第三章 日雇い労働者の休日

第8話 大事な呼び出し?

 今日も一段とむせ返るような暑さが支配する飛竜便ルーチェ第一倉庫。

 木箱をそっと床に置いて、俺はひとつ息を吐く。


 こうしてただ立っているだけでも、身体中から汗が噴き出して止まらない。頬に流れてきた汗を首にかけたタオルで拭うも、焼け石に水といったところだ。

 500年を超える年月を生きてきたが、年々暑くなっているように思えるのは気のせいだろうか。


(まあ、昔はそんなこと気にしていられるほど平和な世でもなかったしなぁ……)


 あの頃は、汗どころか血が滝のように流れていた。

 正直、どれだけ暑かろうが気にしていられなかったのだ。さすがに、汗で剣がすっぽ抜けそうになったときは焦ったが……。


 もう一度流れてきた汗を拭うと、天井を見上げる。


(それにしても、半人半馬の怪物『ティクバラン』か)


 懐かしい響きだ。昔は森に入ると迷わされるから迂回路を選んだりと、なかなか手を焼いたものだ。

 しかし、少し違和感がある。「ふむ……」と唸って顎に手を当てる。


(俺の記憶が正しければ、この近辺に出没するようなモンスターじゃないはず。少なくとも、この町に流れ着いてからの50年間に、姿どころか噂すらなかったしな……)


 ここ50年の間にモンスターの発見報告があったのは、せいぜいティクバランのさらに5つも下のランクであるCランク相当のモンスターぐらいだ。あんな危険なモンスターが流れ着いたなど、聞いたこともない。


 立ち止まっていると、頬をまた一筋の汗が伝う。


(……あながち、アイツの言うこともホラってわけじゃなさそうってことか)


 ふと、クレアの顔が頭に浮かぶ。

 たしか、魔王を倒した場所――『訣別の地』付近に凶悪なモンスターが集結しつつある、みたいなことを言っていた気がする。不自然な事象という点では、今回のことと共通している。


「……まためんどくさそうなことに巻き込まれたもんだ」


 タオルで顔を拭って、またため息をこぼす。


(まあ、気が重いのはあのモンスターのせいだけじゃないんだが……)


 不意に背後から怒号が届く。


 そちらへ振り向くと、社員を叱る責任者の男の姿が目に入る。また誰か倒れたりでもしたのだろうか。今日だけで何人目だ……?

 目頭を押さえながら、二人の話に耳を傾けてみる。


「てめぇ、あそこの新人を見習いやがれ! あんな細っこいウデで十個も木箱運んでやがんだぞ! なんで、てめぇはそんな図太いウデして五個も運べねえんだ!?」


 ……ん? 誰か倒れたわけではない?


「い、いや、親方! さすがに“アレ”はおかしいですって!?」


 社員が悲愴な表情で指さす先には、木箱を十個以上積み上げて運ぶクレアの姿が。しかも、鼻歌交じり。


「あっ……」


 すべてを悟って、肩を落とす。

 そう、ここ最近気が重い理由その二――『クレアが同じ事務所に登録して働き始めた』の元凶様である。

 理由や意図はわからないが、人手が増えるなら万々歳。


 ――そう思っていた時期が、俺にもありました。


(あいつ、あんな見た目で『なんでもフィジカルで解決しちゃう系』なんだよなぁ……)


 大男ですら五個も一度に持ち運べない木箱を十個も持っているだけでわかるが、とんでもないパワー系女子なのだ。

 そのせいで、この社員のように理不尽に怒られるケースが多発しているのだ。


「さあ、次は片手に十個ずつに挑戦ですねっ! むんっ!」

「「「ひぃ……っ!?」」」


 クレアが頑張れば頑張るほど、周りの評価が加速度的に下がっていく。

 徐々にそれを理解してきた社員たちは限界以上に働き、結果ダウンしていく。最近の暑さだけではなく、クレアの存在も倒れる人数が増える一因となっていた。


「も、もう……やめてくれよぉ……」


 責任者に怒鳴られていた社員が、膝をがっくりと折り四つん這いで項垂れている。


(な、なんか、すんません……)


 こんなやつを呼び寄せてしまって申し訳ない。

 今、自分の胸の中はそんな謝罪の気持ちでいっぱいだった。とりあえず、項垂れる社員には軽く頭を下げておいた。


     ◇ ◆ ◆ ◇


 日付は変わって、その翌日。

 今日は二週に一度の貴重な休日。今日だけは一日中惰眠を貪れる日なのだ。

 だというのに、なぜか今、自分は勇者像広場に立っていた。


「――遅い!」


 腕組みをしたまま、落ち着かないように足を一定のリズムで踏み続ける。

 どうして、こんなことになっているのだろう。自分はただ、一日中死んだように眠り続けたかっただけだというのに……。


 あれは昨日のこと。

 仕事を終えると、不意にクレアに呼び止められたのだ。


『すみません、明日とかお時間はありますか?』

『いやぁ……あるといえばあるけど、ないといえばないな』

『じゃあ、お昼の12時ぴったりに勇者像前に来てもらえますか? とても、とっても大事なお話があるので……』


 結局、なし崩し的にここまで来てしまったのだが、もっとはっきりと断ればよかった。

 ため息ひとつ。組んだ腕を解き、腰に手を当てた。


「人を貴重な休日に呼び出しておいて、時間通りに来ないってどういうことだ……」


 これまでのいきさつを思い起こしていたら、もはや怒りを通り越して呆れてきた。

 肩をすくめ、振り向いて背後の勇者像を見上げる。


「……にしても、この勇者像も似てねえよなぁ」


 500年前もこんな凛々しい顔をしていた覚えはない。なかなか脚色されて伝わったようだ。


(まあ、ブサイクにされるよりマシだけど……)


 苦笑交じりに首を傾げていると、背後から駆けてくる足音が聞こえてくる。

 ようやくご到着のようだ。


 息を吐くと、おもむろに振り向く。

 広場に駆け込んでくるのは、いつもと違った風体のクレア。見慣れた神官服ではなく、白っぽいブラウスに空色のロングスカートという、一般的な女性のファッションといった感じだ。


「す、すみませ~ん! 遅れまし……べぶぁっ!?」


 ……あ、コケた。


 息を切らして走ってきたクレアが、目の前で顔面から地面にダイブする。痛そうだ。


「おいおい……」


 頭を抱えると、しゃがんでクレアに手を差し出してやった。


「……ケガは?」

「だ、だいじょうぶです……。ありがとうございますっ!」


 クレアは手を取って立ち上がり、深々と頭を下げる。

 見たところ、ケガもしていないようで一安心。胸を撫で下ろすと、不可抗力とはいえ手を握ってしまっていることに気がつく。


「…………っ!?」


 慌てて顔を背けて手を離す。


「……? どうかしましたか?」


 きょとんとこちらの顔を覗き込んでくるクレア。彼女はここに来て日が浅いから、ちゃんと知らないのだろう。

 周りに目を配ると簡単にわかることではあるのだが、ここはカップル御用達の待ち合わせスポットなのだ。


(不可抗力……そう、不可抗力だ……っ!)


 自分に言い聞かせるも、手のひらに柔らかな手の感触が残っている気がしてしまう。

 足にゴシゴシと手を擦りつけ、気持ちを落ち着かせる。

 そして、わざとらしく咳払い。そのまま、何も言わず歩き出す。


「あっ、ルイさん……」


 帰ると思ったのだろうか。寂しげな声が届く。

 深く息を吐くと、振り返って露店のある大通りの方を指さした。


「ほら、早く行くぞ」

「は、はい!」


 クレアは急いでルイの隣まで駆けてくる。


「さあ、張り切っていきましょー! 時間は有限ですからねっ!」


 しゅんとした顔も、すっかり元通り。

 天に向かってこぶしを突き上げて、クレアはにこやかな笑みを浮かべた。

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