お家へ帰ろう
山本Q太郎@LaLaLabooks
お家へ帰ろう
駅のホームが騒然としているようだ。
なんだろう。
髪の長い16歳くらいの赤いワンピースを着た女の子が、こちらに向かって歩いてくる。
あの女の子はどこかで見かけた気がするけどどこだっけな。ずっと会社にいたから会社を出た後だと思うけど。
それにしても疲れた。客に文句を言われながらもなんとか納期に間に合わせた。心身ともに疲労困憊。ここ数日はほとんど寝れてない。頭は何も考えられないし体は重い。会社を出て早く家に帰って布団で横になろうと駅までずいぶん早足だった。
駅の改札の手前で、物陰でうずくまっている女の子がいたような気がする。気分でも悪くて崩れ落ちているのかと思ったけど、鞄の中身を床に並べていたようにもみえたから、探し物をしているだけで手助けはいらないだろうと思った。髪は長く大きなリボンで後ろにまとめている、白い膝丈までのフリルの着いたワンピースを着ていたように見えた。化粧道具かなんかを探しているのだろう。若い女の子が人目もある駅の構内で床に座り込んでいるのは変に思えたが、何があっても中年のおっさんが若い女の子に声をかけてる以上におかしな事はないから関わらないでおこう。
あの女の子に何も困った事がなければいい。
改札では外国人の家族も見かけたおそらく地図かガイドブックを囲んで
困った事があったとしても何もしてあげられないから、だから困った事がなければいい。
改札を抜けていつものホームに向かった。4番ホームに着いてすぐに急行電車がホームに着いた。降りる客をやり過ごしてから電車の中のいつもの場所に滑り込む。この時間帯では椅子に座れないから、開いているドアのすぐ脇に滑り込む。降りる時にも便利で人が乗り込んできた時にも電車の奥まで押されてしまうこともない。
ようやくここまできた。家に帰り着くまでもう少し。今日は帰り道でビールを買って飲もう。発泡酒ではなくビールにしよう。お腹は減っているが食欲はない。空っぽの胃にアルコールを入れるのはまずいだろうか。お新香かサラダか。鶏肉の何かでもいいからすこし食べた方がいいだろう。帰りに寄るお店を決め、買っていくものの当たりをつけた。
ぼんやりとして気づかなかったけど、電車がずいぶん経つのに発車してない。我に返るとホームは悲鳴や怒鳴り声が響いて、遠くで大勢の人が騒いでいるような足音がしていた。スピーカーからは、緊急事態につき落ち着いて避難するようにという駅員からの指示が、駅全体のスピーカーから流れている。電車の中でも慌てて押し合わず近くのドアからすみやかに降車しホームから避難するように放送が入っている。やだ地震、とどこかで女性がつぶやいた。電車の中ではぎゃっという悲鳴とともに、乗客が慌てて出口へ殺到しだした。ホームにも人がいっぱいいる。何があったのか。みんなホームから改札にのぼる階段に向かっているようだ。人でごった返したホームの中で、人波に逆らって歩いている髪の長い16歳くらいの赤いワンピースを着た女の子がいた。制服を着た人が集まっている。制服を着たうちの何人かは女の子に話しかけている。
女の子と目が合った。女の子は嬉しそうに笑い手をゆっくりと持ち上げている。体が突然こわばり手足が固まった。息が苦しくなるほど心臓が激しく動き出した。体温が上がり全身が熱くなる。女の子が手に持っているのは鉄砲ではないだろうか。叫び声や怒鳴り声は遠のき、自分の声だけが頭の中にいっぱいになった。あれはなんだ。ホームにいる人たちは女の子から距離をとり、4番ホームの階段下には丸い人垣ができていた。制服を着た何人かはお客さんを誘導している。女の子に呼びかけている人もいる。
そうか。ようやくこの騒ぎの原因がわかった。この子が鉄砲を持って駅の中で人を撃って歩いているのか。多分そうだ。地震かと思ったが揺れには気づかなかった。電車に乗って走っている時ならわからないが今は止まっているし、これだけの騒ぎになる地震だったらさすがに揺れたことに気づいていただろう。だから地震ではない。火災なら火災訓練で聞いたことのあるベルがけたたましく鳴る独特の警報が鳴るだろう。焼ける匂いもしないし、煙も見えない。だから火事ではないと思う。そのように様々な可能性を検討した結果、今この場で一番日常的でない物は鉄砲を構えた女の子が駅のホームにいることだ。持っているだけならプラモデルかもしれない。いや、今の日本では本物の鉄砲を誰かが持っているという事を想像できない。子供がおもちゃを持っている。だれだってそう思うだろう。でもそうじゃなかった。おもちゃではなかった。彼女は鉄砲がおもちゃではないとわかるような事をしたんだろう。だから、これだけの騒ぎになっているんだろうし、この騒ぎは彼女が原因でほぼ間違いはないと思う。ホームの人並みは女の子を中心に波を打っている。この駅はホームから上がる階段が狭く人が詰まりやすい。
気づけば一歩前まで女の子が近寄ってきていた。ゆっくり伸ばそうとしている右手には黒い鉄砲を握っているのがわかる。うつむいており前髪が長いせいで表情はよくわからない。口元は笑っているように見えるが、ただ単に口が歪んでいるのかもしれない。ホームの奥から彼女のいる所まで転々と黒い足跡が続いているのに気づいた。靴は赤黒く濡れている。洋服もよく見ると赤い液体で濡れている。フリルの着いた裾からは何かが滴り落ちている。白い服が血で赤く染まっているから気がつかなかったが、さっき改札の前で見かけた床に座り込んでいた女の子だ。発砲したのだろうか。ぼんやりしていて鉄砲を撃った音に気がつかなかった。それとも、元々そんなに大きい音のする物ではないかもしれない。日本では本物の鉄砲の音なんか聞けない。テレビや映画でも、本当のピストルの音かどうかもわからない。鉄砲を撃つ原理が火薬なら、火薬が破裂した音は花火と区別がつかない。
そんな事を考えている場合だろうか。今現実に。多分現実だと思う。いや。現実を疑う暇は今はないと思う。もし、本当に殺意があり、かつ鉄砲を持っている人間に鉄砲を突きつけられたら、身の安全を考えた方がよいだろう。
いや、もうどうしようもないだろうか。どうしようもないとしたら、この女の子もきっともっとどうしようもないだろうな。どうしてこんな事をするのだろう。ニュースでもたまに見かけるようになった。それとも、この女の子もどうしようもなくなってこんな事をしているのかな。だとしたら、わかるような気もする。どうしようもない事は向こうからやってくるから、こちらではどうにもできない。こちらは普通に暮らしたいだけなのに余計な事をする人間が必ずいる。早く帰りたいからと言って他人を巻き込むことはないだろうに。上司のくせに、もっと適当に済ませられないかとはどういうことだ。だったらさっさと帰ればいいだろう。それを嫌がるのはどういうことだ。遅くまで残ってないと自分が仕事をしていないようで不安なんだろう。あいつなんかいない方が仕事はやりやすい。あいつがいると余計な手間が増えて肝心な事が何もできない。だいたい上もなんであんな人間を管理職据えているのかまったく理解できない。あんなやつの言う事を聞いていたってどうにもならないだろう。いい結果がでたって全部あいつが持っていく。失敗したら何処かの誰かがみんなの前で吊るし上げをくうだけだ。頑張ろうがどうしようがこちらにメリットは何もない。だったらせめて納得のいく仕事をしたいのに、あいつの指示を聞いていたらそれもできない。いつまでこんな事が続くのか、頑張っていればいつかどうにかなるんだろうか。どうにかなったらどうなるんだろう。想像できない。それもどうしようもないのだろうか。
女の子は左手も上げている。両手で鉄砲を支えるつもりだろうか。そうか。たぶん片手では引き金を引けないんだ。力を入れたせいか顎があがり顔が見えた。緊張しきっているのか、全くリラックスしているのか表情がなくて何をかんがえているのか全然わからない。顔はきれいだった。美人系だ。それとも歳を取ったから若い子が魅力的に見えるのだろうか。どうだろう。もし高校生の時クラスメイトにこんな子がいたら美人だと思ったんじゃないだろうか。もちろん、自分はこんな奇麗なクラスメイトに話しかける事なんてできなかっただろうけど。今でもきっとできないだろう。会社の同僚だろうと。女の人に話しかける時には、下心がある訳でもないのに緊張してどもってしまう。いつの間にか、何を言っているのかわからなくなる。何を言っているのかわからなくなっている自分を自分で意識して恥ずかしくなり、さらにどもりだす。話はさらに訳が分からなくなり、言わなくてもよい事ばかりが口から出てくる。それをやめようと他の言葉を探して、もっと言わなくてもよい事を話しだす。今思えばそんなことばかりしてきた気がする。女の子だけじゃない。勉強だって部活だって何一つ上手くいったことはない。よかったのは途中でやめなかった事ぐらいだ。でも続ける事は誰にだってできる。本当は続けていればいつかよくなると思っていたから続けていたんだ。勉強も部活も。でも続けていてもどうにもならなかった。最後までやめなかった達成感なんて、結果を出せなかった自分へのいい訳を自分にしたかっただけだ。
女の子が両手に力を込めている。腕の筋肉が硬く盛り上がる。鉄砲から煙が上がり、女の子は両目をつぶった。誰かに殴られたように女の子がよろけて後ずさる。鉄砲の先から弾が飛び出してきた。あれが当たると死ぬんだろうか。多分このまままっすぐ進むと額に当たるだろう。当たったら死んでしまう。死ぬのか。さすがに額に当たったら死ぬのかな。鉄砲の威力にもよるだろうけど、死ななかったらやだな。大きな破裂音が響いた。頭を鉄砲で撃たれたのに生き延びて植物人間にでもなったら嫌だ。意識がないなら死んだ事と同じか。でも、そうなると周りが大変だ。お父さんとお母さんが面倒見なくちゃいけないのか。まだ親孝行も何もしてないの。いつか。いつか余裕ができたら旅行に連れて行こうと思ってたのに。場所は決めてあった。昔の人だから歴史的な名所なんかが喜ぶだろうと思っていろいろ調べたのに。結婚はむずかしそうだから。特別な所じゃなくても行ける時に行ける所へどこでも行けばよかった。場所はそんな大事じゃないのに。親孝行どころか最後まで迷惑ばかりかけてしまう。そんな気はないのに。せめて心配はかけたくなかったのに。どうしよう。謝っても申し訳なさは消えない。なんでこんな事ばかり考えてしまうんだろう。もう鉄砲の弾が目の前にある。これが当たったら死んでしまうのに後悔ばかりしている。嫌なことばかり思い返してしまう。
了
お家へ帰ろう 山本Q太郎@LaLaLabooks @LaLaLabooks
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