第98話 諦めたくない
それは、2年前のある日。放課後の事だった。夕日に照らされて眩しい教室の中で、1人の教師と1人の生徒が向かい合っていた。
「……どうして、俺に近づいて来るんだ!」
生徒は、教師に言うのだった。すると、教師の方も生徒に負けじと声を大きくして言うのだった。
「……お前が心配だからだ! 紅崎! 上級生達なら私達に任せろ! 大人を頼って良いんだ。さぁ、戻ってこい。お前の力が部には必要なんだ……」
小田牧の熱烈な勧誘を前に紅崎は、少しだけ迷いのある表情を見せた。そこには、色々な感情や思いがごちゃ混ぜになっている様が見て取れた。決して今ここで口には、できないような思いだってあった……。言いたくても言えない……。紅崎の脳裏に試合直前に上級生達から殴られたり、蹴られたりした時の情景が浮かび上がってくる……。
そして、次に試合で活躍していた自分以外の5人の同級生たちの姿が……。最後に自分の事を観客席で待ち続けてくれた1人の女の姿が……。紅崎の脳内に映った。更に、紅崎の脳裏にもう1つ言葉が再生される。
「……最近、俺達に内緒で彼女まで作りやがってよぉ!」
――大人を頼れだと……!? そんな事……できたらとっくにしている。なんで分かってくれないんだ……。もしも、これ以上俺が出しゃばったりでもしたら……天河達も……下手すりゃアンタだって……それに、部活と何の関係もない向日葵だって……どうされるか分からないんだ……。アイツらは、向日葵の事を彼女だと勘違いしているけど、その存在には気づいている……。もう、俺がこのまま消えないと……バスケ部は……皆は…………。
それでも、紅崎の脳裏に楽しそうに試合をしている天河、白詰、霞草、狩生、花車の5人の姿が思い浮かんできて、脳内で勝手に妄想を始めていたのだ……。
最強、扇野原と自分達が戦う姿を……。今度は、敵として航と戦っている自分達の姿を……。もう一度、コートに立って、ユニフォームを着ている自分の姿を……。
――でも、俺は……。俺には……。
そうして、紅崎は覚悟を決めた表情で小田牧へ言ったのだ。
「バスケなんて、玉入れスポーツ……俺は二度とやらねぇぜ? んな事しなくたって、俺には彼女だっているんだ……。もう用済みさ」
「は? 紅崎、お前何言って……」
「……うるせぇよ! 才能だ? んなもん、俺にはどうだって良い。今までだって暇つぶしで部活に来ていたんだ……女にちやほやされたくってな。でも、もう用済みだ。気だるいスポーツなんか続ける意味ねぇ……」
「紅崎……?」
「悔しいか? お前が今まで真剣に向き合おうとしていた生徒がこんなに嫌な奴だっただなんて……悔しいよなぁ? でも、わりぃなせんせ~。これが、俺なんだ!」
「……」
小田牧は、もう喋らなかった。悲しい顔で紅崎の顔を見ていた。――すると、それに対して紅崎は、小田牧に背を向けて……教室から出て行こうとする。そんな彼の後姿を小田牧が見ていると、紅崎は去り際に言うのだった。
「……アンタが、もっと嫌な奴だったら……俺は、もっと苦しまずに済んだのにな…………」
次の瞬間、ガチャンというドアの閉まる音と共に紅崎は、出て行ってしまう。教室には、小田牧が1人。夕日の光に当たっていた。彼女は、この時から思うようになったのだ……。
――自分がバスケ部の部員達や他の生徒達に近づこうとするのは、もうやめよう。
そうやって、いつしか彼女も部活には来なくなってしまい、それと共に狩生、霞草、白詰と部員達が消えて行く中でそのモチベーションも大きく低下しきってしまうのだった……。
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「どうしてアンタは……そんなに良い人なんだよ……。あんなクズな事したのに……どうして、俺なんかを気遣ったりするんだよ……。やめてくれよ。俺の心配をするのはさ……。俺には……この試合に最後まで出続けなきゃいけないそう言う約束があんだ……。出させてくれ……」
「しかし…………」
「平気だ! 頼む……。これから先、俺はどうなったって構わない……。それでもこの試合に全力をかけたい……。自分がまだクズなんかじゃなかったって……ここに居る奴らに見せてやりたい……! 観客席で心配そうにしているアイツにだって、ずっと俺の事を応援してくれているアイツらにだって……俺がただの不良になっちまったクズじゃなくって、本当は出来る男である姿を見せたいんだ……」
「けど、紅崎……」
「お願いだ……。交代はやめてくれ……」
「……」
小田牧は、悩んだ。教師として、この場で交代させる事が普通。これだけ疲れも溜まっていて、もし万が一にでも脱水症状や熱中症にでもなったらそれこそ最悪だ……。
――だけど……。なんだ? この真剣な目は……。
それは、小田牧にとって懐かしさと闘志を感じる眼差しだった。彼が部活を辞めたその時から一度として見る事のできなかった。集中している時の彼の顔。
「……」
そして、小田牧は言った――。
ブザーが鳴り、光星と扇野原の両チームの選手達がコートに戻って行く。扇野原の選手達、4番金華。5番鳥海。6番百合。7番唐菖部。8番種花――。
対して、光星。4番天河。6番霞草。7番白詰。12番狩生。…………そして。
「頑張れェェェェェェェェ! 花ちゃん!」
観客席から聞えてくる愛する人の声。――15番紅崎は、今コートに戻る。そんな男の姿を見て扇野原選手とベンチは、目を見開いた。
「……こっ、コイツ!? まだやる気か?」
驚きの隠せない百合――。
「花……」
彼のガッツに何処か嬉しそうな顔を浮かべる唐菖部――。
「あれだけ疲れても尚、出てくるだなんて……脅威ではある。しかし、褒められた事ではないですね」
やれやれといった感じで気だるそうに自分の手に顎をのせて試合を見る扇野原監督の冬木――。
「……紅崎」
そんな中、小田牧はまだ信じられないといった様子でベンチにも座れず立ったまま彼の後姿を見ていた。その体育館の巨大なライトに上から証明を当てられた彼女の元にコートへ戻って行こうとする天河が気づき、彼女に声をかける。
「アイツなら、きっともう大丈夫すよ先生。心配してくれたのは、俺の方からもありがとうです。……ただ、アイツも俺も……それに他の3人も、たぶん思っている事は皆、花と一緒なんです。……だから止めないでください。お願いします」
「……」
「試合再開! 白ボール!」
審判がそう言うと、天河もすぐに後ろを振り返る事をやめてコートに飛び出した。小田牧は、そんな彼らの後姿を見ながらまるで、人間の手が抜けたパペット人形のようにガタッと音をさせながら椅子に座る。彼女は、まだ試合を見れなかったのだ……。
――最後の最後に……私は、あんな事を言って良かったのか…………? 止めるべきだったんじゃ? 大人として、アイツらを……。だって、もう……
そして、彼女がそんな事を思っている間にも扇野原の超速の
「よーしっ! 一本だ! この一本でとどめを刺すぞ!」
「「おう!」」
扇野原選手達の気合の籠った掛け声。そして、金華のテキパキとしたドリブル。コート上を走り回る選手達。――光星だって、負けてはいない。金華をマークする天河が、他の選手達に向けて叫んだ。
「ディフェンスゥゥゥゥゥゥ! くたばるんじゃねぇぞぉぉぉぉ!」
お互いのチームは、気持ちじゃ両方とも全く負けていない。獲るんだ。獲らせない。その思いがパス1つ1つ、ドリブル1つ1つの動作からお互いに溢れ出してくる。観客にもそれは、伝わっていた。止まない歓声がコート上に木霊する。しかし、勿論その歓声の9割方が扇野原に向けられた
そして、そんな中でやはりここで1人。既にバテバテの選手がいた。百合は、そんな自分の目の前にいるバテバテの選手に話しかけた。
「……もう、やめとけ。アンタじゃシュートもろくに撃てやしないだろ? 走るのだってやっとの選手が重たいボールを片手で上げるのなんてもっと無理なはずだ。それよりも自分の体の心配をした方が良い……」
彼は、話の最中に金華からパスを受け取る。ボールが男の手の中に収められた時、百合は再び話を始める。
「最も……ここから先、君がまだ残るのだと言うのなら俺達がすべき事は1つ。――
「……!」
百合が、そう言ったのに対して紅崎は目を見開き、そして咄嗟に自分の頭の後ろで結ばれている長い髪のゴムの部分に意識を向けた。彼は、既にゴムからとれて、グチャグチャになりつつあった長い髪の毛が自分の前に垂れていく中で……。まるで片方だけ貞子のようになってしまいつつあった髪の毛で隠れた右目で、バスケットボールを見つめつつ彼はゴムに意識を向ける。
――カッコわりぃな……俺は……。
扇野原VS光星
第3Q残り6分59秒
得点
75VS45
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