第118話 Go The Distance 〜何度でも〜

 試合時間残り1分30秒。5度目の延長戦にて。コート上の選手達は、流石にもう全員が限界を迎えていた。走るのも辛くてろくにできない。ジャンプするのがやっとで、選手達はゾンビのように走り回り、ボールを回し、シュートを撃つ。体中からとんでもない量の汗が出ており、10人全員の顔は辛そうで、目もちゃんと開かなくなっており、チカチカするせいか彼らは試合中何度も無意識に両目を抑えたり、パチパチと目を開け閉めしたりしていた。髪の毛に関しても汗だくで、まるでシャワーでも浴びてきたようなそんな己の中の雨に打たれてビショビショになっている。特に少し髪の毛が長めだったり、ボサボサしているような者達の見た目は、最早カッコいいとは言えない位グチャグチャになっており、それは今の彼らのゾンビのような動きと合わさって不気味さをより際立たせていた。



 そんな全身ボロボロの彼らもようやく試合が終わろうとする一撃が決まる。それまで、両者とも2点を獲られたら2点を返し、3点を獲られたら3点を返す……という一進一退の攻めによって何度も2、3点差と同点を繰り返していたが、ここでついにその均衡を崩す大きな事件が発生する。




 それは、扇野原のSGシューティングガード百合が、航からパスを受け取った所から始まる。彼は、普通にいつも通り3Pシュートを撃とうとした。よ~くゴールを狙ってしっかりと膝を曲げ、手をいつもの位置に置く。しかし、この時DFの紅崎はつい、飛ぶタイミングを間違ってしまう。百合が、ジャンプをするその直前に彼は、百合のシュートを止めるためにジャンプをするのだが、当然そこに百合がシュートを撃つ姿はなく、彼はまだ膝を伸ばし切ってはいなかった。……そう、この時は単にシュートを撃つ直前に向こうが跳んだもんだからただ驚いただけだったが、しかしそのすぐ後に百合は一瞬で違うアイディアを思いつく。それは、一種の賭けではあるが、しかしやる価値は十分にあると彼は思ったのだ。





「……何っ!? フェイク!」


 それは、紅崎がまだジャンプをしている最中の事。百合は、自分がシュートを撃つタイミングをほんのちょっぴりずらす。本来なら既に自分もジャンプしているタイミングでも彼は、飛んじゃいなかった。百合は、一度ボールを下げてからもう一度ボールを上げ、膝を伸ばしてシュートを撃ちに来た。





「しまった!」



 紅崎は、飛んでいるせいで何も邪魔が出来ない。その隙に百合は飛んでいる紅崎に向かって自分の体をぶつけにジャンプする。






 ――ドガッ! と2人の体がぶつかった音がした後に百合はシュートを放った。そして、この瞬間に百合の狙い通りに審判の笛が鳴り響く。ピィー! と鳴る中、ボールはゆっくりとリングに近づいて行き、そのままリングの奥のバックボードに激突して、ガタンガタンとぶつかり合いながらも見事にネットを潜った。そして、それを見た審判は言った。




「……チャージング青15番! バスケットカウントワンスロー!」






 それは、バスケットの世界において最も強力な得点が入った事を意味する。3Pシュート中にファールを貰ってバスケットカウント。つまり、3Pシュート+フリースローが1本つくため、4点も獲る事ができる超強力なシュートだった。紅崎も自分がジャンプをして空中にいる間にこれが来るんじゃないかという予測はしていた。だが、あれに持ち込まれてしまえばもう自分にはどうしようもできない……。彼は、仕方なく手を挙げてファールを認め、その後に百合がフリースローを撃つ姿を見せつけられた。




「うおおおぉぉぉぉぉぉ! やっぱり扇野原だ!」



「これで、勝負ありか!」



 観客もそう言う。





「ナイス! 百合!」




「流石だぜ! 百合!」




 扇野原選手達も大盛り上がり。そんな中で……





 ――自分のせいで4点差もつけられた。




 紅崎の心の中では、この思いがグルグル巡ってしまってしょうがなかった。どうしようもない敗北感がして悔しかったのだ。だが、ここでただ悔しいというだけでは済ませない所が彼の強み。紅崎は、パスを貰おう。獲り返そうと必死に走り回った。だが、この思いはすぐにDFをしていた百合にも感づかれる。





 ――コイツは、危険人物だ……!





 第3Qで見せたあの光景が、まだ鮮明に百合の中には残っていた。だからこそ、彼は走り回る紅崎にぴったりついていき、絶対にボールを貰わせまいとしていた。







 そうやって、両者が走り回る中、ついに紅崎は今日一のキレを見せて百合を振り切ろうとした。流石の百合ももう体力が全然残っちゃいない。この紅崎のキレのあるスピードにはついて行けそうになかった。そして、紅崎が百合を振り切って「ボールをくれ!」と天河に言おうとしたその時、突如として彼の弱っていた足腰がフロアに落ちていた彼自身の零した汗に引っ掛かり、そのまま滑って転んでしまう。





 ――ドサッ! とかなり物凄い音と衝撃が会場全体に伝わっており、紅崎の体が地面に激突。そしてそのまま彼の体は疲れの影響もあってか、なかなか起き上がれなくなってしまう。



 観客までもが、この光景に驚き、心配の声を上げる者までいた。紅崎は、地面に自分の体を擦りつけながら少し痛そうに足を抑えていた。他の選手達が彼の元へと近づいて行こうとする。審判もすぐに何事かといった表情で紅崎の元へ走り出す。




 そして、そんな彼の苦しそうな顔がベンチの方を向いたその時、そこに座っていた小田牧。そして、光星ベンチのすぐ真上で紅崎をずっと見ていた向日葵はそれぞれ反応を示した。





 向日葵の方は、自分の彼氏のあまりの姿に耐えられなくなってしまい、彼女はわざと紅崎から目を逸らしてしまう。





「……」



 見ちゃいられなかった。こんな苦しそうな彼を……。彼女の立場として今すぐにでも彼に、もう良いって言ってあげたいと彼女は思っていた。でも、そんな事は言えない。なぜなら、向日葵は知っているのだ。この試合に彼らがどれだけの思いを賭けて臨んでいるのかを……。だから、何も言えない。言えないからこそ、目の前で彼が直面している現実から目を逸らした。








 そして、それとは対照的に小田牧の方は紅崎の事を真剣に見つめて彼に対して叫ぶように気持ちをぶつけた。






「……もう良い! 立つな! 起きるんじゃない! そのまま寝てろ!」





 小田牧は、そう言った。試合はとっくにレフェリータイムとなり、一時中断の状態。そんな中で、彼女は周りの事なんて一切気にせず、ただ彼に訴えた。





「起きるな! そのままでいろ! もう良いんだ! 立つな!」







 だが、そんな彼女の言葉を裏切る様に、紅崎は立ち上がろうとし続けた。しかし、1人では立てない。もう、そんな事も出来ない位彼はボロボロなのだ。





「君、大丈夫かね? 交代した方がいいんじゃ……」


 審判が耳元でそう言う。しかし、それでもお構いなしに彼は立とうとし続けた。でも、なかなか体が言う事を聞かない。






「……!」




 そんな時に、紅崎の前に1人の人間の手が差し伸べられた。彼は、手を伝って下から上へと目線を上げてその男の事を見た。






「……立てるか?」



 光星4番を背負う男――天河だ。彼が、紅崎に手を差し伸べると、紅崎はその手を握りしめてそして、前から天河。後ろは、白詰に支えてもらい、右を狩生。左を霞草に支えてもらいながら、ゆっくり立ち上がる。立ち上がった後に紅崎は、天河への返事を言った。





「あぁ……」


 言葉こそ弱弱しいが、その表情にはしっかりと決意が宿っていた。それを見た仲間達は、コクっと頷いてその場を去って行く。そして、彼らの後姿を眺めていた最中に紅崎は審判にもう一度聞かれる。



「……平気かね?」



 答えは決まっていた。





「大丈夫です」






 審判にももう分かっていた。本来なら何が何でもベンチに戻すべきなのだろう。……しかし、同じ男として紅崎の瞳の中に映る覚悟が何なのかを理解した審判は、天河達と同様にコクっと頷いた後に彼のいる所を離れて試合再開のホイッスルを鳴らした。



 そして、すぐに光星と扇野原の試合は始まる。扇野原は、呆れていた。紅崎花は、後半戦が始まった頃から既に様子がおかしかった。それなのに、自分達と混ざって試合を続ける。その根性と気味悪ささえ覚えるその姿に彼らは尊敬と共に呆れるのだった。





 だが、そんな彼らの思いも一瞬にして崩れ落ちる事となる。試合が再開され、光星ボールでスタートすると、すぐに紅崎の元にボールが回って来る事になる。







 ――今のコイツの体力を考えて、シュート撃つ以外の選択肢はもうない。それなら、シュートを撃つそのタイミングに合わせて飛ぶまでだ!






 百合のDFプランは、こうだった。確かに、紅崎にはもうドリブルする事もできやしない。シュート以外にできる事は何一つなかった。実際、彼は貰ってすぐにシュートのモーションに入る。膝をしっかり曲げて3Pを撃とうとした。彼の体が伸びきったその時、百合の目が光る。このタイミングで飛べば確実に紅崎のシュートをブロックできる! そう思ってこのタイミングを狙って彼はジャンプした。





 ――終わりだァァァァァァァ!






 百合は、心からそう思った。…………だが










「……見てるか? 向日葵」





 紅崎がそんな事を喋ったこの刹那、彼は上げていたボールを一気に下げる。伸ばし

ていた膝ももう一度曲げてみせた。そして、飛んでいる何もできない状態の百合にぶつかりに行くように彼はジャンプしてシュートを放った。……それは、まるでさっき百合が自分で見せた3Pとフリースローを決めるプレイのよう……。



 ――まさか……!?



「ダラアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!」


 紅崎の叫び声が聞こえる中、百合がピンチを悟り、そう思った瞬間に後ろから笛の音が彼の耳に入って来る。





















 ――ピピィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!





































 ――ボールが、切り取られた写真の世界の住人のようにネットをゆっくり音もせず、潜り抜けた。会場は、紅崎のプレイにまた、黙り込んでしまう。





「……!」




 観客席に座っていた向日葵が、逸らしていた目をもう一度彼に向ける。それと同じタイミングで審判が笛を吐き出して言った。





「ファール! 白6番! バスケットカウントワンスロー!」




















 ――ウあああああああああああああァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!







この時の会場の今日一番の大盛り上がりを、この歓声を……紅崎は二度と忘れやしないと、心に刻み込んだ。彼は、ぐっと目を瞑り、今この瞬間に自分が生きている事を実感する。仲間達もそんな彼の元に駆けつけて大喜びで飛びつく。ベンチだってそうだ。……後輩達が、紅崎のプレイに大喜び。椅子から飛び跳ねる者が続出した。







 しかし、そんな喜びで包まれた会場の中で2人だけ笑わない者がいた。





 1人は、向日葵。彼女は、笑うよりもまずこの感動を抑えきれなかった。彼女の瞳からは涙が溢れ出ていた。しかし、泣いているからといって彼女は、さっきのように目を逸らしたりはしない。決して……。













 もう1人は、小田牧だった。彼女は、反対にベンチに座っていたのにも関わらず、そこから崩れ落ちるように地面に尻餅をつき、フロアを見つめながら、ふるふると体を震わせた。






 ……やがて、小田牧もその瞳に涙を宿すようになり、彼女は自分の手でそれを必死に抑え込もうとしながら、壊れたラジオのように途切れていて、しかも歌の歌えなくなった元アイドルのようにかすれた声で小さく強く喋るのだった。






「……ご、ごめんな。……わたっ、わたひ……私は……あんな……あん、あんなに……あんな酷い……事を……最後まで、信じ……られなくて……わたひ…………」











「……どうして、言う事を聞かないんだ!」




「……クズだ! お前らみんな……クズの人生だ!」





「あんなクズを、試合に出しても足を引っ張るだけだ!」




















 ――自分の言った言葉がこんなに突き刺さるだなんて……思わなかった。アイツらは、。私に……いや、ここに今いる全ての人間にそれを証明しようとしているんだ……。大切な教え子だったのに……。








       扇野原VS光星

     延長戦5 残り時間53秒

         得点

        126VS126





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