第123話 Final Bell ~掴んだもの~
――試合時間残り24秒。扇野原選手達は、全員一生懸命に走った。だが、その反面、彼らには1つの作戦があった。それは、この一生懸命走っているのと反対に、この残された最後の24秒間を全てフルに使って得点を狙おうというものだ。既に試合時間は、24秒のうち4秒が過ぎている。コートの真ん中でドリブルをしている金華を含めて5人の選手達が闘志を燃やしつつも、しっかりと冷静な顔をしていた。金華が、ボールを百合にパスする。
――19…18……17……。
百合は、一瞬だけ紅崎に攻めに行こうとする姿勢を示して彼を警戒させるが、それは彼の罠。本当の狙いは、紅崎にパスカットをされないための予防線に過ぎなかった。百合からボールが、種花に。
――14、13……12……。
種花は、ボールをキャッチすると、そのまま少しだけ持った状態で考え込んだ。だが、すぐに「ヘイ! パス!」という鳥海の声が聞こえて来たので、彼は霞草のDFをうまくかわしながらパスを回す。
――10……9……8……。
パスを受けた鳥海は、種花とは逆にすぐにパスを裁いた。時間が差し迫っていたためだ。彼は、一瞬だけさっきの狩生のように上へパスを出そうともしたが、流石に光星のDFは硬かった。狩生が鳥海にそれをさせまいと強固に守っていたのだ。こうして、扇野原の最強エースに普通のパスを鳥海は裁く事となった。
――7……6、5……。
ボールを持った航は、すぐにドライブの態勢に入った。それは、さっきの天河同様にこの試合一番キレのあるドライブで、彼史上最速だった。絶対にここで決めて勝つ。その気持ちがドライブからも溢れ出ていた。自分が決めなきゃいけないというこの圧倒的緊張感の中で、彼はされどドリブルを辞めない。目の前に白詰がいるにもかかわらずだ……。
航は、何度も何度もドリブルで白詰を抜こうとした。しかし、なかなか彼は抜き去る事ができない。そう、白詰もまた彼史上最速を出しているのだ。お互い絶対に譲れない戦い――スピードの中で、それはどんどん進化していく……。
――4……3……2……。
だが、この勝負はすぐに決着がついた。結局抜けないと分かった航は、すぐに切り替えてダンクシュートを撃とうとした。彼は、弾ませていたボールを持って構える。
――彼にとって、自分のシュートは最も信頼できるものだった。それは、シュートやダンクを一番練習したからだ。だからこそ、この時の彼はとにかく何でも良いから撃とうとしていた。しかし、そんな彼の前に白詰が立ち塞がる。彼もまた、全力で手を伸ばす。
――負けない……!
――勝つ……!
2人の思いがぶつかり合う。そして……白詰の手が航のダンクをしようとしていた手にぶつかり合う。両者は、空中で睨み合い、ぶつかりあった!
――1……。
声にならない叫び声が2つコート上に響く――。そして、ついに……。
――0。
最後のブザーが、鳴り響いた。想太と航の手からボールは離れて行き、ゴールとは全然違う方向に転がって行く……。そんなボールのバウンドする音だけが会場に響き渡り、誰も一言も喋ろうとしない体育館の中で、着地した航がボーっと自分の掌を見つめる。
「……」
すると、そんな沈黙の中で自分の掌を見つめて信じられないと言った様子で立っていた航の元に白詰が倒れ込むようにして彼の胸元に顔面をぶつけてくる。
――白詰は、もう限界だった。
それを理解した航は、掌を見る事をやめて、彼の倒れて来た体を抱きしめてコートの真ん中のセンターサークルの中央に向かって歩きながら静かに言うのだった。
「……良い試合だった…………」
それを聞いた白詰は、航の胸の中で涙を流しながら精一杯に答えるのだった。
「……ありがとう…………」
この一言が、きっかけとなって会場は、ベンチから観客席にかけて一気に盛り上がりを見せた。大歓声が、体育館内に響き渡る。
「うわああああああああああああ!」
「終わったぞオオオオオオオオオオオオ!」
「なんて凄い試合だったんだ!」
観客達のこの大歓声の中で、コート上の選手達は、それぞれ歩き出す。扇野原選手達と扇野原ベンチにいた者達は皆、下を向いていた。彼らは、全員が悔しそうにしていたが、しかしそれと別に彼らの顔の中には「後悔はない」と書かれているようだった……。扇野原選手とベンチの者達は、全員誰一人として一滴たりとも泣いたりはしなかった……。
一方、光星ベンチの方へ歩き出した霞草。彼は、観客席でカメラを回し続ける父と母の方を向き、息を切らしながら父の持つカメラに向かって微笑んで見せた……。
そんな嬉しそうな息子の姿を見た父は、カメラ越しに一筋の涙を流しながら隣に座る自分の妻に向かって、言うのだった。
「母さん……この子を……こんなに立派に育ててくれて……ありがとう。進太郎は、立派な男に育ったよ……」
しかし、その言葉に母は、首をブンブン横に振って父の手を上から握りしめて答える。
「何言ってんですか! 私だけじゃ……私だけじゃこんな……。あなたぁ!」
母は、父に抱きついた。彼女ももう、気持ちを抑えられなかったのだ。そんな泣く母の背中を優しく擦ってあげながら父は優しく言った。
「今夜は……久しぶりに2人で食事にでも行こう。懐かしの……スパゲッティ屋だ」
「えぇ……」
*
そして、そんな夫婦のいる真下の光星ベンチの一番端っこでは、試合が終わって狩生が1人、駆けつけていた。彼は、試合中ずっと見えていた太刀座侯の姿を追ってベンチに来てみるが、そこには誰もいやしなかった。着いてみるとさっきまで見えていたはずの太刀座侯の姿なんて、何処にもない。狩生は……崩れ落ちた。そして、ベンチに自分の頭をぶつけるようにして伏せて、泣きじゃくった。
「何処なんだよ! いたじゃんか……爺さん……爺さぁん!」
だが、返事はなかった。その代わり、彼の脳内に太刀座侯の声がうっすらと聞こえてくる。
――お前は、もう1人でも大丈夫じゃ。な~に、そもそも儂は本物の太刀座侯じゃないからのぉ……。お前の心の弱さが生み出した幻影……。けど、でももうそんな幻影も必要ないじゃろう……。立派になったな狩生……。
「じいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃさあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんん!」
狩生は、泣いた。そして、そんな泣きまくる狩生の後ろで扇野原ベンチからここまでやって来ていた新花は、彼と同じく泣いていた。彼女は、狩生の後ろからそっと、自分の着ている黒い体育着のジャージをファスナーを開いて脱ぎ、それを上から被せる様にして着せた。それから、狩生の事を後ろからぎゅっと泣きながら抱きしめるのだった……。
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そんな幼馴染達とは、真反対の場所でスコアボードのある方角を見ていた天河が、ぼーっと、この後自分達が退場する時に使う細くて狭い上に上がる階段が奥に見える明かりのついた少し眩しい道を見ていた。彼は、何も言わなかった。すると、ふと天河の耳に聞き慣れた人の声が入り込む。
「……終わったな」
花車だった。天河は答える。
「あぁ……」
天河は、しばらくの間それ以上何も言わなかった。しかし、しばらく経ってから天河は目の前に見える細くて明るい上に上がって行く道を見てボソッと花車に質問する。
「……俺達は、勝ったのか?」
彼の問いに、一瞬花車は首を横に振ろうとするが、すぐに彼の瞳の先に見えるものを見て、そして彼の様子から何かを察した花車は、言いかけたその言葉をやめて、一度口を閉じてから改めて天河に言った。
「……あぁ、勝ったよ」
そう言うと、花車は右手に持っていた白いタオルをさっと天河の頭の上にかぶせてあげた。そして、花車は言う。
「さぁ、行こう……」
天河は、白いタオルの下でボロボロ……と涙を零した。
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彼らが、コート上のあちこちで涙を流したりしている中、体育館内では1つの放送が流れていた。
「本日の試合は、バスケットの歴史に残る大変すばらしい試合でした! 選手の皆さんは、本当にお疲れ様です! しかし、勝敗の方が両者引き分けという形で終わってしまったため、我々インターハイ運営チームとしましては、もう一度この試合をやり直すという方針を検討していまして…………」
だが、そんな大切な放送が流れているにも関わらず、体育館の真ん中に立って掠れた少し弱弱しくて、痰の絡んだ汚い声で叫ぼうとする者がいた。
「……向日葵……ひま…わり……」
彼の声は、物凄く弱い。叫ぼうとしているにも関わらずもうとっくに声なんて出せない状態だったのだ。しかし、男は声を出し続ける。……それは、次第に本来出せなかったはずの叫び声を出せるようにもなって、男の魂の叫びはついには、体育館全体に響き渡る事となる。
「向日葵ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ! 立ってるぞ……俺は……俺は、たってるぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
男の叫びを聞いた観客席に座る少女は、椅子から立ち上がってそれに答えるように言った。
「はなちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんん!」
それを聞いた紅崎は、満足げに微笑むとすぐに、その場から突如、観客席の方へと進みだした。それを見た向日葵も観客席から何処かへ駆け出す。
2人の様子を見ていた顧問の小田牧や下級生達、それから紅崎の仲間達や大学生達は、心配そうにそれぞれ2人の後を追う。
――しばらくして、2人は体育館から観客席へと繋がる20段の階段がある場所に辿り着く。そこで、2人は顔を見合わせる。そして、下にいた紅崎が彼女の名前を叫びながら上にいる向日葵の元へ向かおうと階段を一段ずつ決して飛ばす事なく、昇り出す。
「向日葵!」
そして、そんな2人の元に後から小田牧と下級生達が駆けつけて、昇る紅崎を止めようと動き出す。下級生の1人が彼に言った。
「……ダメですよ! 先輩! これ以上動いちゃダメです! 早く横にならないと!」
しかし、そんな下級生の静止を振り切って彼は、階段を昇り続ける。紅崎は言った。
「離せ! 俺は、約束したんだ! 最後まで俺は、絶対に倒れないって約束したんだ! 向日葵ィィィィィィ!」
そう言うと、紅崎はそのまま階段を20段昇り切り、とうとう頂上で待っていた向日葵の元へ到着。疲れからか、彼は到着と共に彼女に抱き着いた……。彼は、愛する女の温かい胸の中で静かに言うのだった。
「……向日葵、終わったよ。立ってる。俺、立ててるんだ。最後までお前と…………好きだ。向日葵……」
紅崎は、黒に染め直された彼女のサラサラした髪に蹲りながらそう言う。そんな彼の言葉に対して彼女も言った。
「……えぇ。素敵よ。花ちゃん……。愛してるわ…………」
「……あぁ、愛してる…………」
2人は、それから長い間ずっと抱きしめ合った……。しばらくして紅崎は、まるで死んだ人のようにすーっと彼女の温かい胸の中で目を瞑った。2人の姿を見た周りの人々は、もう誰も何も言わなかった。
――会場は賑やかだった。しかし、もう誰1人として彼らの事を”クズ”などと言う者は存在しない……。
完
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