第11話 むかしむかし、あるところに

 息を吐きながら見上げるのは、窓から覗くはるか遠くの空。


「ある日、とある片田舎の少年は異世界からの侵略者“魔王”に侵されつつある世界を救おうと、聖剣を抜き放ち立ち上がった」


 剣を抜くようなジェスチャーをして、肩をすくめる。


「聖剣を手に、少年は徐々にその力を伸ばし数々のモンスターを狩って、占領状態だった町を解放していった」


 ふと、脳裏にむせび泣く人々の顔が浮かび上がる。


(……そういえば、町を解放したお礼ってことで、三日三晩連続で宴会に参加させられたときもあったな)


 懐かしさがこみ上げてくる。

 自嘲気味に笑って、続きを口にする。


「まあ、途中色々あったが、とりあえず少年はただがむしゃらに戦い続けた。ひとつ、またひとつと町を解放し、人々を救ったとしても、少年は立ち止まらなかった」

「すごい……」

「何がすごいもんかよ。“醜い”とか“歪んでいる”とかの間違いだろう」


 だって……と続ける。


「不老不死となるために、人魚の怪物『ローレライ』の肉まで食って戦い続けたんだぞ?  身体を引き裂かれ、粉砕され、心臓を貫かれ、焼かれ、氷漬けにされ……この世のすべての苦痛を味わわされてもなお、ただ魔王を倒すためだけに戦い続けた」


 息を吐き、嘲笑うように口元を歪めた。


「――そんな奴、ただただ“狂ってる”としか言いようがないだろうさ」


 クレアはすっかり青ざめた顔で黙り込む。

 さすがにこの話題は刺激が強すぎたみたいだ。少し感情移入しすぎる性質たちなのだろう。


「……それはともかく、その少年は最後まで戦うことをやめなかった。それが唯一正しい道だと信じていたから」

「唯一、正しい道……」


 呆然と話に耳を傾けるクレアから目を逸らし、また窓の向こうへ目を向けた。


「――ただ、魔王を倒したことで彼の役目に幕が下ろされた」

「――――っ!?」


 息を呑む音が鼓膜を叩く。

 視線を窓の外から、クレアに戻した。


「はじめこそ魔王を倒した功績で持てはやされた彼だったが、十年、また十年と過ぎる時間の中で、『平和をつくった英雄』は『平和への障害』へと変わってしまった」

「え……? 障害?」

「まったく、皮肉なもんだよな。誰も太刀打ちできなかった魔王を排除しても、魔王を倒せる勇者って存在が今度は脅威になるのさ」


 圧倒的強者を倒しても、その強者を倒せる者が反旗を翻したとき止めることができない。結局は堂々巡りというわけだ。

 それに加え、勇者は不老不死だったからこそ、なお質が悪い。

 ただ倒せないだけでなく、老化で朽ちていくこともない。

 だからこそ、『平和への障害』として捉えられるようになってしまったのだ。


「結果、平和を記念するって名目のパーティに呼ばれては、毒物や暗器による命の危険に晒され、時には言葉の刃で傷つけられることもあった。まあ、死なないんだけどな」


 思い出したくもない。

 吐き出すようにつぶやいた。


「……もう信じられなくなったんだ、何も」


 そっと前に目を向けると、悲しそうにハの字に眉を曲げるクレアの表情が目に入る。

 心なしか、目尻に涙が溜まっているようにも見える。自分が体験したわけじゃないのに、よくそこまで感情移入できるな……。

 どこか他人事のように思いながら、さらに続ける。


「だからこそ、思ったわけだ。――信じられるものは金だけだ、って」

「は……?」


 目を点にして固まるクレア。

 だが、すぐに気を取り直すと、クレアはたまらずツッコミを入れた。


「いやいやいや、飛躍しすぎじゃないですか!?」

「それが飛躍しすぎってわけでもないんだよな……」


 ため息をこぼし、頭を掻く。


「自分を政治的に害そうとしてきた権力者は、金で買収できる。自分を力で害そうとしてきた雇われ暗殺者も、雇い主よりも多額の金を支払うことで買収できる。結局、金だけあれば大抵のことはできたってわけだ。まあ、時代ってやつだな」

「へぇ~……」


 感心するクレアを横目に、背もたれへ身体を預け、鼻で笑う。


「まあ、最終的に金が尽きて国外逃亡。何もかも失った少年は、今までの功績も何も失ったせいで、汗水垂らすことでしか金稼ぎができなくなりましたとさ……って話だ」


 紅茶を口に運んで、目を閉じる。

 そのままカップを優しく置き、軽く息を吐く。


「……結構びっくりしたよ。400年過ぎて戻ってきてみれば、もう指名手配みたいな真似をされていない代わりに、各地に身に覚えのない『勇者伝説』みたいなのが広まっていたんだからな」


 窓の方を指さし、「ここの勇者像が似てない理由もそれ」と補足しておく。


「そ、そんなことが……」


 ごくりと息を呑み、クレアは一筋汗を垂らす。

 話はそこで終わるはずだった。だが、なぜか続く言葉が口をついて出てきた。


「なあ、『もう一度人類を救ってほしい』。お前はそう言ったよな?」

「え……は、はい」


 なおも顔を青ざめさせたままのクレアを一瞥。

 そして、窓の外へと視線を逃がしながら、重苦しく問いかけた。


「――……本当にそいつらに救ってやる価値はあるのか?」

「そ、それは……っ! それは……」


 否定しようと必死なのだろう。

 だが、クレアの口からは続く言葉が出てこなかった。

 一息つき、二人の間に沈黙が流れる。こうして黙っていると、他の席のカップを置く音、紅茶をすする音、他愛もない世間話まで耳に流れ込んでくる。

 楽しそうに弾む声に耳を傾けながら、ひとつ思う。

 そうだ。こういう店は、癒しを求めてやってくるものだ。


(……そう、こんな辛気臭い話をするための場所じゃないんだ)


 目を閉じて、天井を仰ぐ。


(まして、関係ないやつに八つ当たりをする場所でもない)


 そこから一言も言葉を交わすことなく、時間だけが過ぎていく。

 結局、腹の下あたりに重苦しい感覚だけを残して、昔語りは幕を閉じた。


 ――窓から覗く空は、暗雲立ち込める曇り空だった。

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