第一章 世界平和でメシは食えない
第1話 勇者を訪ねて
燦燦と降り注ぐ太陽のシャワーと、吹き抜ける大らかな風。
穏やかな街道の中心に仁王立ちで、古びた木組みの門を見上げた。
「ここに“あの人”が……」
つぶやく声に答える人はいない。それでも満足げに頷いて、その古びた門へと歩き出す。
「ちょいと、そこの嬢ちゃん!」
ふと、背後から呼び止める声。首を傾げながら振り向くと、小太りの男性がこちらに来いと手招きをしていた。
男性の前の方に目を向けてみると、何やら行列に並んでいる様子。
とりあえず男性の方へ足早に駆けてゆく。
「嬢ちゃん、町に入りたいならここに並ばなきゃならんよ」
「そうなんですね! ありがとうございます!」
思い切り頭を下げて、最後尾だった男性のすぐ後ろに並ぶ。
……それにしても気になる。
目の前には軽く数えただけでも、二十人以上は並んでいる。しかも、そのすべてがやけに大荷物を載せた荷車を伴っている。
何度か飛び跳ねて前方も見てみるが、だいたい皆同じような大荷物だ。
ちょこん、と前の男性の肩を叩く。
「ん? 何かあったかい?」
振り返った男性に、列の前の方を指さして尋ねる。
「近々、大きなお祭りでもあるんですか?」
「ん、ちげえよ? 嬢ちゃん、この町は初めてかい?」
一度、コクリと頷く。
「なら、知らねえのも無理はねえか」
男性はポンッと手を打つと、行列の前の方を指さす。
「こりゃ、ただの行商人の定期便さ。この町の商店に卸す商品を朝一番で届けるって寸法なんだ」
男性は肩をすくめて、やれやれと息を吐いた。
「まあ、この行列は毎朝の恒例行事ってとこさ」
「ほー、そんな町だったんですねぇ……」
息を漏らし、木組みの門の方へ目を向ける。同時に、軋むような音が聞こえてきて、門が徐々に開かれていく。
「おっと、あんまりゆっくりもしちゃいられねえな」
男性も自分の荷車の前へと足早に戻っていき、何やら同行者たちに指示を飛ばしている。
自分の荷物はいくら大きいとはいえ、バックパックと長杖ひとつ。まだまだ長いこの行列の最後尾の自分は、まだ慌てるような時間じゃない。
腰に提げた水筒を手に取り、一気に呷る。
すると、指示を飛ばしていた男性が、不意にこちらへ振り返った。
「そういや、嬢ちゃん。どうしてこの町に?」
男性はこちらをまじまじと見つめながら問いかける。
こんな朝方から女性一人でいること自体が奇妙なのだろうが、まあ八割方自分の恰好のせいだろう。
風になびく純白のローブ。背丈ほどもある長杖。そして、それに不釣り合いな大きく膨れ上がったバックパック。
自分の身体に一通り目を配り、それから町の方に目をやる。
「ここに来た目的ですか。そうですね……――」
訝しげに眉をひそめる男性に視線を戻すと、にこりと口角を持ち上げた。
「――勇者様に会うため、ですっ!」
◇ ◆ ◆ ◇
雲一つない晴天の下、盛大なため息をこぼして肩を落とした。
「はあ、やっと入れましたよぉ……」
ひとまず喉がカラカラだ。こんな天気のいい日に何時間も行列に並ぶものじゃない。自分ももう少し身体が弱ければ倒れていたかもしれない。
腰に提げた木の水筒を一気に呷ると、大きく息をつく。
「かぁ~っ! やっぱり疲れた体にはこれですねぇ~!」
全身に水分が染み渡っていく感覚に、身体をぶるぶると震わせる。
ひとしきり水分のありがたさを堪能してから、すっかり軽くなってしまった水筒を腰に提げなおす。
「うーん、さすがに太陽の下で何時間も並んでいたらこうなりますよね~……」
腰を左右に振り、揺れる水筒の重みを確認する。あと一口分ほどしか残っていないように感じる。
天気の良い日はいつの間にやら水筒が空になる。教訓だ。
井戸が周りにないものか。ぐるりとあたりを見回すと、噴水とその中心に鎮座する銅像に目が奪われた。
「それにしても、門番の方たちも失礼ですよねぇ」
両手を腰に当て、頬を膨らませる。
「『勇者様に会いに来た』って言ったのに『ああ、勇者像を見に来た観光客の方ですね』って判断されるのおかしくないですか?」
この目が見上げる先には、端々が剥げたり錆びたりしてしまっている男性の銅像がひとつ。その男性は剣を天に突き上げ、威風堂々とした佇まいでそこに立っている。
「あ、そうだ。ここに来たら、やっておかないといけないことがあるんでしたっ!」
ポンッと手を打つと、膨らませていた頬を元に戻し姿勢を正す。
それから、一拍手。続けざまに一礼。
「ありがたや~……ありがたや~……」
頭を下げたまま手を擦り、「ムムム……」と唸り続ける。
しばらくしてから、勢いよく頭を上げて大荷物の中から手帳を取り出した。
「『憧れの勇者様聖地巡りの旅、巡礼スポットその一 勇者像広場』巡礼完了っと……」
手帳に記されたリストのひとつにチェックをつけると、満足げに口元を緩める。
同時に、腹の虫が大合唱。
動きを止めるが、顔が見る見るうちに熱を帯びてゆくのがわかる。
「ま、まあ、腹が減っては勇者になれないってどこかの偉い人が言ってましたし……」
頬をポリポリと掻き、噴水のふちに腰を下ろす。背負っていた大荷物は足元へ。
丸々と膨れ上がったバックパックに手を突っ込むと、中を見ることなく手に当たる感触だけを頼りに荷物を漁り始める。
「おっ、ありました~っ!」
大荷物から引っ張り出した手に握られていたのは、目当てのもの――『おにぎり』だ。
葉に包まれた拳大のおにぎりを膝の上に乗せ、手を合わせた。
「いただきま~ふ!」
まだ言い切る前からおにぎりを頬張る。頬がパンパンになって、周りから見れば食べ物を口の中に蓄えているリスのように見えていることだろう。
しかし、そんなことは気にしない。なにせ、おにぎりがおいしいのだから。
うんうん、と頷きながら、二口、三口と続けて口にする。
「ん~……おいひ~!」
大きくガッツポーズをするが、もうまともに言葉を口にできないぐらいに頬は膨れ上がっていた。
そこで一旦手を止めると、ゆっくり咀嚼しつつ周りの様子を窺い始める。
噴水の周りには、どうやら観光客のような人はほとんど見受けられない。王都にある初代国王像の前には数多くの観光客がいるというのに。
ごくりと飲み込み、首を傾げる。
「うーん、王都の観光ツアーにも必ず『初代国王像のスケッチ』っていうのが丸々一日組まれているぐらいなんですけど……」
王都よりも人数が圧倒的に少ない上に、スケッチなどしている人は一人も見えない。
何なら、野鳥にパンくずを与えているお爺さんや、待ち合わせをしてどこかへ向かっていく恋人同士など、明らかにここの住民ばかりしか広場にはいないように思える。
「みんな憧れる勇者様の立派な銅像なんですけどねぇ……」
二つ目のおにぎりに手を伸ばしながら、眉をひそめる。
「あっ、そんなことより今日の予定を確認しなきゃ……っ!」
今度はゆっくりと味わいつつ、もう片手に地図を広げた。
「たしか、ここがこうなっているから……」
目線で地図に記された赤線をたどる。少し雑な手書きの地図ではあるが、これでも一応わからなくもない。
二つ目のおにぎりを食べ終えると、指についた米粒を舐めとる。
クレアは一度息を吐くと、勢いよく立ち上がってこぶしを突き上げる。
「よしっ、待っていてくださいね勇者様!」
◇ ◆ ◆ ◇
聞いていた話と違う。
それが今、胸中で荒れ狂う率直な感想だった。
勇者とは、500年前に異世界から侵略してきた魔王を単身で討伐した英雄の中の英雄。その彼にとある“お願い”をするために来たのだが、目の前に佇む家からはそんな煌びやかな印象など微塵も感じられない。
まず、屋敷どころか一軒家ですらない。ただの裏道にひっそりとあるさびれた集合住宅。
所々、コケが生えた場所やひび割れた壁などが目に入ってくる。本当に吹けば飛びそうなおんぼろ住宅だ。
そこに風が吹くと……。
「あっ、今ギシッって鳴りましたね」
とてもじゃないけど、常人が住むような家には思えない。
忙しなく手に持った地図と周りの建物を見比べてみるが、何度見てもこのおんぼろ住宅が教会の上司から指定された場所だった。
「いやいやいやいや……」
首を何度も左右に振る。
ありえない。こんな場所に自分の憧れた英雄――〝不屈の勇者〟と称えられた彼が住んでいるはずがない。
「……そう、間違い。何かの間違いですよ!」
ポンッと手を打つと、肩をすくめる。
「ホントに、住所を間違うなんて勘弁してほしいものですねぇ……」
そのまま、やれやれと首を振ってから来た道を戻り始める。
数歩道を戻ったとき、背後からコツコツと足音が届く。その音につられるようにして、首を回す。
「なんだ、勇者様かと思いましたよ……」
おんぼろ住宅の前に立っていたのは、ひとりの男性。
黒の短髪はあまり手入れもされていないのか、ボサボサ。そこから視線を下ろしていくと、薄汚れたつなぎの作業服の紺色が目に入ってくる。足元にはゴツゴツとした安全靴。
どこかの建設現場とかの作業員だろう。
特に期待もしていなかったが、口から勝手に残念そうなため息が漏れ出てくる。
こちらの視線などまったく気に留めず、男性は二階の窓へ立てかけられた梯子に足をかける。
(まあ、こんな見るからにどこかの作業員みたいな人が、伝説の勇者様と関わりがあるわけないですし……)
視線を外して、再び数歩道を戻る。
だが、そこでふと引っ掛かりのようなものを覚えて立ち止まった。
「あれ? でも、どこかで見たような気がしなくもなくもない気が……?」
背負った大荷物に手を突っ込み、またもや手探りでガサゴソと漁る。そして、その中から一枚のよれた紙を取り出す。
『最重要機密』という判子を押されたその紙を、指でなぞりながら内容を確認する。
途中、写真の場所で指が止まった。
「えっ!? あれが“不屈の勇者”!?」
叫びながら、よれた紙を目の高さまで持ち上げて振り向く。
振り向いた先、梯子の途中で男性が肩を跳ねさせて、こちらへゆっくりとその顔を向けてくる。
顔のパーツをひとつひとつ丁寧に見比べていく。髪型や表情などは少し違うが、優に100年は昔の写真だ。それぐらいは許容範囲ということにしよう。
服装やボロ家という先入観なしで見れば、確かに写真の人物と同じ人に見える。
「ほ、本当にあなたが〝不屈の勇者〟ルイ・マーシャルさんですか!?」
思い切り目を輝かせて、梯子に掴まったままの男性ことルイを見上げた。
逆にルイは顔を引き攣らせているような気もするが、そんなはずはないだろう。英雄とはファンも大切にするものなのだ、たぶん……。
しばらく見合った後、ルイは視線を切って急いで梯子を駆け上がろうとする。
「ちょっ……ちょっと待ってください、ルイさん!」
ルイの足元まで駆け寄って、梯子をガシッと握りしめる。
すると、同時にルイも動きを止めた。
「ルイさん、聞いてください! 魔王が復活しようとしているのですっ!」
「……なに?」
ゆっくりと振り向いたルイは、眉間にしわを寄せて怪訝そうに見える。
「『魔王復活の兆しあり』という報せをお届けするためにエンフィールド国教会より派遣されました、神官のクレア・エアハートと申します!」
縋りつくように梯子に手をかけながら、必死に頭上のルイへと言葉を届ける。
「――どうか、もう一度世界を救うために手を貸してはくださいませんか!?」
深々と頭を下げ、ぎゅっと目をつぶる。
だが、何も心配などしていなかった。伝説に語られる勇者は誰よりも強く、そして誰よりも優しかった。
そんな彼が『魔王復活の兆しあり』と聞き、じっとしていられるはずが……――。
「断る」
じっとしていられるはずが……あれ?
「い、今、なんて……?」
「断る。というわけでこの話は終わりだ。帰った帰った」
ルイはクレアから顔を背け、慣れた手つきで梯子を駆け上がる。
その姿を呆然と見上げながら、頭の中で彼の言った言葉を反芻する。
「……って、いやいやいや!」
目の前のこの人物は500年も語り継がれる偉業を成し遂げた、英雄の中の英雄ではなかったのか。
驚きに目を見開き、ルイの足元へと駆け寄る。
しかし、その間にルイは窓から部屋の中へ入り、窓を閉めていた。
やられた。頭が真っ白になってしまったせいで、家の中に避難されてしまった。
それでも、こんな程度で諦められるはずがない。なにせ、ここで勇者であるルイの協力を取りつけられなければ、多くの人が悲しむことになってしまう。
(……私の故郷のように)
ぐっと梯子を握る手に力を籠めると、閉ざされた窓の向こうへ声を張り上げた。
「ルイさん! ルイさーん! ル・イ・さ・ん~っ!」
返事がない。
でも、こんなことでめげたりしない。元気なことと諦めが悪いことは、自分の数少ない取柄なのだ。
自分にできることは、窓を開けてもらうまで名前を呼び続けるだけ。
すると、十回を過ぎたぐらいでバンッと勢いよく窓が開け放たれる。
「……………………なんだよ」
控えめに顔を出してくるのは、心底嫌そうな表情のルイ。
「どうしてですか、ルイさん。誰よりも世界の平和を望んだ、勇者であったはずのあなたが……?」
今にも目尻から涙がこぼれ、溢れてしまいそう。
それでもぐっと涙の衝動を抑えつけ、ルイの目を見つめ続ける。もしかしたら、何か重大な事情があって協力できないだけかもしれないのだから。
待ち焦がれる胸中を押し隠しながら、黙って答えを待つ。
数秒見つめあうと、ため息をひとつ入れ、ルイはビシッとこちらを指さす。
「じゃあ聞くがな……――」
一息。空気を取り込むと、ルイは言葉に変えて取り込んだ空気をぶつけてきた。
「――世界平和でメシが食えんのかッ!?」
鬼のような形相で叫び、ルイはすぐさま全力で窓を閉める。
こちらはまだポカンと口を開けたまま立ち尽くす中、静けさを際立たせるように乾いた風が吹き込んだ。
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