第二章 実録・勇者の生態 ~クレアは見た~
第4話 玄関の破壊者
今日も私の一日は、こぶし大のおにぎりと一杯の水から始まる。ちなみに、今日のおにぎりは白身魚の塩焼き入りである。潮の味わいが広がり、とてもおいしい。
おにぎりを頬張り水を含みながら、手で望遠鏡のように円を作ってルイの部屋を覗く。
「ん~? また今日も作業服……」
部屋の窓から下りてくるルイを見て、残念なため息が漏れる。
顎に手を当てて、少し天を見上げる。
そして、思い浮かべるのは、昨日までのルイの行動。
(たしか、昨日は精肉所でバットの洗浄、一昨日は鍛冶屋で剣の検品……)
精肉所はむせ返るような肉のニオイが強烈。しかも、意外と洗浄作業は肉体労働だった。
鍛冶屋の検品はひたすら丸太を斬って切れ味のランク分けをした。ほかにも、刃こぼれの有無や柄のゆるみがないかの確認など、結構気を遣う作業が多かった。
どうしてここまで詳しいかというと――。
「……まあ、また欠員が出た分のヘルプに駆り出されたからなんですよねぇ」
おかげで、飛竜便の荷分け作業時から続く筋肉痛がずっと上書きされ続けて、今に至るまで完治していないのである。
「朝起きたら身体が固まって動かないのだけは、もう勘弁してほしいですよ……」
がっくり肩を落とし、目を伏せる。
それはそうと、また今朝も作業服姿のルイを見送って首を傾げた。
「うーん、ホントに魔王との闘いに備えているんでしょうか……?」
つぶやいてから、ブンブンと首を勢いよく横に振る。
「いやいや! 疑ってなんていません、いませんとも!」
誰に言い訳しているのだろう。
ただ、ルイがまったく魔王復活に備えている気配を見せないのは事実。これはさすがに伝説の勇者といえど、疑う気持ちを持ってしまうのも仕方がない。
(それでも、私の憧れた勇者様は……――)
こぶしを握り、また天を見上げる。
今日も快晴。晴れやかな未来を示しているようで、一安心。
ぐるぐると肩を回し、凝り固まった首を鳴らす。
「よしっ、今日もがんばるぞ~。おー!」
天にこぶしを突き上げ、軽やかに屋根から飛び降りる。
「ひょっ!?」
着地と同時に、背後から声が来る。
首を捻って振り向くと、飛び降りた家のベランダから老爺が目を白黒させて、屋根の上とこちらを交互に見ている。
「あ、どうも~」
「さ、最近の若い子は骨がずいぶんと丈夫じゃのぅ~……」
「はい! いっぱい食べて元気いっぱいですっ! ぶいっ!」
Vサインをつくると、真っ白な歯を見せつけるように満面の笑みを向けた。
◇ ◆ ◆ ◇
日雇い労働というのは、職種にもよるが圧倒的に肉体労働が多い。
いくら人魚の怪物『セイレーン』を倒して不死となったといっても、500歳超の身体には少しずつガタが来ている実感がある。
(それにしても、あの肉クソマズかったんだよなぁ……)
どうして人魚の肉などというロクでもないものを口にしてしまったのか、今となってはもうわからない。
思い出したら吐き気が……。
「おえ……っ」
必死に吐き気を抑えつけるも、食道には胃酸で焼けるような感覚だけが居座ったまま。
すっきりしない感覚を頭から追い出すように、首をブルブルと振る。すると、ちょうど目の前に見慣れた我が家があった。
ひび割れやコケにまみれた外壁は、50年前から少しも変わらない。
この部屋を借りはじめたときからおんぼろ住宅だった。そのおかげで、かなり安くはあったのだが……。
「まあ、今なら絶対にもうちょいと高くても、もっといい部屋借りてるよなぁ」
ため息をこぼし、コキコキと肩を鳴らす。そして、梯子に足をかけ、慣れた手つきでするすると上っていく。
ちなみに、窓から出入りしている理由はただ一つ。
――1秒であろうと早く寝たい、ただそれだけだ。
480歳を超えたあたりで、日雇い労働の疲れを癒せるのは睡眠しかないということに気づいたのだ。
(今からだと、だいたい十時間ぐらいは寝れるな……)
明日の勤務時間を思い出して、そこから睡眠時間を逆算する。
日雇い労働者は『朝も夜も四六時中働きます!』みたいな人が多いが、無茶な働き方をして身体を壊した方が結果マイナスになる。
一度休んでしまうと、なかなか同じ現場に呼んでもらえなくなるのだ。なんとも世知辛い。
そんなことを漠然と考えながら、窓の鍵を開けて部屋の中へ。
「あ、ルイさん。おかえりなさ~い、です!」
「……………………は?」
……ん? 見間違いだろうか。
立ち尽くし、目を何度も擦る。その後、もう一度目の前へ視線を戻す。
見られて、その女性――たしかクレアと言ったか――はにこやかに手を振る。
「あ、部屋間違えましたわ、すみません……」
どうやら、疲れすぎて入る部屋を間違えてしまったようだ。しかも、女性の部屋とはまた危ういことをしてしまった。
ペコペコと頭を下げ、もう一度窓から部屋を出る。
それにしてもここらの住人だったのか、あの神官。やけに内装も俺の部屋に似て簡素だし、何なら見覚えのある飾り気のない家具まであるし……――。
「って、んなわけあるかァァァッ!?」
少し梯子の上で考えなおすと、また窓から飛び込んでいく。
部屋の真ん中、首を傾げるクレアにビシッと人差し指を突きつける。
「おまっ、どうやって入ったんだよッ!」
意味が分からない。
そもそもここにいる意味・理由が分からないのだが、それを脇に置いたとしても窓には鍵がかかっていた。どうやって入ったんだ?
目つきを鋭く細め、糾弾するようにクレアを見つめる。
「……げ、玄関から?」
そう言いながら、目を泳がせる。しかも、音の鳴らない下手くそな口笛つきで。
「玄関?」
玄関はここ数年まともに使っていないが、それでも鍵を開けっ放しにしていた覚えなどない。
視線を一層に鋭くすると、クレアは肩を跳ねさせて手を後ろに回す。おまけに、クレアはじりじりと玄関への道を塞ぐように、リビングの扉の前に立つ。
……妙だな。
「玄関に、何かあるのか?」
「ぎ、ぎくぅ……っ!?」
そんな擬音を口で表現する奴、500年生きていても初めて会った。
一層に下手な口笛を強めるクレアを押しのけて、無理やり玄関へ。たどり着くと、そこでは半開きになったドアが風に揺られてギィ……と軋む音を鳴らしていた。
「え、えっと、これは……?」
もしかして、留守の間に超ダイナミック空き巣野郎でも侵入したのだろうか。『鍵をちまちま細工して開けるなんてめんどくせぇッ! オレはダイナミックに扉を蹴破るぜッ!』みたいな大馬鹿野郎が。
いや、そんなわけはない。何も部屋のものはとられていないし。
不意に、背後からゴトリと音が鳴る。
ゆっくりと振り向くと、クレアの足元にドアのノブだけが落ちていた。
「お、おい……まさか……!?」
玄関に向き直って目を凝らしてみると、ドアノブの部分だけがくり抜かれたように円形の空洞が存在している。
「……クレアさんよ?」
「は、はひっ!?」
据わった目で振り返る。
「で、弁明はあるかな?」
「ナ、ナンノコトカ、ワカラナイデスネー……」
目を背け、クレアは必死に口笛を吹き続ける。なんとも往生際が悪いものだ。
半目になり、深々とため息をこぼす。
……ああ、扉の修繕費って何桁いくんだろうなぁ。
これからの実質タダ働きとなる日数を指折りながら、もう一度長くため息を吐き出すのだった。
◇ ◆ ◆ ◇
ギィッと音の鳴る木の扉を開けた先は、コーヒーの香りが広がる喫茶店だった。
「いらっしゃいませ」
声の来た方、カウンターに目をやる。
カウンターにひとり立つのは、白髭を蓄えたこの喫茶店『宿り木』のマスター。よく他のお客の相談に耳を傾けている優しい雰囲気の男性だ。
ふと、マスターと目が合い、微笑んでくる。
……あ、まだ注文をしていなかったな。
少しだけ思案した後、店の最奥にある席を指さしてマスターへ視線を返した。
「じゃあ、今日はイチゴケーキとブレンドのブラックを」
「かしこまりました」
どうぞ、と目線で促されるまま席へ向かう。
少し気になって後ろにいたはずのクレアを一瞥すると、ポカンと口を開いて立ち止まってしまっている。何かわからないことでもあっただろうか?
クレアへ呼びかけようと一歩踏み出した瞬間、マスターがさりげなく助け舟を出す。
「本日のおすすめはチーズケーキとストレートティーでございますよ、お客様」
にこりと口角を上げ、メニューの一部分を指さして見せる。
なるほど。メニューが多すぎて何を選べばいいのかわからなかっただけか。心配して損したな……。
「あっ! え、あっ……じゃ、じゃあ……それで……」
消え入るような声で注文を決めると、一度深くお辞儀。そのままこちらへ駆けてくる。
伏せた顔を逸らしてはいるが、耳まで真っ赤なのが丸わかりだ。
思わず、肩をすくめて鼻で笑ってしまう。
「ちょっ……ちょっと、ルイさん! 鼻で笑わなくたっていいじゃないですかぁ!」
「笑ってない笑ってない。ぷっ……」
「ほら、また笑いましたね!?」
顔をさらに真っ赤に染め、頬をパンパンに膨らませる。
「こほん……ほら、騒いでないで早く席に着け。迷惑だろ?」
「むぅー……」
不承不承ながら……といった様子で向かいの椅子に腰を落ち着かせるクレア。すると、クレアは店内をぐるりと見渡し始める。
「伝説の勇者様もこういうお店に入るんですねぇ……」
息を漏らしながら、そんなことを口走ってくる。
「……どういう意味だ、それは?」
遺憾だ。どんなイメージを持たれているというのだ。
「ああ、いえいえ! まったくもって悪い意味じゃないですよ? ホントですよ!?」
眉をひそめて怪訝そうにしていることに気がついたのか、必死に手を振って弁明するクレア。
悪い意味でなければどういう意味だというのだろう。
半目を送りつつ、ため息をこぼす。
すると、ちょうど会話の切れたタイミングで、マスターがケーキとドリンクをそれぞれの前へ差し出してきた。
「こちらがイチゴケーキとブレンド、こちらがチーズケーキとストレートティーでございます。ごゆっくり」
終始にこやかな笑みを崩すことなく、マスターはお辞儀を残して去っていく。
その背を見送ってからもう一度正面に向き直り、目を丸くした。
「な、なにやってるんだ……?」
目を輝かせてケーキを舐めるように見つめているクレア。ケーキに夢中で、こちらの声は届いていないようだ。
嘆息し、コーヒーカップを手に取る。そのまま、鼻先まで持ち上げる。
コーヒーの味わい方には、個人的なこだわりがある。
ますは、鼻先でカップを三度ほど回す。湯気とともに立ち昇ってくるかぐわしいコーヒーの香りを堪能するのだ。
それから、ゆっくり一口含む。広がる苦味や酸味、コクの強さなどを口内で十分に味わってから、一息に飲み込む。
飲み込んだ後は、後味を噛み締めつつケーキを一口切り分けて口へ運ぶ。
そして、息をついて余韻に浸る。この時間のために、過酷な労働に勤しんでいるといっても過言ではない。
そうして自分の世界に浸っていると、クレアがこちらを見たまま固まっているのが目に入ってくる。
「……紅茶、冷めるぞ」
じっと自分の所作に目を配っているクレアを、半目で見つめ返す。
言われて気がついたのか、慌てて紅茶を口に運ぶ。
「あ、熱っ!?」
舌を出して冷まそうとするクレアから視線を外し、肩をすくめる。
視線を戻すと、恥ずかしそうに顔を赤く染め、身体を小さく縮めている。いたずらがバレた子どもみたいだ。
そのまま控えめにフォークを突き刺すと、ケーキを口へ持っていく。
パクリと一口。直後、クレアは椅子から飛び上がるようにして立ち上がる。
「――ッ!?」
飛び上がった勢いそのまま、目を丸くするマスターを一瞥。一瞬溜めてから、クレアは満面の笑みで親指を立てた。
すぐに困ったように笑顔を浮かべ、マスターは深くお辞儀を返す。
「美味いのはわかったから、とりあえず落ち着いて食べてくれ」
「あ、すいません……」
頭を掻きながら、クレアは席に戻る。
ちょうど、ほかにお客が入っていなくて助かった。こんな動きのうるさいやつの連れだと思われたら、今後この町で生きていける気がしない。恥ずかしすぎて……。
もう一度肩をすくめると、俺も黙ってケーキを口に運んだ。
……まあ、ここのケーキが飛び上がりたくなるぐらいに美味いのはわかるけど。
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