた魔剣と、魔剣ごと魔王を刺し貫くルイの背中だった。

 血の塊を吐き、魔王は後じさる。


「み、見事だ、勇敢なる者よ……」


 よろめく魔王を見るルイの横顔は、どこか悲しげに映った。


「……なあ、やっぱり俺らは戦うしかないのか?」

「何を言うか。我は侵略者、貴様は守護者。ならば、交わる道など存在するはずがなかろう……」


 魔王は血を吐きながら、ルイを鋭く睨みつける。


「そう、か……」


 どうして、そんなことを問いかけたのかはわからない。だが、やはりルイは残念そうに眉を曲げた。

 首を左右に振ると、ゆっくりと近づき、聖剣を頭上に掲げる。


「……それでよい」

「――ああ、今度こそ終わらせよう」


 剣を振り下ろし、ピタリと静止するルイ。一瞬間をあけると、魔王が塵となって消えていく。

 最後に見えた魔王の表情は、なぜか晴れやかに見えた。


 完全に消えると、ルイが聖剣を鞘に戻して天を仰ぐ。


「――――――――」


 なにか、つぶやいたように見えた。だが、聞こえない。


「ルイさん、あの……」


 その横顔に、無意識に声をかけていた。

 なんて声をかければいいのかわからない。それでも、何か言わなければ……。

 言葉を探していると、ルイがぼそりと何か口にする。


「――……れよ」

「へ?」


 何と言ったのだろう。目を丸くする。

 すると、ルイは振り返って、少し気恥ずかしそうに頬を掻いた。


「……あとで、ケーキぐらい奢れよ?」


 思わず、ポカンと口を開けて固まってしまう。

 そのまま座り込んでいると、ルイは先に階段を下りていく。


「は、はい! よろこんでっ!」


 大慌てで立ち上がり、ルイの背中を追いかける。

 身体は疲れ切っているのに、二人の足取りは軽やか。


「ちょっ……ちょっと待ってくださいよ~!」


 階段を駆け下りていく中、空を見上げると、まっすぐに一筋の光が差し込んでくる。


 ――光に包まれながら歩く二人は、まるで天から祝福されているようだった。

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