第6話 ストーキング再び

 立て看板に身を隠してちょっとだけ顔を覗かせるこの体勢も、すっかり板についてしまった。


 視線の向かう先は、路地裏の派遣事務所『アットホームスタッフ』。ルイが日雇い労働者として登録している事務所だ。

 今日は休日だというのに、人の出入りは絶えない。

 玄関口をぼけーっと見つめながら、頭は昨日のことを思い出していた。


『お願いします。どうか、もう一度だけ世界を救う“勇者”となってはくれませんか?』

 絶対に助けてくれる。そう確信していた。


 ……あのときまでは。


『――断る』


 だが、ルイの口から放たれたのはそんな冷たく突き放すような一言。一瞬、衝撃で視界が揺らいだ気がした。


『え、どうして……そんな……?』

『勇者なんて金にならない仕事をするのは、もう御免なんだよ』


 どうして。どうして……?

 あれから何度も自分の中で答えを探していたが、まったく見つからない。あの言葉が本心なわけがない。


「だって、ルイさんは誰よりも強くて優しい“不屈の勇者”なんですから……」


 ポツリ、ため息とともに吐き出す。


「ルイさんは、どうしてあんなことを……」


 戦乱渦巻く世に、たったひとり立ち上がった英雄。そんな彼が「金にならないから」という理由で断るなんて、絶対におかしい。

 それでも、本当に変わってしまったのだとしたら……?


「はぁ……」


 持ち前の溌溂さはどこへやら。今日何度目かのため息とともに空を見上げる。

 私の表情もきっとこの曇り空と同じように、曇りきった暗いものになっているのだろう。


「いやいや! こんなんじゃダメダメですよね」


 頬を数度叩き、頭を振って暗い思考を追い出す。

 そして、再び事務所に目を向けると、微かに言い争うような声が聞こえてくる。何か問題でもあったのだろうか。

 耳を澄ませながら、じりじりと事務所の前へ。耳を扉に押し付けて、中の様子をうかがってみる。


『――……~~っ!』


 ダメだ。誰かが怒っているような雰囲気はわかるが、話までははっきり聞こえない。

 それでもしばらく粘っていると、微かに「仕事」や「ない」、「ふざけるな」などという言葉が断片的に聞き取れた。

 それでも、話を理解するには程遠い。

 眉をハの字に曲げると、意を決してドアノブに手をかける。


「……よしっ」


 そのまま一度頷いてから、足音を殺しながら中へ。入るなり、肌をチクチクと刺すような殺伐とした空気がまとわりついてくる。

 居心地の悪さを感じながらも、人影に隠れて騒ぎの中心へ目を向けた。


「アニタ、仕事がないってどういうことだ!?」

「お、落ち着いてください、ルイさん!」


 騒ぎの中心地は、受付。

 ちょうどルイと受付嬢のアニタという女性が言い争っているようだった。やぼったい印象を受けたあの受付嬢だ。


(仕事がないって、どういうことでしょう……?)


 まだ話が見えない。あと、身体の大きな人が多すぎてそもそもよく見えない。少し近寄ってよく聞いてみよう。


 人波をかき分け、前へ前へ。

 どうにか隙間を見つけてそこから顔を覗かせる。すると、アニタがルイの両肩を押さえて落ち着かせているのが目に入った。


「実は、この町への物流のすべてが止まってしまっていまして……その影響で……」


 ルイを押し返しながら、申し訳なさそうに口にする。

 言葉を継ぐように、ルイは顔をしかめながら口を開いた。


「『日雇い労働者なんて雇っているほどの余力はない』ってことか」

「そ、そういうことです、はい……」


 ルイは表情を一層に険しくする。

 正規雇用の社員とは違い、日雇い労働者というのは保証がない。会社側に外部から雇う余力がなければ、そもそも仕事の依頼すら出てこないのだ。

 その代わり、身元がはっきりしないような者でも雇ってもらえるのだが……。


(ここにいる人たちからすれば、死活問題ですよね……)


 刺々しい空気が一転、重苦しい泥のような空気に移り変わる。

 そんな中、今にも泣きそうな目をしてアニタは席から立ち上がる。そして、労働者たちを見渡して深々と一礼。悲痛な声を絞り出す。


「本当に皆さん、申し訳ありません……っ!」


 頭を下げる、何度も何度も。

 必至に頭を下げ続けるアニタの肩に、ルイは手をかける。


「……別に、アニタが悪いわけじゃないだろう」


 苦虫を噛み潰したような表情で、アニタの顔を上げさせる。ルイもアニタも、ここにいる人すべてやるせないのだ。どうしようもない現実が、悲しくて悔しくてたまらないのだ。

 しかし、ここでルイが声を荒げようと、アニタが何度頭を下げようと現実は変わらない。


「……悪かったな」


 それだけを言い残すと、踵を返してルイは去っていく。

 続くように他の労働者たちも「すまない」と口々に残して事務所を出て行った。


     ◇ ◆ ◆ ◇


 日雇い労働者たちの仕事がなくなってから早くも三日が過ぎ、今日も事務所には閑古鳥が鳴いていた。


 そんな私の本日の隠れ場所は、事務所入り口に置かれた観葉植物の鉢植え。

 悟られない程度に顔を覗かせて、事務所内を見渡す。


「これは閑古鳥どころか、フェニックスが鳴きますね……」


 ため息をつき、受付に目をやる。そこでは、アニタがあくびをして身体を伸ばしている。

 仕事の依頼がないのでは、仕事を紹介することもできない。

 仕事がないのでは、労働者たちはやってこない。

 労働者がやってこなければ、受付にも仕事はない。


 ――結論、ヒマなのだ。


「……緊急事態ですね、これは」


 ちょっとカッコつけて眼鏡をクイッと持ち上げるような仕草をしてみる。まあ、眼鏡なんてかけたことないけど。


(これ、一回やってみたかったんですよねぇ~)


 満足感に浸っていると、不意に腹の虫が鳴きだした。


「うーん、露店が臨時休業のままだと、私のお腹がもちませんね! これは緊急! 緊急事態ですよ!」


 大げさに頷いてみるも、すぐに肩を落として息を吐く。


「それは冗談として、ルイさんや町の人たちが困るのは確かですよね……」


 今はあまり事態を重く見ている人は多くないが、すぐに問題は表面化してくるはずだ。閉める店も増えるだろうし、物価も日に日に上がっていくかもしれない。それこそ、食糧や薬が足りず、命を落とす者が出てきてもおかしくはない。


(わ、私が何とかしないと……っ!)


 何ができるかはわからないが、とりあえずじっとしてはいられない。これでも、あの勇者に憧れて生きてきた者だ。困っている人やお世話になった人たちを放ってはおけない。

 こぶしを握り込むと床に寝転がり、ほふく前進で受付のカウンターまで進む。

 周りをキョロキョロと見回しながら立ち上がると、目の前に冷たい目をしているアニタと視線が合った。


「あ、あのぅ……あなたは……?」


 マズい。受付に座っているアニタに見つかってしまった。


 ……だが、これは逆に好機なのでは?


 派遣事務所の受付なら、今の状況を自分以上に知っている可能性が高い。なら、これはアニタから情報を聞き出す絶好の機会だ。

 まずは、怪しまれないように、できるだけ自然体で……――。


「サ、サア、キョーハ、オシゴトアルカナ~……?」

「あなた、ここの登録スタッフじゃないですよね?」


 ぎくっ。まさか、この完璧な演技を見破った?

 そんなわけない。もう一度チャレンジだ。


「サ、サア、キョーハ、オシゴトアルカナ~!?」

「いや、そもそもお仕事の依頼ひとつもないですし」


 なんと、これでもバレている!?

 じゃあ、ダメ押しのもう一回を……。


「サ、サア! キョーハ! オシゴト! アルカナ~ッ!?」

「だから、下手な演技はやめましょう? わかりましたから」

「え、へた……?」


 下手な演技だと言われてしまった。アニタの目が鋭いだけだというのに。

 気づけば目は泳ぎ、頬には汗が一筋伝っていた。

 その様子を見届けると、アニタは盛大にため息をつき、肩をすくめる。


「それで、どういったご用件ですか? ちなみに、お仕事の依頼はひとつもないままですよ?」


 それはわかっている。知りたいのは、もっと詳しい現状の話だ。

 ぐっと受付に身を乗り出して、アニタの耳元に顔を寄せる。


「実は、物流が止まってしまっている原因についてお聞きしたくてですね……」

「原因? どうして、また?」

「い、いや、お力になれることがあればなぁ~……なんて……」


 身体を離し、頭を掻く。


(……い、痛い。視線が刺さる)


 明らかに不審者を見るような目つきをしている。今にも通報されてしまいそうな危うさを感じる。

 しばらく見つめあった後、アニタは大きく息を吐いた。


「まあ、いいですけど……」


 通報されなくてよかった。胸を撫で下ろす。

 すると、アニタは机の中から束になった書類を差し出してくる。


「こちらでわかっていることは――」


     ◇ ◆ ◆ ◇


 道の真ん中で腕組みをして風を一身に受けていると、ちょっと強者感が出る。


「むふん……っ!」


 うまく決まった。誇らしげに胸を張ってみる。


 少し視線を上げる。いつもなら天から降り注いでいるはずの陽光は暗雲に遮られ、姿を隠してしまっていた。

 視線を戻すと、ずっとまっすぐに続いていく街道が目に入る。


「アニタさんの話だと、この街道から来るはずの定期便がしばらく姿を現していないという話ですが……」


 振り返って正門の方を見ると、そこに行商人の姿は確認できない。目に留まるのは門番のみ。


(あれだけ賑わっていた正門前がウソのよう……って感じですね)


 この町に来た日のことを思い出す。あの日と時間帯はまったく同じ。だというのに、荷車どころか人の姿すらもない。


 ……そういえば、あの行商人のおじさんはどうしているだろう。


「この問題が終わったら、一度挨拶だけでもしに行きたいですね~」


 恩というほどの恩はない。それでも、あの行商人が少しでもこの町のことを教えてくれたのは事実。こういう細かなことでも感謝を忘れない性分なのだ。


「ふふん……っ!」


 鼻を鳴らして、胸を反らす。

 よしっ、これで問題を解決した後にやりたいことも決まったし、存分に目の前の問題にだけ集中できる。


「ふぅ……じゃ、やりますか~!」


 こぶしを握り、自分に活を入れる。

 そして、顎に手を当てて少し頭の中を整理しはじめる。


『こちらでわかっていることは、定期便が届かなくなったことと、街道を通った人との連絡が途絶えているということだけです。申し訳ありません……』


 アニタは昨日、たしかそう言っていた。


「結局、原因はわかっていないみたいですが、それならそれで私が調べればいいだけのことです」


 街道に何かがある、ということだけでもわかったのは上々。連絡が途絶えているというのが少し引っかかるが、まずは街道の調査からだ。

 力強く頷き、街道の先へ目を向ける。


(それに、ここで町のために頑張る姿を見せれば、きっとルイさんだって――)


 頭に浮かぶのは、あの日に放たれたルイの言葉。


『勇者なんて金にならない仕事をするのは、もう御免なんだよ』


 どこか悲しそうな瞳をしていた。何があってそんなことを言うのかはわからないが、それでも自分の憧れた“不屈の勇者”がそんなことを本心で言うはずがない。

 視線を落とし、握り締めたこぶしを見つめる。

 自分がここで頑張れば、ルイもきっとまた立ち上がってくれるはず。

 一層にこぶしを握り固め、キッと視線鋭く前を向いた。


「さあ、張り切って行きましょう~っ!」


 続けて「お~!」という声とともにこぶしを天に突き上げ、軽やかな足取りで街道へと歩き出した。

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