EGG under the sea

尾八原ジュージ

エイミー

 神様、どうかあたしの罪をお赦しください。といってもあたしは自分が本当に悪いことをしたとは思っていないのですけども、世間一般にはあたしのような行為は誘拐に当たるのでしょう。

 とにかくあたしはエイミーを彼女の家から無断で連れ出してきたのです。胴体も手足も縮んで、すっかり頭蓋骨の中にうずまってしまって、もう死を待つしかないあたしの友だちを。

 一体どういうつもりで神様は、この世界に「エッグマン病」なんて不可思議な病をもたらしたのでしょう。徐々に胴体だけが縮んで頭蓋骨の中に吸い込まれ、最期には生首のようになって死んでしまうおかしな病気、何億人かにひとりといわれるこの奇病が、どうしてエイミーの身にふりかかったのでしょうか。

 あたしがこうしてお祈りしているあいだも、エイミーは眠っています。寝台車のかたいベッドの上で、あたしのコートに包まれて、赤ちゃんのように幸福そうな笑みを浮かべて眠っています。とても不治の病に冒されて余命わずかなひととは思えない寝顔なのです。

 列車にはひとりぶんの切符を買って乗りました。キセルをするのは申し訳ないと思うのですけども、あたしは荷物のなかにエイミーを隠していたのですから、しかたがなかったのです。車掌さんに彼女を見せたらさぞ驚くでしょうし(エッグマン病の知名度はまだとても低いのです)、悪ければエイミーの家に連絡が入って、彼女は連れ戻されてしまうかもしれません。

 でもそんなことは絶対にできません。エイミーの両親は、自分たちの娘に酷いことをしようとしているのです。それを知ってなお放っておくことは、あたしがエイミーをさらったことよりも、もっと重い罪ではないでしょうか。


 少なくとも物質的には恵まれて育ったあたしにとって、エイミーはある種衝撃的な存在でした。

 エイミーとは、社会勉強のために始めたアルバイト先のクリーニング店で知り合いました。アイスキャンディーのように痩せて顔色の悪い女の子、しょっちゅう顔に青あざをこしらえてきては、店主に「カウンターに立つな」と叱られてへらへら笑っているエイミー。あたしはそれまで、そんな子に会ったことは一度もなかったのです。

 あたしが彼女に幾度も話しかけたのは、彼女へのやさしさや思いやりのためではなく、ひとえに自分の好奇心を満足させるためでした。いかにあたしが世間知らずであったか、自分が見たことのないものに対する想像力というものが欠けていたか、このことだけでもよくわかるでしょう。でもエイミーはあたしのそんな心を知るはずもなく、またそれが彼女一流の処世術でもあったのでしょう、あたしに対してもあのへらへら笑いを悪気なく返すのでした。

 エイミーが目の周りを青黒く腫らしていたりすると、あたしは無遠慮に「その怪我どうしたの?」などと尋ねました。彼女は「パパにぶたれちゃった」などと言ったあとで、かならず「わたしがいけないんだよね。わたし頭わるいから」と付け加えるのでした。

 顔色はさえなかったけれど、エイミーの瞳はとてもきれいでした。大きくて、仔猫のそれのように青くて、きらきらしているのです。あたしが興味本位だけでなく、だんだん本当の友情らしきものをもって彼女に接するようになったのは、もしかすると彼女の美しい瞳がきっかけだったかもしれません。

 実際のところ、エイミーは決してばかなどではなく、仕事の覚えは早いし、ワイシャツにアイロンをかけるのもとても上手で、あたしなどよりよっぽどきびきびと動くのでした。でも知らない人と話すのはとても苦手で、たまにカウンターに立ってお客さんの相手をすると、お渡しする服やおつりの額を間違えたり、何度もどもって冷や汗をかいたりするのです。なのでアルバイトのシフトが一緒になったときは、あたしがカウンターに立ち、エイミーが店の奥で仕事をするように、ふたりで示し合わせて動くようにしました。

「アリスのおかげで助かってる。ありがとう」

 エイミーはいつもあたしにそう言うのでした。いつの間にか皆に見せるへらへら笑いではなく、もっと芯のある、うれしそうな笑みを見せるようにもなりました。その顔を見られるのはあたしの知る限り、あたしひとりきりでした。

 エイミーがろくに学校にも行かずに稼いだお金は、ほとんどが両親に吸い取られていたようでした。あたしは本当にエイミーのことが好きになっていたので、何かしてあげたくてたまらなかったのですが、彼女はとても遠慮ぶかいのです。そこであたしは突然お菓子作りが趣味になったかのように装って、頻繁にマフィンだのクッキーだのの甘いものを作っては渡していました。

 なんという子供じみた嘘のおくりものでしょう。でもおかげでお菓子作りは、今ではあたしの本当の趣味になっていて、学校のいわゆる「いいおうち」の友だちにもふるまうことができるくらいになりました。

 そう、あたしはエイミーとともだちでいるために、どれだけ嘘をついたでしょう。あたしの両親はとても体裁を重んじるひとで、あたしは兄や姉にくらべて軽んじられてはいましたけれど、それでもエイミーのようなあざだらけの子と付き合うのにはよい顔をしない人たちです。その代わりお小遣いはくれますし、アルバイト代もありますから、あたしは学校の友だちに配るのだといってお菓子の材料を買い込んでは、エイミーの顔を思い浮かべながら粉をふるったりしたものでした。

 いつかこの家を出たらエイミーといっしょに暮らそう。あたしは本気でそう思っていました。

「遠くの大学に行ったらエイミーも同じ街にきて、そこでいっしょに暮らそうよ」

 あたしは何度彼女にそう言ったかわかりません。エイミーはいつもそれに「素敵ね」と答えるだけでした。

 たぶんそれは叶わぬ夢だということが、彼女にはわかっていたのでしょう。幼いころからずっとこき使われていた彼女は、しかし家から逃げ出すことができないのでした。いまさら親を捨てるなんて思いもよらなかったのでしょう。察しの悪いあたしにもそのことがわかりかけてきたころでした。

 エイミーがエッグマン病を発症したのです。

「最近体がおかしいの」と言い始めた彼女が、傍目からも「明らかに縮んでいる」とわかるようになるまで、二ヵ月ほどがかかりました。お客さんやほかの従業員も気味悪がるようになり、エイミーは店を辞めなければならなくなりました。あたしはさびしくて引き留めたかったのですが、それが無理なことは一目瞭然でした。だってエイミーの首から胸はすでに頭蓋骨の中に埋まって、両腕が不自然に顎の下から飛び出しているのですから。

 エイミーは携帯電話のたぐいを持っておらず、家にも電話がないというので、あたしは家の住所を教えてもらいました。エイミーは入院すらさせてもらえず、ずっと家に閉じ込められることになっていたのです。なのにあたしがお見舞いにいこうかと聞くと、親がいやがるからといって、それを渋るのです。

 あたしは毎日のように手紙を書きました。中身はほんのつまらないことです。学校で何をしたとか、ケーキがうまく焼けたとか、近所の犬がかわいかったとか。でも、そんなつまらない話をする時間が、あたしたちにはなにより大事だったのです。返事はいらないからとにかく手紙を受け取ってほしいと断っておきました。だってエイミーの体では手紙を書くのも大変でしょうし、だいたい切手を一枚買うお金すら、彼女の親は出さないでしょう。

 だからエイミーから返事がきたときは、本当にびっくりしました。なにかの伝票の裏に書かれたたどたどしい文字は、目をこらしてようやく読めるような拙いものでした。会えなくなってからすでに三ヵ月以上が経ち、病気は相当に進行していると思われました。

 手紙にはいよいよ病状が進行して、余命がひと月もないということ、それからもっとおそろしいことが書かれていたのです。エイミーの両親は、首のほかにはもう両手しかなくなった娘をもののように扱い、あまつさえ死後は、そのめずらしい遺体を好事家に売る算段をつけているらしいのでした。

『わたしが病気にかかって働けなくなったので、パパとママはそうやって帳尻を合わせなければならなくなったのです』

 手紙には、言い訳するようにそう書かれていました。自分の命が残り少ないことを悟ったエイミーは、これが最後の一通のつもりで、荷物を届けにきた宅配のおじさんに手紙を託したようです。そのおじさんは何の報酬もないのに、エイミーに同情して、わざわざその手紙をあたしに運んでくれたのです。

 最後に『わたしのともだちでいてくれてありがとう』と書かれているのを見て、あたしは胸をえぐられるような気持ちがしました。あたしがエイミーに強いて会わずにいたのは、彼女のためを思ってそうしたのではなかった。ただ死にゆく彼女を見るのがおそろしかっただけなのだと、あたしはこのときようやく悟ったのです。

 いてもたってもいられませんでした。死んでしまうことだけでもおそろしいのに、死後も見世物のように扱われなければならないなんて、あんまりではないでしょうか。エイミーが心からそう望むならまだしも、あの子は怖がりで、人見知りで、人前に出るのが大きらいなのです。

 手紙を書くためとはいえ、エイミーの住所を聞いておいて本当によかったと思いました。夕方になってから自転車で彼女の家に行き、こっそり庭にしのびこんで窓からのぞくと、部屋の中で中年の男女が眠っているのが見えました。お酒の瓶がいくつも転がっていたので、当分起きるまいと思いました。

 小さな家の周りをぐるりと回ると、エイミーの部屋の窓をすぐ見つけることができました。窓ガラスを割ってエイミーを連れ出すのは、ほんのちょっと勇気を出せば簡単なことでした。

 エッグマン病が進行すると、脳が圧迫されて、知能が著しく低下すると言われています。でもエイミーはあたしの顔をちゃんと覚えていて、あの芯のある笑顔をあたしに向け、舌足らずな声で「会いたかった」と言いました。あたしも泣きそうになりながら「会いたかった」と返しました。

「来てくれてうれしいけど、早く帰ってね。パパとママに見つかったら叱られるから」

 エイミーはそう言いましたが、あたしは引き下がるつもりはありませんでした。

「エイミー、どこか別のところへ行きたいと思わない?」

「できっこないもん」と言ってエイミーは子どものようにわんわん泣き始めました。「パパとママに叱られる」

「知ったこっちゃないわよ。あんた死ぬんだからね」

 あたしは持ってきたスポーツバッグに、泣いているエイミーを入れてしまいました。窓から部屋を出て自転車に乗り、急いでエイミーの家から逃げ出しました。途中でそっとバッグを開けてみると、エイミーは泣きつかれたのか、すうすうと寝息をたてて眠っていました。でも、その唇にはほっとしたような笑みが浮かんでいるのでした。

 エイミーの両親が起きて、娘が連れ去られたことを知ったら、きっと大騒ぎするでしょう。追いかけてくるかもしれません。もしかすると、あたしのことをもう知っているのかもしれません。いずれあたしが警察につかまるにせよ、それはエイミーの命が尽きてからでなくてはならないのです。

 寝台車に乗って、あたしはエイミーと海に向かうのです。彼女と駅のトイレでこっそり話し合って、そう決めたのです。

 エイミーの命はもう長くないでしょう。あたしはありったけ持ち出したお金をつかって、海の近くでエイミーと彼女の命の限り、いっしょに暮らすのです。そしてエイミーが死んでしまったら、重しをつけて海に遺体を捨ててしまうつもりです。そうすれば、見世物にはならずにすむでしょう。そのあとであたしがどんな罪に問われるにせよ、その仕事だけは絶対になしとげなくてはいけません。

 どうか神様が、あたしの罪をお赦しくださいますように。

 あたしたちの旅路を見守ってくださいますように。

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