第9話 いざ、食の楽園へ
なんとなく歩き始めてしばらく、急にクレアが「行きたいところがあるんですよ!」と言ってきたのだが……――。
「なんだ、ここ……?」
ポカンと口を開いたまま見上げるのは、木造りの看板。そこに書かれてある店名を目でなぞって読み上げる。
「『肉料理専門店 肉の楽園亭』って、また真っ昼間からヘビーな……」
さらに、そこから視線を落とす。
「……しかも、『大食いチャレンジ、挑戦者求む! 賞金もアリ!』って」
この町に移り住んで、約50年間。
だというのに、こんな店があったなんてまったく知らなかった。
(まあ、週6回以上働いて、休日は家から出ない……なんて生活してるんだし、知らなくて当然か)
自分のこれまでの生活を顧みて、納得。
実際、外食なんて行きつけの喫茶店へ気が向いたら行くぐらいのもの。それ以外にどんな店があって、どんな店が人気で……みたいな情報はまったく知らない。
(……そりゃ、50年も早く感じるよな)
自分からすれば、500年前の魔王との決戦すらも昨日のことのように感じられる。
というより、魔王との決戦から今に至るまで、記憶にも残らないような薄っぺらい経験しかしてこなかったということだ。何だか泣けてくる。
そっと目尻を拭っていると、コンコンと扉を叩く音が届く。
音の鳴る方へ目を向ける。どうやら、クレアが扉をノックした音のよう。
だが、なぜかクレアの横顔は真剣そのもの。汗が頬を伝い、どこか緊張して力んでいるようにも思える。
首を傾げるこちらを措いて、クレアは扉に手をかける。
ごくり、唾を飲み込む。そして、勢いよく扉を開け放った。
「たのもー! ですっ!」
一瞬で、賑わっていたであろう店内を静けさが支配する。
(うわぁ、二度とこの店来れねぇ……)
出禁を確信した瞬間だった。
叩き出されるかとも思ったが、意外と一発目はやらかしても出禁まではならないようだ。よかったよかった。
クレアの方を一瞥すると、厨房内から顔を出す店主と視線をぶつけ合い、その場で仁王立ちしている。クレアはここに食べに来たのではなく、戦いに来たのだろうか……?
しばらく視線で火花を散らせると、店主は顎で席の方へ促す。
「…………………………………………え」
それは『ステージ』だった。
もう一度、言おう。
――それは紛れもなく、演劇などを行うような『ステージ』だった。
どうして肉料理屋にこんな立派なステージが併設されているのかがまずわからないが、どうして店主はあんなステージにポツンと置かれている席を示したのだろう。ますます意味がわからない。
何の疑いもなくクレアは壇上に上がって、手招きもしている。
「いやいや、いやいやいやいや……」
これはさすがにおかしい。他にも空席はあるのに、どうしてこんな見世物のようにされながら昼食を食べなければならないのだ。
しかし、次第にクレアは頬を膨らませて不満げに手を招く。
「いやぁ……クレア、さん……?」
「は・や・く……っ!」
ダメだ。話が通じない。
はぁ……と大きくため息。腹を括ると、あの席に座りたくないという気持ちとせめぎ合いながら、無理やり壇上に上がった。
そして、クレアの向かいの椅子に座り、テーブルに肘をついてクレアへ顔を寄せる。
「……いいのか、こんなヘンテコな見世物みたいな席で?」
落ち着かず、周りを見回す。
天井からはスポットライトが吊られているが、自分たち以外の席が舞台上には見当たらない。やはりどう考えてもおかしい。
「へ、大丈夫ですよ? 何も問題ありませんとも!」
能天気に、クレアは丸々とした瞳をまっすぐこちらへ向ける。
(こっちは問題大アリなんだけど!?)
思わず、怒りに机の下でこぶしを握り込む。
落ち着け。まずは深呼吸、深呼吸……。
直後、ステージ脇からゴロゴロ音を立てながらワゴンがやってくる。ワゴンをテーブル脇に止めると、店主は他の客席に向き直る。
「さあ、本日の『大食いチャレンジショー』の開幕だぁぁぁ!」
「……は?」
目が点になった。
「「「おぉ~!!」」」
「さらに本日は、記念すべき『100人目のチャレンジャー』! 完食者ゼロの特製メニューに、100人目のチャレンジャーはどう立ち向かうのか!? とくとご覧あれ!」
さらに、何度も目を瞬かせる。
この店主は何を言っているんだろう。まだ何も注文していないというのに……。
そこで、先ほどのクレアの言葉を思い出す。
『たのもー! ですっ!』
(あっ、『たのもー』ってアレ、大食いにチャレンジしますって意思表明?)
そんな適当な意思表明をする方もおかしいのだが、その一言だけで大食いチャレンジャーだと判断する店側も大概に頭のネジが外れている。
なんだか頭が痛くなってきた。とりあえず目頭を押さえて目を伏せる。
すると、店内の灯りがすべて消え、店主の運んできたワゴンにスポットライトが当たる。なかなか凝った演出だ。クレアも目をキラキラと輝かせている。
そして、店主は料理に覆いかぶさっていた銀の蓋を一気に取り払った。
「本日のメニューはコチラ! 『肉の山脈 ミートチョモランマ』!」
覆いが外れて現れたのは、文字通り『肉の山』。ここから窺えるだけでも、最低5~6種類ぐらいの多種多様な肉が超巨大どんぶりに盛りつけられていた。
あまりの衝撃に、頬がひくついてくる。
店主はそのまま『肉の山』を、ワゴンからテーブルへ。
――ズドンッ! ミシミシ……ッ!
(……なんだか、鳴っちゃいけない音が鳴った気がするんだけど)
いったいこの『肉の山』はどんな重量をしているんだろうか。そもそも、それを涼しい顔で持ち運べる店主もなかなかにおかしいのだが……。
顔を引きつらせたまま頂上を見上げるも、その頂点は見えない。
(明らかに人間の胃袋の限界値超えてるだろう……)
メニューを考案した人間の頭を疑いながらも、一番おかしいのはそこじゃない。
――このバカみたいな量を見ても、ずっと満面の笑みを浮かべているチャレンジャーの方だ。
クレアのいつもと変わらない様子に戦慄していると、店主がメニューの説明を始める。
「この肉山は豚・牛・猪・鹿、さらには飛竜の内臓に至るまで、肉という肉を詰め込んだ特別メニュー! 常人に食べ切れる量では、断じてない!」
そりゃそうだ。こんなの食べ切れるわけがない。観客の心の声が聞こえてくるようだ。
そう思っているのは、店主も同じ。
自信満々に腕を組み、クレアへ挑戦的な笑みを向けていた。
だが、クレアは視線すら合わせない。ただ『肉の山』を見上げて目を輝かせている。
「ふぉ~……これを平らげて無料になるだけでなく、さらに賞金までもらえるとは……」
そして、身体をブルブル震わせ、溜め込んだ感情を爆発させるように立ち上がった。
「――ここは天国ですか!?」
ここにいた全員が、口をあんぐりと開いたまま動きを止める。
何を言っているんだ。こんな量をそんなあっさりと食べ切れるはずがない。皆、顔にそう書いてある。
「そ、そんな余裕がいつまで続くのか見ものですね……」
あまりの自信に満ち溢れた態度に、店主も少し気圧されている様子。
咳払いで気を取り直すと、店主は顔を引きつらせながらも、開幕を知らせる銅鑼の音を響かせた。
「さあ、では……『大食いチャレンジ』開始ぃぃぃッ!」
◇ ◆ ◆ ◇
……あれから約三十分。
店を出たクレアは、妙に疲れた俺の隣で軽くお腹を叩いていた。
「ふぅ……まあまあの量でしたよ~! 腹三分目ってところですね~!」
結局、大食いチャレンジはクレアの圧勝。制限時間一時間のところ、その半分でペロリと完食してしまったのだ。
「……店主、泣いてたぞ」
振り向いて『肉の楽園亭』の方へ目をやる。
店先には、泣きながら地面に四つん這いになって崩れ落ちている店主の姿があった。
(ご、ご愁傷様……)
クレアに目をつけられてしまったことが、彼らの失敗だった。とりあえず可哀そうだから、手を合わせておこう。南無南無……。
なんともご機嫌なクレアに向き直る。
「……なんていうか、あんな大食いだったんだな、クレア」
「ちょっと、引かないでくださいよっ!」
頬をパンパンに膨らませて、クレアは顔を寄せてくる。
「別に、普段からいっぱい食べるわけじゃないですからね? 元々は小食でしたし……」
「それって、『大食い部族の中での小食』みたいな話じゃ……」
「ち・が・い・ま・す!」
さらに頬の膨らみが増す。突いたら破裂しそう。
そんなことを思っていたら、つい好奇心で指を突き刺してしまった。
「……ふぇ?」
「あっ、悪い……」
自分でやったことながら、少し気恥ずかしくなって顔を逸らす。
ついでに話も逸らしておこう。
「そ、それで、どうしてそんな大食いに進化したんだ? 元々、小食だったんだろ?」
まだ声が震えているのが、我ながら情けない。
だが、クレアはあまり気にしていないようで、何ともない様子で答えを考えている。
「うーん、たぶんお金がなかったからですかねぇ……」
「……? どうして金がなくて大食いになるんだよ? 普通は逆に小食になるんじゃ……」
「あー、いやいや! そういうことじゃないんですよ」
慌てて手をブンブン振って否定する。
どういうことなのだろう。首を傾げていると、クレアが少し言いにくそうに目を伏せながら言った。
「知っていますか? 『大食いチャレンジ』って、食べ切れたら無料になるんですよ!」
一瞬、思考が停止した。
「……は?」
「だから、食費を使わずにご飯にありつこうと『大食いチャレンジ』を続けるうちにですね……はい……こんな大食いになっちゃったんですねぇ……。ほんと、びっくりですよ!」
「いや、それは俺のセリフ……」
普通、成功したら金がかからないから大食いに挑戦して、それで実際に成功する人はほとんどいない。元が小食なら尚更。もう意味が分からない。
(あぁ……頭痛くなってきた……)
頭を抱えて立ち止まると、ふと前方から聞き覚えのない声が飛んできた。
「ふっ、ルーチェ爆盛り四天王『ミート・マイケル』が敗れたか……」
顔を上げると、左手の海鮮料理屋の前に小太りの料理人が立っている。不敵な笑みを浮かべて、なんだか大物感を出している。
(……というか、『ミート・マイケル』って言うんだ、さっきの店主)
すると、その店の向かい側。鍋料理屋から今度は『女将』とでも呼ばれそうな風体の女性が顔を出してくる。
「まあ、アイツはウチら爆盛り四天王の中でも最弱なわけだし?」
その女性は肩をすくめて、クレアへ品定めするかのような視線を送る。
クレアが一歩後じさる。
「まさか、ルーチェ観光協会食事部門宣伝隊長の『フィッシュ・ボブ』さんと、副隊長の『シチュー・アンジェラ』さん!?」
「だ、だれ……?」
困惑する俺ひとり措いて、なんだかここ一帯が謎の緊張感に包まれていく。
得も知れぬ孤独感のようなものを感じていると、不意にどこからかコツンコツン……と杖を突く音が流れてくる。
「フンッ、あやつはワシら四天王の面汚しよ」
音の正体は、鍋料理屋の隣。串焼き屋から腰の曲がった老爺が杖を鳴らして出てきた。
その姿を認めた瞬間、クレアは目を見開く。
「ま、まさか……あなたは――『盛杉玄十郎』……ッ!?」
老店主は返事代わりに鼻を鳴らす。
「……いや、だから誰?」
誰ひとりわからない。顔どころか、名前すら聞いたことがない。
頭の中は困惑でいっぱいだ。
ポカンと口を開けて固まっていると、クレアが勢いよく振り返ってくる。
「えぇ!? あのルーチェ観光協会終身名誉会長の『盛杉玄十郎』さんですよ!?」
「知らないけど……。っていうか、名前の感じ一人だけおかしくない?」
なんというか、この空気についていけない。誰か助けて……。
もう完全に思考を放棄していると、クレアの前に三人の料理人が進み出てきた。
「ま、まさか、四天王勢ぞろいとは……っ!?」
ごくりと息を呑む。だが、その横顔はどこか嬉しそう。
クレアと四天王(のうちの三人)は視線を交わしあうと、両者ほぼ同時にフッと口元を緩める。
そして、四天王(のうちの三人)はクレアへと指を突きつけた。
「「「さあ、我ら真の四天王が本当の爆盛り料理というものを見せてやる(あげる)――ッ!」」」
周囲でこのヘンテコな状況を見ていた通行人たちも、思わず拍手を送っている。まるで、演劇の一幕のようだ。
しかし、ひとり状況に取り残された俺は、クレアの少し後ろで小さく手を挙げた。
「あのぅ……だれか……たすけて、くれません……?」
この状況から救い出してくれるなら、もう誰でもいい。魔王でもいいから一刻も早くこの場から救い出してくれ……。
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