第13話 親愛なるあなたへ
翌日の空も、やはり雨模様。雨の日の憂鬱は払うには、やはり美味しいものを食べるに限る。
ケーキを一口分切り分けると、ゆったりとした手つきで口へ運ぶ。
次いでコーヒーを含むと、喉を鳴らして背もたれに身体を預けた。
「ふぅ……」
息を吐き、天井を見上げる。
すると、頭上からにこやかな笑みを携えたマスターが覗き込んでくる。
「何か、お悩みですかな?」
「あ、なんかすいません……」
慌ててだらけた姿勢を正す。そういえば、追加のコーヒーを頼んでいたんだった。
少し気恥ずかしさを覚えていると、マスターは微笑みながら二杯目を静かに差し出してくる。
「それで、どんなお悩みが?」
「いや、別に悩みってほどでも……」
「いえいえ、それは失礼しました」
マスターは慇懃に一礼して、カウンターの方へ。
余計な詮索をしない優しさが心に沁みる。たまらず目を逸らすと、マスターと反対側の壁の方へ顔を背けた。
(あっ……あれは……)
目に留まったのは、壁に嵌め込まれている映像水晶。
そこから垂れ流されている映像に、顔をしかめた。
『私の名はクレア・エアハート。教会所属の神官であり、この度新たな時代の勇者として立ち上がった者です』
映像の中で話すクレアを見て、ルイは眉間にしわを寄せる。
水晶から目を逸らすと、困った表情をカウンターに立つマスターへと向けた。
「……あの、昨日からこればっかりで気が滅入るから、別の放送に変えてもらえます?」
「ええ、かしこまりました」
マスターが水晶の嵌め込まれた壁の方へ歩いてゆく。
その背は、どこか寂しそうに映った。
「知っていましたか? あの子、あれからよく来てくれていたんですよ」
マスターは映像を切り替えるため水晶に手を当てながら、ふとそんな言葉を投げかけてきた。
「クレアのやつが?」
「ええ、とてもおいしそうに食べてくれるんですよ」
こちらを見ることはなく、背を向けたまま淡々と操作していく。
だが、不意にその手が止まった。
「マスター……?」
不思議に思い、その背を見つめる。
目を凝らしてみると、ほんの僅かに震えていた。
(もしかして泣いて……――?)
大丈夫かと駆け寄ろうとした瞬間、マスターは何かを堪えるように天井を仰ぎ見る。
「本当に……本当においしそうに食べてくれたんですよ……」
悲しげに震える声に、耳を塞ぎたくなる。
そんな声を出さないでくれ。胸が締め付けられる。
一度、鼻をすするとマスターは真っ赤に腫らした両目をこちらへと向けた。
「魔王討伐になんて行っちゃうんだったら、僕のケーキをおいしそうに頬張る姿はもう見れないのかなぁ……」
必死に困ったような笑顔をつくるマスター。しかし、目尻からは次々と涙が溢れだしてくる。
「すいませんね、少しばかり涙もろくなってしまって……。まったく、年だけはとりたくないもんです」
頭を掻いて、カウンターの方へ戻っていこうとする。
だが、慌ててその背を呼び止めた。
「あ、あの……マスター……俺……」
「……? どうかしましたか?」
ダメだ。言いたいことがあって呼び止めたはずなのに、言葉が出てこない。
「あ、その……本当に、すみません……」
「何を謝っているんですか。愚痴を聞いていただいたんですから、私が謝る方ですよ」
自虐気味に笑みをつくると、そのままカウンターへ消えていく。
「あっ……」
――クレアが戦いに向かったのは、俺のせいだ。
そう訂正しようとしても遅い。
ちゃんと伝えられないもどかしさに歯ぎしりをすると、テーブルの下でこぶしを強く握り込んだ。
◇ ◆ ◆ ◇
帰り道。不意に道の真ん中で立ち止まって真っ暗な空を見上げる。
星は見えない。まだ分厚い雲が空を覆っているのだ。この空模様は、どこか自分の心模様を示しているように思えて、目を逸らす。
目を閉じて、息を吐く。
『もう二度と、誰にも私のような思いをしてほしくない。だから、私は魔王を打ち倒しに行きます』
『――私が憧れた、伝説に語られる偉大な“勇者”のように』
脳裏に浮かぶのは、クレアの演説での言葉。そして、悲しげな笑顔。
「……何してんだよ、あいつ」
目を開けると、頭を左右に振る。
「いや、何してるんだってのは、俺の方か……」
頭を強く掻き毟り、止めていた足を自宅へと進める。
ダメだ。無心で歩こうとすればするほど、頭の中でクレアの声が浮かび上がってくる。それも別になんてことはない、ただの日常会話ばかり。
自分を『勇者様』と呼ぶ、弾んだ声。
玄関を破壊したことを誤魔化す、小刻みに震えた声。
荷物を山のように抱えて誇らしげに鼻を鳴らす、自信に満ちた声。
ありえない量を食って腹を叩く、満足げな声。
そのどれも、あの演説の日のクレアには存在しなかった。自分が彼女からそれらを奪ったのだ。
――そう、勇者であったはずの俺が、過去と立ち向かうことから逃げたから。
「って、そんなこと言ってたら梯子素通りして玄関まで来てるし……」
ため息ひとつ。
そして、舌打ちをこぼすと、玄関の扉に八つ当たりの蹴りをお見舞いしてやる。すると、蹴られた扉が音を立てて独りでに開いてきた。
「あれ、また壊れてる……?」
いや、そんなはずはない。
以前、クレアに壊されてから、扉ごとすべて新品に買い替えたのだ。こんな軽い蹴り程度でまた壊れました、じゃ話にならない。
首を傾げて下の方に目を凝らすと、あるはずのノブが見えない。
しばらく思考が止まる。だが、すぐにその意味を頭は理解した。
「まさか――ッ!?」
半開きの扉を全開にし、玄関に荷物を投げ捨てる。そして、玄関の段差につまづきつつも、一心不乱に部屋の中へ転がり込んだ。
「クレア!? いるのか、クレア!?」
自分の中にこれだけの熱量があったことに驚きつつも、見慣れた部屋を見回す。
だが、誰の姿も見えない。
がっくりと肩を落とし、力なく壁にもたれかかった。
「……って、いるわけないか」
隣の部屋から壁を殴る音が届いてくる。さすがにうるさかったみたいだ。
大きくため息をつくと、そのままテーブルの方へ。
ちょうど雲間から月が顔を出していて、月明かりがテーブルの上を照らしている。もう少し心の余裕があるときならば、純粋に綺麗な光景だと思えただろうが……。
そこまで考えたとき、ふとある一点に目が留まった。
「ん? なんだこれ?」
月明かりで照らされたテーブルの中心。そこに見慣れない一通の手紙のようなものが置かれている。
こんな封筒、置いた覚えどころか見た覚えすらない。
警戒しつつ持ち上げて、裏面を目でなぞる。
(差出人……『クレア・エアハート』……っ!?)
その名を目にした瞬間、衝動的に手紙の封を解く。
中には、丁寧に折りたたまれた数枚の便箋。開くと、少し幼さの残る丸っこい字が並べられていた。
「『親愛なる“不屈の勇者”ルイさんへ』……?」
眉をひそめ、ゆっくりと椅子に腰を落ち着かせる。
そのまま手紙の続きに黙って目を通す。
『まず、私は次世代の“勇者”として、復活しようとしている魔王の完全な討伐のため戦いに向かいます。報告が遅くなって、本当にすみません』
頬を引き攣らせて、つい手紙を握る手に力が籠もる。
……落ち着け、落ち着け。
数度深呼吸をして、荒れそうになった心の波を鎮める。
『それと、今までしつこくつきまとってすみません。ルイさんの事情も知らずに「もう一度世界を救ってほしい」なんて、失礼でしたよね……』
ダメだ。どうしても湧き上がる激情を抑えきれない。
手紙に書いてある通り、本当に自分勝手だ。勝手にしつこつつきまとってきておいて、今さら〝勇者〟を次いで戦いに出ようなんて……。
さらに手に力が籠り、手紙に皺が寄る。
『ですから、もうそんな厚かましいお願いはしません。私が、もうあなたの戦わなくていい世界にしてきます』
ふと、演説の際に見せた歪んだ笑顔が脳裏によぎる。
やはり、あの言葉と笑みは自分に向けたものだったのだろう。
(どうして、急にそんなことを……)
あれだけ何度断られようとつきまとっていたあのクレアが、なぜこうも急に諦めてしまったのか。
だが、本当は理由なんてものはわかっている。
(……俺のせい、か)
自分の身勝手な八つ当たりが、クレアを思い詰めさせてしまったのかもしれない。
(やっぱり、あんなロクでもない昔話なんてするんじゃなかったかな……)
長々と息を吐いて、手紙をそっとテーブルに戻す。
天を仰ぐ。
今さら後悔したところで、今から何を変えられるというのだろうか。自分が何をしても、クレアが重責から解放されるわけじゃない。
(それに、これは俺が押し付けた重責だ。俺がその重責から救おうとするのは、筋違いってもんだ)
身勝手だと、クレアを称した。
しかし、本当に身勝手だったのは自分だったのかもしれない。
(結局、500年経っても、後悔ばかりだな……)
自虐気味に鼻を鳴らすと、また視線を落とす。
すると、月明かりの示す先――クレアの手紙のある一点に目が吸い寄せられた。
「なんだこれ、消した跡か?」
インク消し用の薬品を使ったのだろう。少し紙自体が黄ばんでしまっている。
(それにしても、相変わらずやることが大雑把だなぁ……)
薬品を使ってからきちんと乾かさなかったのか、筆記跡も若干残っている。再び持ち上げて月の光に晒すと、最後の一文が浮かび上がった。
『――でも、これから死んでしまうかもしれないと思うと、やっぱり怖いですね』
消して隠そうとした本心。
それを目にした瞬間、衝動的に椅子から飛び上がっていた。
「あいつ……ッ!」
遠くの空を睨みつけ、窓から勢いよく飛び出す。
もう頭に巡っていた陰鬱とした感情や後悔なんて、とっくにすべて消え去っていた。
◇ ◆ ◆ ◇
闇夜に紛れて屋根から屋根へと飛び移るなんて、なんとも格好つけた移動の仕方だ。
あまり人目につかないように、とこのルートを選んださっきまでの自分が恨めしい。今さらながら恥ずかしくなってきた。
それにしても……――。
「チッ、質屋の野郎非常事態だってのにふっかけやがって……っ!」
恨めしい視線を、左の腰に落とす。
そこには、月光を反射させて輝く白銀の剣。精巧につくられたその剣は、どこか浮世離れしている。
この白銀の剣こそが――聖剣『レーヴァテイン』。
数十年前、金に困って質に入れた聖剣をつい先ほど買い戻してきたのだ。かなりふっかけられた気もするが……。
(あー、思い出したらもっとイライラしてきた……っ!)
無造作に聖剣を抜き放つと同時、屋根を踏みしめ、さらに一段高く跳躍する。
眼下に立ち並ぶは、荘厳な聖堂たち。それらを憎らしげに睨みつけると、手近な聖堂へ一直線に聖剣を振り下ろした。
「ウラァ――ッ!」
一瞬で真っ二つにされ、崩れ始める聖堂。
そのまま軽やかに着地すると、一帯に向けて大きく吼えた。
「お前ら、さっさとここの一番エラそうなやつ出せぇッ!」
もはや犯罪者のような物言いで、周囲で慌てふためく神官たちに叫びを投げつける。
「オラオラァ! 早く一番エラそうなやつ出さねえとおたくらの聖堂がすべて見るも無残な姿になるぞ!!」
言いながら、聖剣を数度振るう。
すると、立ち並んでいた聖堂がひとつ、ふたつと崩れ落ちていく。
レンガやガラスの崩れる音が鼓膜を叩く。
(少しうるさいな……)
鬱陶しい。瓦礫へ聖剣を一閃。
直後、崩れ落ちる瓦礫が粉々に砕かれ、静寂が訪れる。
「で、誰がここで一番エラそうなやつなんだ? 早く吐いた方が身のためだが?」
しんとした静けさの中、聖剣の切っ先を近くの神官へ突きつける。
我ながら、こういう悪役のようなセリフが流れるように出てくることには呆れるしかない。実は勇者より、魔王の方が性に合っているんじゃないだろうか。
緊張の糸が張りつめる沈黙。
すると、背後の方から声が上がった。
「わ、私が大司教だ! 聖堂を破壊するとは、神への冒涜にほかならぬ。何者だ貴様ァ! 名を名乗り、早々に懺悔しろ!!」
呆れた。この期に及んで、まだ自分の方が立場が上だと思っている。
目つきを一層険しくすると、切っ先を神官から大司教の男へと移す。
「……はぁ。この剣を見ても、まだそんなことが?」
聖剣を頭上に掲げ、刀身に魔力を注ぎ込む。その途端、白銀の刀身から目を焼くほどの閃光が迸った。
「なっ、それは……っ!?」
周りの神官はポカンとしているが、大司教だけは顔が引きつっている。さすがに、ここのトップともなるとわかるようだ。
馬鹿にしたように、鼻を鳴らして宣言する。
「神に仕えるおたくなら見間違うはずないよな? 伝説の聖剣『レーヴァテイン』が放つこの聖なる輝きを」
「――っ!?」
悠然と歩み寄り、掲げていた聖剣の切っ先を大司教の喉元に突きつける。少し目測を誤ったのか、大司教の脂の乗った喉からは一筋血が伝ってくる。
(まあ、これぐらいしておいた方がいい脅しにはなるだろう)
大司教の震える瞳をじっと見据え、唸るような低い声を放った。
「――貴様ら、よくも俺の偽物をつくり出してくれたな?」
鋭く睨みつけられ、尻餅をつく大司教。追い打ちをかけるように顔を鼻先まで近づけ、大司教の怯えた瞳と視線をぶつけ合わせる。
「ま、まさか、貴様が500年前に魔王を滅ぼした“本物”だとでもいうのか!?」
「だから、そう言ってるだろう?」
まさか、クレアを派遣しておいて、勇者が生きていることを知らないとは思わなかった。
ということは、どうやらこの男がクレアを派遣したわけではないらしい。もっと上層部なのだろうか……。
考え込みながら顔を離すと、今度は聖剣を大司教の眼前に突き出す。
「さあ、魔王の完全討伐とやらのために派遣した“偽物”をさっさと連れ戻すよう、指示を出していただけるかな、大司教殿?」
「くっ……」
大司教は顔をしかめ、少しうつむく。
だが、こんな状況だというのに、言い淀んでなかなか答えを出そうとしない。
「さあ、早く!」
さらに追い立ててやると、苦々しい表情で言葉を絞り出した。
「それは……できん……」
「なに……っ!?」
思わず大司教の胸倉を掴み上げ、喉に聖剣の刃を突きつけてしまう。一本、血の線が描かれながらも、大司教は口元に笑みを浮かべる。
そして、懐から映像水晶を取り出した。
「――もう、奴らは『訣別の地』へたどり着いた頃だろうよ」
「……ッ!?」
そこに映し出されているのは、荒れた道を行く教会の兵士たち。その先頭には、もちろんクレアの姿も見える。
……遅かったか。
その事実を認識した瞬間、大司教を投げ捨て、猛然と駆け出していた。
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