第109話 乗り越えた者

「……お願いします!」


 唐菖部航は、職員室へ来ていた。彼は、監督の冬木に対して頭を下げていたのだ。その突然の事に冬木もどうしたものかといった様子でいた。彼が言う。


「唐菖部君……。とりあえず、顔を上げなさい。良いかね? 別に君が残って練習をしたいというのならそれは、構わない。まだ一年生だからおそらく、だろうからね。君は、体がまだできていないし……」


 航は、顔を上げる。すると、そんな彼の様子を見ていた冬木が、もう一度口を開く。



「しかし……またどうして、君は部活の後に自主練したいだなんて言い出したんだね? 今日、お呼び出しがかかった時は、流石に退部するんじゃないかって思ったものだよ」



 すると、そんな冬木に対して航は、真っ直ぐに答える。




「……アイツらみたいになりたいんです」




「え……?」



 航は、今度こそはっきりと冬木に伝えた。


「……東村の5人アイツらみたいに強くなって、自分が弱くない事を……フリースローさえ決められないクズじゃないって事を……皆に……先輩達に見せつけたいんです! 僕にとって、上級生達と練習できなくなった事なんて問題じゃない。そんなのは、中学の頃だって……そうだった。でも、それよりも僕が一番許せなかったのは、バッシュを捨てようとした自分自身! 一度でも諦めてしまおうだなんて思ってしまった弱い自分が許せないんです!」



 冬木は、そこでやっと理解できた。彼は、最初に航の事を見た時、周りの上級生達からチヤホヤされている様子や練習での実際に実力なんてない所を見て、コイツはすぐに消えると踏んでいた。だからこそ、わざと試練を与えて早くやめさせようと考えていたりも下のだが……しかし違う。冬木は、分かったのだ。唐菖部航という男の本当の強さ。それは、バスケの実力とかではない。心の強さだった……。





















 フリースロー決められ、しかしそれでもなんとか一本を取り返した光星であったが、再び扇野原の攻撃。


 ボールを持った航が、またも白詰の事を軽くあしらう様にドリブルで抜き去る。そして、そのままゴールの近くまで駆けて行き、途中からやって来た狩生と霞草相手にも一歩も引かず、彼はそのままレイアップをしようとジャンプ。そして、一度上げていた自分の手を下げて、持っていたボールを両手で触った後、同じくジャンプしていた狩生と霞草を空中でかわした後に彼は、ひょいっと投げてシュートを決める。





 ――ダブルクラッチだと……!?





 空中で自分と霞草のDFをかわしながらシュートを撃つ航の姿を見て狩生は驚く。彼の今やっているようなダブルクラッチは、自分達がするようなのとはわけが違った。



 普通、人間は鳥のように空を飛ぶ事ができないため、何処までやっても滞空時間を延ばすなんて事は、一定以上のレベルまで達してしまうともう上げる事ができないのだ。航が中学時代に見せていたダブルクラッチも確かに凄かった。白詰並みというには、まだまだだったがそれでも空中で人間一人をかわせるほどだ。……それが今では……。





 ――空中で2人かわすとか……ありかよ?





 昔の俺じゃないというのは、あながち間違っちゃいない。そう、狩生と霞草は痛感させられた。しかし、だからと言っていつまでもショックを受けているばかりではダメだ。



「とにかく一本だ!」



 天河は、航の試合中の成長っぽりに翻弄されている選手達に対して勇気づけるように声をかけた。だが、彼もまた内心少しイライラしている所があるのだった。





 ――金華廉太郎……。コイツ、前半からずっと俺のマークをしているが、コイツがついていると、全然思ったようなパスが出せない。今は、少しでも白詰以外の攻撃法を模索するべきところだというのに……コイツは、まるで相手のパスコースを捜査しているような……そんな恐ろしさを感じる。うまい……。強いというよりもまさにこれだな。





 そして、結局天河は白詰へパスを出さなきゃいけない羽目になる。ボールを受け取った白詰は、また航と睨み合う。




「次は、獲る!」




「……来いよ」




 白詰は、まずゆっくりとドリブルを始める。そこで相手の様子をじっくり見て、そして隙を見せた所を一気に抜き去る。……そのつもりで、ドリブルを始めた白詰だったが、しかしドリブル中に彼は気づいてしまう。






 ――一切、隙が無い……!?






 白詰が、航のDFに圧倒されて感心さえ覚えているそのわずか0コンマ数秒。航は、槍を持った兵隊のようにグッと手を伸ばしてボールをつつき、またも白詰からスティールをかます。




「……しまった!?」




 白詰がすぐに追いかけようとするが、しかし航の方が走り出しが速い。……やっとの思いで後少しという所まで航に追いつく事ができた白詰が回り込もうとしたその時、咄嗟に航の体が走るのをやめてストップ。



「……なっ!」




 白詰も急ブレーキをかけようとするが、全速力を超えるスピードを出していた反動でなかなかすぐには止まれない。しかし、その間に航はシュートモーションに入りその場でジャンプシュートを放ちだす。



「やらすかぁ!」



 と言って、白詰も飛んだがそれはもうとんでもない後出し。追いつく事なんてできやしない。航の中距離シュートミドルレンジシュートは見事に決まってしまう。





 ――白詰が、あそこまで歯が立たないだなんて……!





 ここまでの様子を離れた所から見ていた天河がそう思った。白詰は、もう完全に遊ばれているに等しい状況だった。……歯が立たない。……圧倒的。そんなのは、試合時間が進めば進む程彼の心を大きくエグっていく。すると、そんな下を向いている白詰に航が言って来た。





「……うすうす勘づいていると思うんだけどさ。俺、中学の頃お前ら5人の事が凄く羨ましくて……それで、いつか俺もお前らみたいになりたいってずっと思ってたんだよ。でも、お前らが次々とバスケやめていったのを聞いてショックだったのと同時にじゃあ、いっそお前らの事も見返してやろうと思ったんだ。……それで、毎日毎日中学時代のお前らの動きとか見て学び、動いて身に着け……そうしていくうちに身に着けたんだよ。





「なんだと……?」




 白詰は、驚く事しかできない。すると、そんな彼らの事を遠くから見ていた冬木は、彼らの会話を聞きながら心の中で思うのだった。







 ――唐菖部航君は、最高の選手に育ってくれた。彼は、毎日必死に練習を積み重ねていった結果大きなものを手にしたんだ……天河4番のようなパススキルとスティール力。紅崎15番のようなシュート力。白詰7番のようなスピードと決定力。霞草6番のようなリバウンド力。狩生12番のような技術力とパワー……。その全てを僅か3年の間に血の滲むような努力の末に身に着けたのだ。いわば、今の彼は単体の選手として……完璧。高校バスケット界でも最強と言っていい位の実力を手にしたのだ……!







 そして、そんな監督のニヤニヤした視線を気持ち悪そうに見た後に航は、もう一度白詰に対して言うのだった。






「……今の……練習さえまともにやって来なかった君じゃには、勝てないよ」






 そう言って、彼は白詰から通り過ぎて行く――。



















 同じ頃、光星サイドの観客席では物知りメガネこと新花兄が、近くに座っていた不良達や自分と仲の良い友達達に対してある事を話していた。






「……7番のヘアバンの奴と扇野原向こうの7番の違いだと……?」



 不良の1人が、そう言うとメガネが喋り出す。



「……あぁ、2つある。そして、この2つの差を埋める事ができれば……光星にも逆転の希望が見えてくるだろう……」





「なんだよそれ!」



 不良の1人がそう言うと、メガネはクイっと指先でメガネを上げた後に口を開く。







「それは……」















       扇野原VS光星

      第4Q残り7分57秒

         得点

        97VS85

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