第3話 ようこそ、労働者の墓場へ
空から降り注ぐ陽の光もさらに強さを増し始めた頃、この目はある倉庫のような建物を見上げていた。
「『飛竜便 ルーチェ第一倉庫』?」
足早に倉庫へ駆けてゆくルイの背を視線で追ってから、クレアはポカンと口を開いて立ち尽くす。
ひとまず、自分の両頬を指で摘まんで伸ばしてみる。
「いはいれす……」
ヒリヒリと痛む頬を擦る。どうやら夢ではないらしい。
『飛竜便』といえば、全国各地に荷物を届ける配送会社だ。モットーは『早くて安く安全に』だったはず。
そんな配送会社の倉庫に、秘密の集会場があるようには思えない。
これではまるで――。
「普通に、日雇い労働者みたい……って、そんなわけないですよねぇ。アハハ……」
ポリポリと頭を掻く。
そうしていると、もう人波でルイの背中が見えなくなってしまった。
「えっと、たしかこっちの入り口から入って……」
ルートを思い出しつつ、人の流れに紛れて倉庫内へ。
倉庫に入ると、まず熱波が来た。
「うへぇ……暑ぅ……」
思わず顔をしかめてしまうほどの、湿気と熱気にまみれた室内。身体にまとわりつくような蒸し暑さは、ここが銭湯なのではと思わせるほど。
その理由は、すぐにわかった。
風が通るような、大きな窓がないのだ。
(心なしか、景色が揺らいで見えますよ……)
倉庫に入って間もないのに、もう汗が頬に伝ってくる。
それを拭って辺りを見回すと、荷物の山の向こうから怒号が微かに届いてくる。少し様子を見てみよう。
「お前ら、休んでる暇なんてねえぞッ!」
木箱の隙間から顔を覗かせて聞こえてきた第一声がそれだった。
(こ、こわっ……!?)
鬼のような形相で指揮する厳つい男の脇。視線を伸ばすと、そこにせっせと働くルイの姿が映り込む。
木箱を抱えて、何とも重そう。
「へぇ、運ぶ荷物を配送先の区域によってだいたいわけているんですねぇ……」
顎に手を当て、分析っぽいことをしてみる。
何かを分析できたわけではないが、ちょっとだけ新鮮だ。何度か飛竜便を利用したことはあるが、その裏側を見る日が来るとは思わなかった。
「それにしても、大変そうですねぇ」
目に入る人全員が、滝のように流れる汗を暇があれば拭っている。だというのに、休憩や水分を摂る様子すらない。しかも、怒られる。これは怖い。
「おい、お前ら! 何やってんだァッ!?」
ビクッと、反射的に肩が跳ねる。
もう無理だ。早くここから離れよう。気を抜いたら泣きそう。
(ひ、秘密の集会場なんてないじゃないですかぁ……っ!)
誰もそんな場所があるとは言っていなかった気がするが、たぶん気のせいだろう。うん、きっとそうだ。
忍び足でこの場から去ろうと決意して振り返ると、そこには顔面蒼白の痩せ男が直立していた。
「ヒィッ!?」
いつになく甲高い悲鳴が喉奥から絞り出された。
痩せ男の方はというと、目に生気はなくどこか虚ろな感じ。人形のような無機質さを醸し出しながら、目の前でただひたすらに直立している。怖い怖い。ホントに怖い。生きているのかすら判別できない。
すると、痩せ男の背後から何度も怒声が飛んでくる。
それでもピクリともしない。本当に人間なのだろうか。どこかへ配送するマネキンとかであれば、この早鐘を打つ心臓にも優しいのだけども……。
こうなれば、いっそのこと勇気を出して直接聞いてみるしかない。
「あ、あのぅ……マネキンさん、ですか……?」
我ながら、おかしな質問だ。
だが、痩せ男は答えない。やっぱりこの人はマネキンだったのだ。
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、返事の代わりというように痩せ男は突然その場に倒れ伏した。
「ひやぁ……っ!?」
慌てて飛び退いてセーフ。下敷きにされずに済んだ。
直後、倒れた音を聞きつけて他の社員らしき作業員が駆けつけてくる。
「おい、大丈夫か。おい、おいっ!」
社員は痩せ男の額に手を当て、素早く発熱状態を確認。二、三度頬を軽く叩いても反応がないことを確認すると、伏せていた顔を上げて声を張り上げた。
「また一人倒れたぞぉぉぉっ!」
また、ということは何度も倒れた人がいるのだろう。
……というより、やっぱりマネキンじゃなかったんですね。
自分が頬を掻いている間に、厳つい鬼のような男がやってくる。どうやら、現場責任者のようだ。見るからに偉そうだから、たぶんそう。間違いない。
「ああ!? んな軟弱者、そこらの道端にでも捨てとけ!」
唾を地面に吐き捨てながら、責任者の男がゆったり近寄って痩せ男を覗き込む。
しかし、見下ろす責任者へ神妙な表情で振り向き、社員の男は首を横に振る。
「でも、最近出てきた『熱中症』とかいう病気が……」
「チッ、医者の奴ら、新しい病気なんて見つけてきやがって……。とりあえず顔面に水ぶっかけとけ! 水分とらせときゃいいんだろ?」
面倒くさい、という態度を隠しもしない責任者に、胸の奥で沸々と怒りが湧き上がってくる。
しかも、舌打ちまで残して去っていくあたり、本当に好きになれない。
(この男、伝説の勇者様とは正反対の悪党ですね! 神罰が下りますよっ!?)
ムムム……と唸りながら念を飛ばしておく。
気が済んで足元に目を落としてみると、残された社員の方は痩せ男の顔に水を思い切りかけている。本当にやっちゃいましたよ……。
私が半目で引いている間に、社員は痩せ男の足を引きずって倉庫の隅へ。そこには、山のように積み上げられた気絶した作業員たちの姿があった。
(こ、ここは『労働者の墓場』ですか……っ!?)
身体は小刻みに震え、この場でへたり込んでしまう。もう足腰が立たない。
『早くて安く安全』な宅配便がこのような地獄の上に成り立っていると知ってしまえば、もう二度と配達を頼めない気がしてくる。
(は、早くこの場から去らないと……私も殺られる!?)
ぞわりと背筋に悪寒が奔る。
逃げようと四肢に力を籠めるも、うまく力が入らない。ガタガタと震えることしかできない。
助けて。今にも涙が溢れだしそうなこの目は、ルイを探してさまよう。
しかし、視線がぶつかったのはルイではなく、怒声を張り上げている責任者の男だった。
「ん? お前は……」
(……あ、終わった)
一瞬で悟った。闇を目にしてしまった者は、始末されてしまうのだ。こういうときの“お決まり”というやつだ。
じりじりと詰め寄ってくる責任者の険しい形相を見上げながらも、腰が抜けて動けない。
こちらに伸ばされるゴツゴツとした手が、ひどくスローモーションに見える。
(や、殺られる……!?)
思わず、ぐっと目を閉じる。
足音が目の前で止まると同時、うっすらと目を開けると軽く両肩に手が添えられていた。
「へ?」
目を丸く見開くと、責任者は何も言わずに脇にある錆びた扉を指さす。
(ま、まさか、あそこは拷問部屋なんじゃ……!?)
扉の前にかけられたランプの灯がゆらゆら揺らめくのが、とてつもなく物々しい雰囲気を醸し出している。
ここは勇気を出して、逃げ出すために反撃を――。
「え、ええっと、あのぅ……」
「ん?」
「い、いや、なんでもないれす……ずびばぜん……」
厳つい顔に似合わない満面の笑みで返され、反撃失敗。逆に泣けてきた。
もうこうなればヤケだ。たとえ拷問であろうと、受けきって絶対無事に帰ってやる!
「や、やるぞ~……!」
「おお、活きが良いな! じゃあ、これ着て頼むわ!」
「ヒィッ!?」
謎の麻袋を持たされ、バンッと背中を叩かれる。
促されるまま、扉の中へ。そして、震えながら袋の中身を覗き込んで、目が点になった。
「え、これって――」
思考停止。何も考えられない。
とりあえず、言われたように“コレ”に着替えよう。うん、そうしよう。
足を袖をゆっくり通し、靴も履きなおす。そして、帽子をかぶって着替え完了。
着替えを終えて部屋から出てきた私は、上下つなぎの作業服に分厚い安全靴、さらに飛竜便のマークが入った帽子をかぶった『ザ・作業員』といった姿だった。
「え、なんで……?」
ポカンと立ち止まる私に、責任者の男が近づいてきて肩をひと叩き。
「いやぁ、新しくヘルプを寄越してくれたのか。助かったよ! 急だった分、給料にもちょーっと色つけとくからさっ!」
粗野な笑い声に呼応するように、何度も肩をバンバン叩く。
「は、はぁ……別に、そうじゃないんです……けど……」
「あぁ?」
「い、いやぁ、実はそうなんですよーっ! アハハ! アハハハハ……ぐすん……」
意見するだけ無駄だ。別に殺されるわけではなさそうだから、勘違いされたままでいいだろう。うん、絶対にそうだ。
こちらの言葉を聞かず、責任者は高笑いしながら去っていく。
私、なんでこんなことしてるんでしょう。何か大事なことを忘れているような気もしますし……。
◇ ◆ ◆ ◇
白くモヤがかかったような不明瞭な視界。
体温よりも少し高いぐらいの、何とも心地いい湯船に首元まで浸かると、身体をブルブルと震わせた。
「ふぃ~……いぎがえるぅ~……」
天井を仰ぎ、深く深く息を吐く。
じんわりと湯が痛む節々に沁みわたっていく感覚に、思わずまぶたが重くなってくる。眠気は頭を振って追い出すと、背中がミシッと鳴った気がした。
背に手を回して、慌てて擦る。
どうやら筋を痛めたわけではなさそうだ。急に肉体労働をしたせいで、筋肉が悲鳴を上げているだけだろう。
息をつき、湯船のへりに身体を預ける。
「汗を流した後のお風呂ってどうしてこんなに気持ちがいいんでしょうかね~?」
気持ち良すぎて、鼻歌が漏れ出てくる。
「ふんふんふ~ん! ふんふんふふふ~んっ!」
なんだか楽しくなってきた。徐々に鼻歌も大きくなってくる。
気づけば、周りの婦人方から白い目を向けられているような……。
「げ、げふんげふん……なんか、すみません……」
身体を縮こめ、湯船に鼻下あたりまで浸かって真っ赤に染まった顔をできるだけ隠そうとする。
ぶくぶく……と音を鳴らし、少し泡立つ湯。
しばらくしてそこから顔を上げると、振り返って背後の大壁画へ目をやった。
「それにしても、何か忘れているような……いないような……?」
そこに描かれているのは、白く輝く聖剣を手にした勇者と、黒く闇を纏った魔剣を手にした魔王の姿。左から徐々話が進んでいく形式のようで、左端では勇者が聖剣を抜いた場面であるのに対し、右端では魔王の胸に聖剣を突き立てる場面になっている。
これは500年前、ルイと魔王が幾度となく剣を交えたという伝承を描いたもの。勇者に
かつての激闘を物語るこの壁画が、私は好きだった。
子どもの頃は、今の平和な世を実現したルイの勇姿が刻みつけられた壁画を、一日中かじりつくように見ていたものだ。
(今はその憧れの人に直接“お願い”するのが仕事って、人生何があるかわからないものですねぇ……)
そこまで考えて、ハッとして立ち上がった。
「あっ、ルイさんに協力を依頼するの忘れてましたぁぁぁっ!?」
白い目が殺到するが、そんなこと気にしている余裕はない。嘆きの叫びを上げながら、頭を抱えた。
もう天を仰ぐことぐらいしかできなかった。
……あ、目から涙が。
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