第86話 最弱にして最恐の一手

 ――光星側の勢いは、物凄いものだった。前半第2Q残り2分程度のこの状況で彼らは、とうとうそれまで10点以上引き離されていたはずの点差を大きく縮小させる事に成功させていた。これには、会場に集まっていた全ての人達が、驚いた。それまで、無名の弱小校だと思われていた光星が、ここまでするとは、到底思わなかったのだ。


 そして、それは、コート上にいる5人が最も強く痛感している事だ。彼らの頭の中には、既に最悪の状況が浮かんでいた。……前半、同点にまで持ち込まれれば確かにまずい。しかし、それ以上に点差と時間と勢いを加味して考えれば、このまま行くとそれこそ、前半で逆転される可能性も高かった。もし、仮に前半で光星に逆転されてしまった場合、そこからまた点差を広げるまでに少し時間がかかってしまう。……ただでさえ、光星など無名校に過ぎない、自分達にとってはそこまで警戒すべき相手でもないというのに、こんな所で体力を使いたくなかった……。それが、彼ら扇野原レギュラー達の共通の認識だった。それは、会場で期待して見に来て貰っている人々に対するプレッシャーとも結びつき、今彼らの心の中を蝕んでいるのは紛れもない闇そのものだった。


 ――このままじゃまずい……。



 そう思っているのは、選手だけではなかった。ベンチに座る者達もその思いは一緒だった。特に、扇野原ベンチに座る唯一の女子、新花あらかは今の状況に不安感を覚えていた。



「……監督、このままだとまずい気がします……」


 彼女は、自分の隣で気だるけに座るイケメン監督にそう告げる。――当然だった。誰がどう見てもこのままだと扇野原が一回戦で食われてしまうかもしれない……。そうなれば、扇野原のメンツが……。



 いや、学生たちにとっては、それだけで済むかもしれないが、今回の試合をベンチとは別の来賓席で見ていた扇野原の校長やその他お偉い様方は感じていた。




 ――この大会に多額の出資をしているうちの宣伝にとっても逆効果にならざるを得ない……。もしも、本当に扇野原が光星などという無名の学校に負けてしまえば、それこそ記念大会としてこの大会に多額の出資をし、自分達も記念年という事で学校の経営にも力を入れ出し、特に毎年全国大会にいき、今年は特に優勝候補と早くも囁かれる程になった我々扇野原が、機体のバスケ部で株を下げてしまえば、それこそ全国の学校中の笑いものになってしまうかもしれない……。





「……光星か……。昨日は、知らない学校だなと思っていたが、まさかこんなとんでもない選手達が集まっていたとは……。あの少年、なかなかやりおる」



 来賓席に座る1人の中年の男が言った。――そう、彼こそは試合前日に天河が東京体育館を訪れた際に案内をしてくれた中年の男である。彼は、来賓席の扇野原高校校長様と書かれてある場所に座って、少年達の試合を見ていた。
















 そして、校長までもが危機感を覚えている中で、再び扇野原ベンチに戻ってみるとそこではマネージャーの新花が監督に話しかけている最中だった。





「このままじゃ、まずいんですよ! 監督。今、タイムアウトを取らないとうちは本当に負けてしまうかもしれない……。それ位の勢いが彼らにはあります! どうか、タイムアウトを……」


 しかし、扇野原の監督は首を縦に振ろうとしない。むしろ、横に振った。


「なんです? どうして……」


 監督の真意が分からない新花を見て、監督は気だるけにあくびをしながら彼女に説明を始めた。



「……良いですか? 今、この状況でタイムアウトなんて取った所で何にもなりません。なぜなら、この状況は選手達の気持ちの問題。鼓舞するような事を言っても逆効果だし、逆にピンチを煽るような事を言えばもっと逆効果。非常にデリケートな問題なんです」



「じゃっ、じゃあどうやって……!」



 そんな時、監督はコート上を指さして新花にもう一度説明を始める。


「……だからこそ、こういう時にいい仕事をする人がいる」



「え……?」


 新花が、監督の指さす先を見てみると、そこにはコート上で皆が慌てている中、1人だけ落ち着いた様子で天河の前でドリブルをする冷めた表情の男、金華かねはるが立っていた。……監督は、新花が金華の存在に気づいた所で指さすのやめて、もう一度口を開く。



「……確かに、彼はこのコート上で最もドリブルもパスもシュートも弱い選手かもしれない。だが、こういう状況で一番輝くのが、あの金華という選手なのですよ。だから、私はこういうピンチの状況を回避するそう言った類の指示は全て彼に委ねているのですよ」


 新花は、ポカンとした顔で金華を見つめた。彼の着ているユニフォームの4番が、この時の新花にはとても大きく見えたのだった……。















「一本だ! 一本取ろう!」


 金華が、選手達にそう告げる。そのあまりに落ち着いた彼の姿に、ベンチにいる新花だけでなくDFをしていた天河でさえもポカンとしていた。天河は思った。




 ――普通、もうちょっと動揺してくれるものだろうに……。コイツ、本当に同じ人間かよ……? さっきから全く何されても動じてないぞ……。







 天河は、そう思いながらもゆっくりドリブルをし続ける金華に集中した。


 ――バスケットの攻撃には、時間制限が設けられている。24秒だ。24秒以内にシュートを決めないと、強制的に相手ボールにされてしまうのだ。だから、バスケの試合というのは基本的にスピード勝負の点の取り合いになるわけだが……。



 恐るべき事に、金華は攻撃時間残り5秒であるにも関わらず全くシュートを撃つ気配がなかった。それまでは、ただ単にボールをとられまいとパスを回したり、ドリブルをしたりを繰り返すだけでほとんど動きを見せていなかった。





 ――何を狙っている……。こんな、長い時間何もしてこないなんて……。一体、何を……。どう来る……。抜きに来るか……? いや、時間的にパスはないはずだ。撃ちに来るか……!?





 天河の思考が、ごちゃごちゃになりかけたその時、予想だにもしていなかった金華の動きが天河を襲う。



「……ッ!」


 天河は、それまで確かに金華に集中していた。しかし、それは金華の次の動きを見よう見ようとしていたから、。だから、金華がゴールの方を向いたまま全く今まで通りの姿勢と様子で突然ボールを天河の視界から消した時、彼は大きく驚いた。……そして、すぐに自分の一瞬の隙をついてきた事を察知した天河は、金華がこの残り時間も少ない状況で突然、パスを裁いてきたという事実に驚くばかりだった。




「しまった……!」


 天河が、反応した時にはもう遅かった。ボールは、なぜかほぼフリーの状態になっていたシューターの百合の手に渡っており、彼はマークマンの紅崎が駆けつけるよりも前に左手でシュートを撃ち、見事に3Pを決めてしまう。




 これが、痛手となった。天河は、全てが終わった後に理解したのだ。金華の狙いを……残り時間をギリギリまで使って、確実に3を決める。こうする事で光星にとどめを刺したのだ。


 天河は、タイマーを見る。すると、そこにはさっきまで2分以上もあったはずの時間がそろそろ1分半を迎える所で、その下には点差がはっきりと映し出されていた。


「7点差は、デカすぎる……」




 ――6点ならまだ良い。でも、この状況で3点貰ったのはデカい。この点差と時間じゃ、同点にするのは……。





天河は、スコアボードを見続けた……。その間にも刻一刻と時は、進む……。















       扇野原VS光星

      第2Q残り1分39秒

         得点

        45VS38

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