第四章 勇者、起つ
第12話 雨の日の胸騒ぎ
最近、雨が目立つようになってきた。
空に青がないのは当たり前。黒の交じり具合で天気の良し悪しを判断しているような状況だ。
二日に一回は大雨。それ以外の曜日も、基本的にまったく降らない日はないほど。
雨は嫌いだ。思考までどこか悪い方へと引っ張られてしまう。
ふと、壁越しに届く雨音で思い出したことがある。
(……ああ、そうだ。故郷を滅ぼされたあの日も、こんな雨の日だったんだ)
だから、今でも雨が嫌いなのだろうか。
別に、今さら故郷を滅ぼされた恨みを抱えているわけではない。そもそも、あの頃ですら、そんな安っぽい復讐心なんかで立ち向かったわけじゃない。
ただ、自分のような思いをしてほしくなかった。ただ、それだけだった。
『……本当にそいつらに救ってやる価値はあるのか?』
つい先日、クレアに放った言葉が蘇る。
(どうして、あんなこと言っちまったかねぇ……)
――500年前から、後悔ばかり募っている。
重々しくため息をこぼすと、うつむいた自分の目の前にずいっと顔が割り込んできた。
「……イさん。聞いていますか、ルイさん?」
アニタに名前を呼ばれ、慌ててうつむけていた顔を上げる。
そうだった。今は事務所に来て、受付を済ませているところだった。
「あ、ああ。悪い、聞いてなかったわ……」
「もうっ……」
頬を膨らませるアニタ。そして、なぜかこちらの顔をまじまじと見つめる。
(ん? 何かついていたか……?)
首を傾げると、アニタは眉を不安そうに曲げた。
「本当に大丈夫ですか? もし体調が優れないなら……」
「いやいや、大丈夫だ」
手をひらひらと振り、大丈夫だとアピール。そんなに様子がおかしかっただろうか。反省反省……。
頬を二、三度叩いてから、振り返って歩き出す。
「る、ルイさん!」
すると、すぐに呼び止める声が飛んでくる。
少し振り向くと、立ち上がったアニタが受付に身を乗り出してきていた。
「……なんだよ?」
「何か、あったんですか……?」
問われ、黙り込む。
(……何かあった、か)
あったと言えばあったが、それほど大きなことじゃない。
ただ、ほんの少しの自己嫌悪と雨の憂鬱のせいで、アニタを心配させてしまっているだけだろう。
「まあ、ちょっとな……」
ひとまず適当に流しながら、事務所の外へ。そして、曇り空を見上げた。
見上げる空は、黒一色。晴れ間はやはり見えない。
どうやら、今日もこの胸に重くのしかかる陰鬱とした感情は晴れてくれないらしい。
◇ ◆ ◆ ◇
湿り気の強い空気は身体にまとわりつくようで、ただそれだけで気持ちの悪さを感じてしまう。そこに働いて流した汗も加わると、不快感に顔をしかめたくなるのも仕方がないというものだ。
晴れ切らない気持ちのまま、肩に担いでいた建材の木を荷車に積み込んだ。
「ふぅ……」
倉庫内には、薄い屋根に当たる雨の音だけが鳴り響いている。まるで、ぽっかりと穴が開いたかのような静けさだ。
ふと、倉庫内に視線を巡らせる。
(やっぱり、今日も……――)
落胆にため息をつく。
すると、突然背中にバンッと叩かれたような衝撃が来る。
おもむろに振り向くと、少し粗野な印象の男性――『親方』の顔が目に入った。
「おお、ルイ! 今日は一人か? こりゃ珍しいな!」
――『今日は一人』。
この表現を聞いて、眉間にしわを寄せる。
「お、おやっさん。やめてくださいよ、俺とあいつはそんなんじゃ……」
「いやいや、皆まで言うんじゃねえ! ちゃんとわかってるからよ。な?」
「い、いや……だから……っ!」
ダメだ。人の話をまったく聞かない。
しっかりと周りを見ていて面倒見もいいのだが、ほんのちょっと人の話を聞かないところが欠点なのだ。
どうやって訂正したものか……。
そのとき、ちょうど休憩時間を知らせる鐘が鳴った。
「まあ、昼からもいつも通り頼むわ~! じゃっ!」
親方はもう一度元気よく背を叩くと、足早に食堂へと歩いていく。
「だから、別にあいつと俺は……って、人の話まったく聞いてないし」
肩をすくめて、首を左右に振る。
そうだ。別にここにいない“もう一人”とは何もないのだから、無理に訂正しなくてもいいじゃないか。
妙にさざ波立った心を落ち着かせていると、すれ違うようにして作業員たちが一斉に食堂へ向かっていく。
結局、残っているのは自分だけ。
振り返って、もう一度倉庫内をぐるりと見渡した。
「クレアのやつ、急に現れて急にいなくなりやがって……」
舌打ちをこぼして、何もない床を蹴る。
だが、気は晴れない。
「……くそっ」
頭を掻き毟って、倉庫を後にする。
心に立ち込める暗雲は、どうやってもその勢いを増すばかりだった。
◇ ◆ ◆ ◇
――ため息をつくと幸せが逃げる。
どこの誰が言ったのかわからないが、そんな言葉がある。
(それが本当なら、今日だけで一生分の幸せを逃していそうな気がするな……)
やれやれと首を振ると、湯舟から立ち上がる。そのまま身体についた水滴をタオルで軽く拭き取って、脱衣所へ。
扉を開けた瞬間、脱衣所の一画に目が留まった。
「ん? 何かあったっけ……?」
なぜかそこだけ人が集まっている。
(……たしか、あそこには映像水晶があったか?)
全国各地、水晶同士をリンクさせ映像を放送するための魔道具。普段は大衆向けの娯楽番組を放送しているのだが、たまに『国営放送』という名前で重要会見なども放送したりもする。
ただ、この時間帯は人気番組、国営放送ともに予定はされていなかった気がする。
(まあ、それほどよく覚えてはいないんだが……)
まだ身体中に残る水滴を拭いつつ、人だかりの方へと近づいていく。
その中心には、やはり映像水晶。
(神官……? ってことは、国営放送の類か?)
水晶が虚空に照らし出している映像の中、どこか見覚えのある神官服をまとった青年が佇んでいる。
『我々はエンフィールド国教会所属の神官団である』
その言葉に顔をしかめる。
――『エンフィールド国教会』。クレアもたしかそこの所属だったはず。
(神官服に見覚えがあったのは、そういうことか……)
言われてみれば、そんな気がする。
タオルを腰に巻くと、自分も人だかりに混ざって映像を見つめた。
『まずは、本日このような形で緊急放送を行うことになった経緯をお伝えしようと思う』
厳かな空気のまま、神官は紙束を一度顔のあたりまで持ち上げる。
『これは、とある一連の事件に関する報告書だ』
紙束を手元に戻すと、視線を落としてページをめくる。
報告書に目を通しながら、それを口に出して読み上げていく。
『近年、「訣別の地」付近に凶悪なモンスターが集結しつつあること。各地で不自然なモンスター被害が頻発していること。モンスターの狂暴性が明らかに増大していること。この中のひとつぐらいは、皆にも覚えがあると思う』
聞き覚えのある内容だ。クレアも同じようなことを言っていた。
ということは、続く内容は……――。
続く言葉を思い浮かべていると、神官は紙束から視線を上げ、まっすぐ映像越しにこちらを見据えた。
『我々、エンフィールド国教会はずっと疑念を持っていた。本当にかの魔王は500年前に滅んだのか、と』
脱衣所中がざわめく。
「魔王って、なんだっけ……」
「あれじゃないか? おとぎ話の」
「アレ、500年前に起こった実話だって話もあるらしいぜ?」
だが、誰一人あまりピンと来ていないようだ。
それも無理はない。500年も昔のことを実際に見たことがある人間は、この時代のどこを探そうと自分ただひとりしかいないのだから。
眉をハの字に曲げていると、神官が演説台にこぶしを振り下ろす。
『――それは“否”だ』
神官はもう一度紙束を顔の横に掲げて吼える。
『これは、魔王復活の兆しであると我々は断定した! 魔王は完全に滅びてはいなかったのだ!』
周りで息を呑む音が聞こえてくる。
500年前のことはよく知らなくとも、この神官の真剣な物言いが緊張を伝播させていく。
(どういうつもりだ? このままだと、ただ不安を不用意にばら撒くだけだぞ……?)
意図が読めない。
思考を読み切る前に、神官はさらに鋭く言葉を続けた。
『だが、悲観することなど何もない』
すると、神官は後ろを向いて誰かに手招きする。
皆の頭の中に疑問符が満ちる中、神官は前に向き直って語気を強める。
『再びかの“魔王”が蘇ろうとしている今、また次世代の“勇者”も立ち上がったのだッ!』
「……ッ!?」
驚きに目を見開く。
――勇者。
それは500年前の自分を指し示す称号。自分以外の誰も名乗ることが許されなかった、神々に選ばれた証明。
まさか、自分以外に聖剣を抜いた人物が……――。
その瞬間、映像水晶の画面が切り替わる。
「なっ……!?」
映し出されたのは、神妙な面持ちのクレア。
見慣れた神官服で演説台に立つ彼女の顔に笑みはなく、表情は硬い。どこか、覚悟を決めたような表情をしている。
『私の名はクレア・エアハート。教会所属の神官であり、この度新たな時代の勇者として立ち上がった者です』
クレアは浅く頭を下げる。
彼女の登場に、脱衣所内のざわめきが増す。だが、自分だけは何も言えず、ただ目を見開くことしかできなかった。
視線の先、クレアは顔を上げてまっすぐに前を見る。
『皆さん、少しだけ私の話を聞いてください』
嘆願するように、手を胸の前で組む。
その表情は、どこか陰っているように見えた。
『私の生まれた村は、地方の小さな小さな村でした。ですが、もうその村はこの世に存在しません』
眉を曲げて、クレアは苦しそうに吐き出した。
『――私の村は、突如現れたモンスターの大群によって壊滅しました』
思わずこぶしに力が籠る。自分の故郷もそうだった。
(……ただ、500年前と今では“重み”が違う)
500年前は、そもそも町がひとつ壊滅することなど、珍しくもなかった。皆、どこか諦めているような空気だった。
だが、今の平和な世でモンスターの大群に町が滅ぼされるなど、ほとんどない。
――その苦痛は計り知れない。
歯をぐっと食いしばって、水晶の先にいるクレアの演説を見届けた。
『隣の村へおつかいに出ていた私以外、助かった者はいません。戻ったときに広がっていたのは、一面の焼け野原でした』
クレアは唇を噛み、一筋血が伝う。
どれほど辛かっただろう。
どれほど苦しかっただろう。
どれほど悔しかっただろう。
焼け焦げた肉の臭い。地面を覆い尽くすほどの血の海。そして、原形をとどめず転がる肉塊。
500年前の惨状。そのすべてが脳裏に浮かんでくる。
少し間をあけた後、クレアは口元の血を拭って前を見た。
『もう二度と、誰にも私のような思いをしてほしくない。だから、私は魔王を打ち倒しに行きます』
言うと、クレアは無理やり口角を上げ、歪に笑う。
その瞳に、胸が締め付けられる。
『――私が憧れた、伝説に語られる偉大な“勇者”のように』
……気のせいだろうか。
覚悟を秘めた瞳と言葉が、まるで映像越しの自分に向けられているような気がした。
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