第5話 嘆願

 長く息を吐きながら、カップをソーサーの上に戻す。

 もうコーヒーは二杯目。テーブルの上にあったケーキの皿はすでに下げられ、二人とも食後のティータイムに突入していた。


「ふぅ……」


 未だに一杯目の紅茶を大切そうに飲むクレアは、一口ごとに頬を緩めている。

 ここまで美味そうに飲んでくれたら、紅茶を淹れたマスターとしても本望だろう。


 ふと、クレアがこちらの視線に気づいたのか、そっとカップをソーサーに戻して首を傾げた。


「ルイさん、どうかしましたか?」


 きょとんとした顔で尋ねてくる。ケーキが美味しかったせいで、それまでの記憶がすっかり飛んでしまっているようだ。

 重くため息を吐き出すと、そのことを指摘してやった。


「……で、今日はどういう用件だったんだ?」

「用件……? あっ!?」


 どうやら、本当に忘れていたらしい。嘘だろ……。

 肩をすくめながら、嫌味たっぷりに口角を上げてクレアを見据える。


「人様の家の玄関をぶち壊さなきゃならないほど急を要する、大事な大事な用件なんだろうな? なあ?」

「ひゅ~……ひゅ~……♪」

「口笛吹けてないけどな」


 わざとらしく腕を組んでみせ、目を泳がせるクレアを睨みつける。

 すると、クレアは目を伏せて、指をもじもじと弄びはじめる。


「いやぁ……重要すぎる用件ではあるんですけど……そうなんですけどぉ……」


 なかなか煮え切らない。はっきりしない態度に、少し腹のあたりから沸々と怒りが湧き上がってくる。

 だが、こちらの沸点が限界に達する直前、クレアは一度大きく頷く。

 そして、伏せていた目をこちらへ向けると、テーブルに手をつき深々と頭を下げた。


「どうか、お願いしま……いてっ!?」


 結果、勢いのままテーブルに頭をぶつけた。

 そりゃそうだ。テーブルとの距離感を考えずに全力で頭を下げれば、激突するに決まっている。

 赤く染まった額を擦り、クレアは恥ずかしそうに顔を上げる。


 咳払い一つ。気を取り直すと、もう一度頭を下げてくる。


「生まれたときからファンでした! サインくださいっ!」

「はぁ……そんなところだと……――は? なんて?」


 一瞬で、頭が真っ白になった。思っていた用件と違うんだけど……。


「いや、ずっと勇者様の大ファンだったんですよ、私! ほら、これ見てください!」


 懐からバッと取り出してくるのは、一冊の手帳。

 そこに書かれている文言を、目でなぞりながら口にした。


「『憧れの勇者様聖地巡りの旅 目標その7 勇者様にサインをいただく』……?」

「そうです!」


 ふふん、と鼻を鳴らすクレア。

 これで何を示したかったのかは知らないが、500年も前の元・勇者のファンとはまたおかしな奴もいたものだ。500年前ですら持ち上げられこそしたが、こんな熱心なファンを名乗る人は一人も見た覚えがない。


「まあ、サインぐらい減るもんじゃないし……」

「え、いいんですか……っ!?」


 目を輝かせるクレアから手帳とペンを受け取ると、適当にそれっぽい感じに字体を崩し、サインは完成。

 だが、返された手帳の一ページを、クレアは食い入るように見つめてよだれを垂らしていた。


「ぐへへ……これがあの“不屈の勇者”のサイン……ぐへ……っ!」

(えぇ、こんな適当なので喜ぶのか……?)


 正直、ちょっと怖い。若干、椅子を後ろに引いて距離をとる。

 引き気味の視線を送っていると、クレアは流れ出てくるよだれを拭って恍惚とした表情を浮かべた。


「はぁはぁ……これで最大の目的達成ですぅ……!」

「……いや、魔王復活だのって件は?」


 思わずツッコミを入れてしまった。


「ふぇ? ……あっ!?」


 すると、思い出したのか手を打って、先ほどまでの表情を一転。真剣に視線を強め、テーブルにバンッと手をつく。


「どうか、魔王復活の阻止に協力してください! お願いしますっ!」

(あぁ、言わなきゃよかったよ……)


 やってしまった。頭を抱え、深くため息をつく。

 ただ、言ってしまったことは仕方ない。

 コーヒーを流し込み、波立った心を落ち着かせる。そして、ずっと引っかかっていたことを問いかけた。


「そもそも、どうして魔王の奴が復活するなんてトンチキな話になってるんだ?」


 こちらの問いを待っていたのだろうか。

 言葉を聞くと同時、クレアは机に手をついて顔を近づけてくる。鼻先に荒くなった鼻息がふんふんっ、と触れる。近い近い。


「よくぞ、聞いてくれました……っ!」

「近い近い、近いから……」


 さすがにこの体勢は誤解を招きかねないし、何より少し気恥ずかしい。

 ほんのり熱を持った顔を背け、クレアの肩に手をかけぐっと押し返してやる。すると、渋々といった様子で自分の椅子に戻っていく。


 しばらく不服そうに若干頬を膨らませて、こちらをじっと見据える。

 その後、気が済んだのか一度咳払いを入れると、クレアは背筋を正す。


「まず、あの戦争の当事者であるルイさんは『訣別の地』に魔王の亡骸が眠っていることはご存知ですね?」


 黙って頷く。

 知っているに決まっている。なにせ、自分があの地で異世界からの侵略者――“魔王”フィルディナントにとどめを刺したのだから。

 今でも、あのときの聖剣が魔王の身体に刺し込まれる感覚は、この両手に残り続けている。

 視線を落とし、両手を開いて閉じて……と何度か繰り返す。


 気づけば、クレアが心配そうに眉をハの字にしてこちらを見ていた。

 慌てて「悪い、気にせず続けてくれ」と促し、続きを口にし始めた。


「え、ええっと、どこまで……あっ、そうでした!」


 天井を仰いでしばらく考えていたが、どうにか話の続きを思い出したようだ。一度、ポンッと手を打つ。


「実は近頃、『訣別の地』近辺で数々の凶悪なモンスターの姿が確認されているのです」


 表情を硬くし、クレアは人差し指を立てる。


「まず、三頭の狼『ケルベロス』」


 次いで、中指を立てる。


「次に、九頭の蛇『ヒュドラ』」


 そして最後に、薬指を立てる。


「次に、飛竜『ワイバーン』。どれもこの地と程遠い地域に棲むモンスターばかりです」


 それらを聞き届けてから、顎に手を当てて少し唸る。

 ケルベロスにヒュドラ、ワイバーン。どれも勇者として戦ったことがあるモンスターだ。確かに、一般人からすれば凶悪極まりないが、対処を心得ている兵士たちなら十分太刀打ちできる相手。

 本来、そこまで警戒するほどではないのだが、今の兵士には荷が勝ちすぎる。一度、30年ほど前に兵士の演習を見たことがあるのだが、500年前なら即死しているほど低レベルなものだった。


 魔王がいなくなったせいで、平和ボケしているからそうなるのだ。

 思案に暮れる自分を措いて、クレアが机を叩き立ち上がる。


「加えて、大司教様が『全世界が暗雲に飲み込まれて人類が絶える』という未来を星詠みによって見られたという報告も受けています」

「なんか嘘くさい話だなぁ……」

「失敬な! 大司教様の星詠みはよく当たるともっぱらの噂なんですよ!?」

「……胡散臭い占い師かよ」


 500年も昔から、占い師というのはもっぱら信用ならない。適当にそれっぽい抽象的な言葉を選んで、誰にでも当てはまるような性格や悩みなどを口にして言い当てたフリをする。まったく信用できない。

 今や、この国の国教となっているエンフィールド国教会のトップともあろう人間が、そんな詐欺師まがいの人物だとは可哀想に思えてきた。


 ふんっ、と顔を背けて頬を膨らませるクレア。その後、席につくと息を吐いてこちらへ向き直る。


「まあ、以上のことから『近いうちに魔王が復活する』という結論に至ったわけなのですよ」

「随分と曖昧な根拠だことで……」


 先に言った三種類のモンスターを“凶悪”と表現したり、当たるか分からない占いで未来を見ようとするあたり、あまり信憑性は高くないだろう。

 そう結論づけると、背もたれに身体を預けコーヒーカップを口に運ぶ。


『人間どもよ。我がまた目を覚ますその時まで、貴様らは束の間の平穏を楽しむがいいッ!』


 カップを戻し、目を閉じて息を吐く。


(あと引っかかるのは、フィルディナントが最後に遺した言葉か……)


 奇しくも、かの魔王も「自分は必ず復活する」と宣言していたのだ。それだけが少し奥歯に挟まったみたいに、すっきりしない気持ち悪さだけを残している。


(さすがに、関係はないと思うけど……)


 余計な思考だ。頭を軽く振って、邪魔な考えを頭から追い出す。

 同時、目の前からバンッと、テーブルを叩くような音が来る。

 こちらが目を向けると、クレアはしっかりと青の双眸で見つめ返し、それから深々と頭を下げた。


「――お願いします。どうか、もう一度だけ世界を救う“勇者”となってはくれませんか?」

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