第14話 たとえ偽りの勇者だとしても

 衣服が身体に貼りついて、居心地が悪い。

 頬に伝う煤混じりの黒い汗を拭って、肩を激しく上下させる。


「はぁ、はぁ……これで、ひとまず片付きましたか……?」


 周りを見回すと、数えきれないモンスターの死骸が転がっているのが見える。一歩、大地を踏みしめると、粘ついた血のりの感触が伝う。


 荒れた呼吸を鎮めつつ、ふと背後に目を向ける。

 そこには、すでに満身創痍の兵士たち。鎧は斬り裂かれ、中には四肢のいずれかを失っている者まで見受けられる。


(連戦に次ぐ連戦で、教会の精鋭部隊も重軽傷者多数。中には、すぐさま処置をしないと助からないような重傷者までいる状況……)


 自分の身体を見下ろす。

 神官服は至る所が破け、その下の肌にも血の線が刻まれている。だが、大きな怪我はない。


(軽傷で済んでいるのは、私だけ……ですか……)


 道中を思い出し、苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。


(私が“勇者”だから、ですか……ッ!)


 そう、魔王と戦うのが“勇者”として選ばれた自分の役目。

 だから、魔王と戦うまでに消耗させるわけにはいかないと、ここまで皆に庇われてたどり着いたのだ。


 ――情けない。


『私が、もうあなたの戦わなくていい世界にしてきます』


 ルイにそう啖呵を切ったにもかかわらず、実際は守られているだけの“お姫様”。


(……やっぱり、私なんかにはルイさんの代わりは務まらないってことですか)


 唇を噛み、血が滴る。

 部隊の皆に背を向けると、ひとり天に届くほどの石階段を見上げた。


(でも……それでも、私は……――)


 こぶしを握り、湧き上がる不安を唾と一緒に飲み込む。

 そして、意を決して頷くと、覚悟を胸に歩き出した。


「く、クレア様! いったいお一人でどこへ……?」


 呼び止める声に、足を止める。


(バレてしまいましたか……)


 背を向けたまま、頭を掻く。


「まさか、お一人で魔王と対峙するおつもりですか……っ!?」

「いやぁ、そんなわけないじゃないですかぁ~」


 振り返って、少し困った笑顔を向けてみる。


 ……大丈夫だろうか。ちゃんと笑えているだろうか。


「ただの散歩ですよ、散歩。だから、ちゃんと怪我人の応急処置、頼みましたよ?」

「クレア様……」


 呆然と見上げる兵士から視線を外し、また歩き出す。


(さすがにわざとらしすぎましたかね……?)


 苦笑いをこぼし、頭を掻く。

 昔から、嘘というのがどうも苦手だ。そういえば、拾ってくれた教会の皆にも、「正直すぎる」って言われていた気がする。


(まあ、バレていてもあれだけの重傷だと、誰も追っては来れないでしょう)


 大丈夫。自分にそう言い聞かせて胸を叩く。

 彼らは、十分すぎるほど戦った。その役目を全うした。だから、もうしっかり休んでいいのだ。


 ――そう、ここから先は“勇者”としてこの場に立つ、私の役目。


 胸に覚悟の火を灯すと、一歩一歩踏みしめながら階段を上っていく。


(これを上りきったら、そこには魔王が眠る祭壇が――)


 階段の先を見上げる。まだ終わりは見えない。

 だが、確実にこの先に魔王はいる。亡骸なのか、復活しているのかはわからない。それでも、一歩踏みしめるたびに圧し掛かる重圧が、魔王の存在を確信させる。


(ルイさんは500年前、こんな重圧をひとりで背負っていたんですね……)


 すごい。自分はもう今にも挫けそうなのに……。


 身体は小刻みに震え、気を抜けば進む足を止めてしまいそうになる。

 階段を上っているだけで息が上がり、自分では見えないが顔色も悪くなっていることだろう。

 こんな重圧を、もう一度ルイに押し付けようとしていた。

 そう考えるだけで、後悔が湧き上がってくる。


 ふと、足を止める。

 そのままおもむろに振り返ると、遠くの空を見つめた。


(ルイさん、私があなたの戦わなくていい世界をつくりますから。絶対に……!)


 これはせめてもの償い。

 この時代の問題は、この時代に生きる自分たちが片付けなければならない。過去の英雄に背負わせるべき問題じゃない。


「……さあ、行きましょうか」


 向き直り、また歩き出す。

 どれほど歩いただろうか。どれほど時間が経っただろうか。


 ……五分? 一時間? それとも、半日ほど歩き続けた?


 時間の感覚も失われてきた頃、ようやく祭壇へと足を踏み入れた。


「――ッ!?」


 祭壇に踏み入った瞬間、急いで身構える。

 目の前には、横たわっている飛竜『ワイバーン』の巨躯。それも一体や二体どころではない。十体は最低でもいるだろう。


(さすがに、十体を一度に相手取るのは……)


 そこまで考えると、少し違和感を覚える。

 ワイバーンがピクリとも動かないのだ。これだけ敵意剥き出して身構えているのに、ワイバーンはなぜか眠っているように横たわったまま。

 恐る恐る身体の前面の方へ回り込むと、言葉を失った。


「え……もしかして、死んでる……?」


 さらに一歩ずつゆっくりと近寄るも動かない。

 よかった。胸を撫で下ろす。

 そして、立ち止まって辺りを見渡すと、他にも数々のモンスターが横たわっている。動かないところを見るに、おそらくすべて息絶えているのだろう。


「魔王の姿も見えないってことは、儀式が失敗したとみるのが妥当ですけど……」


 たしかに、広場の奥には祭壇が設置されている。ただ、この場には動く者が自分以外に存在していなかった。

 目の前のワイバーンに視線を戻して、目を凝らす。


(でも、どうして傷一つないのかが……――)


 眉間にしわを寄せて思案に暮れていると、ふと背後に人の気配を感じた。

 弾かれたように振り返る。すると、祭壇の裏手から一人の青年が姿を現した。


「この地は、500年前と変わらんな」

「――っ!?」


 慌てて飛び退き、片手に剣、もう片手に杖を構える。

 警戒を緩めることなく、青年の全身に目を配る。


(肌は浅黒く、額には双角。目は鮮血色……。この男、いったい何者ですか?)


 つい今まで、まったく気配を感じなかった。

 普通に考えると、気配が薄すぎて感じ取れなかった、ということになるが……。


(こんな濃密な気配、見逃すはずがありませんよ……!?)


 その姿を見ているだけで、その殺気に身を晒しているだけで、身体の奥から湧き上がる震えが止まらない。

 とてつもないプレッシャーだ。こんな圧倒的な気配の持ち主なんて、見たことがない。


 もしかして、この男が……――。


 大きくあくびをする青年をじっと観察していると、不意にこちらへ目を向けた。


「……ッ!」


 見られた。ただそれだけで、とてつもない悪寒が奔る。


「ふむ……」


 青年は顎に手を当て、少し上の方へ目を向ける。

 すると、こちらへ視線を戻して、青年は手のひらに炎球をつくり出す。


「――些か物足りんが、準備運動にはよいか」


 冷や汗が止まらない。

 男の手にあるのは、小さな太陽の再現。もはや、人の業ではない。

 息を呑み、頬に汗が伝う。


(この男、今までに出てきたどんなモンスターよりも強い――ッ!)


 確信した。この男はここで倒さなければならない。

 鋭く睨みつけると、悠然と佇む謎の青年へ猛然と駆け出す。


「やぁぁぁ――ッ!」


 喊声を上げながら、右手に握った剣を大上段から振り下ろす。

 裂帛の気合いを籠めた一撃。

 刃が眼前に迫る中、男は身じろぎひとつせず、ひたすらどこか遠くの空を眺めるのみ。


(避けない? なら、このまま――ッ!)


 油断しているのなら、今が最大の好機だ。

 左手の杖に魔力を通すと、再加速。勢いそのままに脳天めがけて剣を振り下ろした。


 ――決まった。


 そう思った刹那、男はつまらなさそうに鼻を鳴らした。


「……ふん、見込み違いか」


 こちらに目もくれず、投げ捨てるようにして小さな太陽を放り投げる。


「くっ……!」


 咄嗟に攻撃を中断。

 慌てて剣を引き戻すと、杖と交差させて防御態勢をとる。

 だが、このままでは耐え切れない。


「せ、《聖盾》――ッ!」


 苦痛に顔を歪めながら、炎球と自分の間に障壁を展開。どうにか炎球の勢いを押しとどめようとする。


 ――が、それでも足りない。


 次第に剣はひび割れ、杖は軋み始める。

 ギリギリで鬩ぎ合っている中、唐突に炎球が弾けた。


 ……あ、これはマズい。


 浮遊感に包まれ、次の瞬間、背中に衝撃が来た。


「かはっ……!?」


 肺の空気がすべて叩き出される。息ができない。苦しい。

 視界がかすむ。頭を打ったのかもしれない。


(だめ……なにも……かんがえられない……)


 揺らぐ視界の中、男がようやくこちらを見た気がした。


「つまらん」


 吐き捨てられた言葉を耳にしたと同時、視界が灼けるような光に支配される。またあの炎球をつくり出しているのだろう。


(あんな大威力の魔法を、こんな簡単に……)


 まるで息をするかの如く自然に、大魔法を操る異様さ。そして、彼が現れた姿を現したこの場所。

 ひとつひとつがパズルのピースのように、組み合わさっていく。


(ああ、やっぱり“魔王”は復活していたんですね……)


 すべてを悟った瞬間、魔王はこちらへ二つ目の炎球を投げつける。

 ゆったりと迫る閃光に負けて、瞼が落ちていく。


 ……私、ここで死ぬんだ。


 目を閉じると、死が迫っているというのに、なぜか心に落ち着きが広がってくる。


(ごめんなさい、ルイさん。やっぱり、偽物の勇者では世界を救えないみたいです)


 穏やかな心に、一点の後悔だけが浮かんでくる。

 そうだ。最後にルイに謝りたかったんだ。


(勝手に巻き込んでごめんなさい。勝手に背負わせようとしてごめんなさい。勝手に――)


「――あなたに憧れて、ごめんなさい」


 言葉に出して、胸が軽くなる。

 これで、もう思い残すことは何も……――。


 刹那、待ち焦がれた声が鼓膜を叩いた。


「今さら何言ってんだか、まったく……」


 どうして。もう戦わなくていいのに。もう何も背負わなくていいのに。


 ……どうして、あなたはこの戦場に戻ってきてしまったの?


「……るい、さん?」


 目を開く。

 見えるのは、見慣れたとても安心する背中。戦場に似合わない薄汚れた作業服に身を包み、安全靴で地面を鳴らす。


 彼にだけは来てほしくなかった。

 でも、どうしてだろう。


 この胸にこんな温かな気持ちが広がるんだろう……。

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