第82話 だから僕は……。

 ――高校1年生の夏休みが終わった後、インターハイも結局予選敗退で終わってしまいこの年は結局、僕らの夢を叶えに行く事ができなかった。特に、紅崎の退部が痛かった。彼は、一回戦が終わってすぐに退部届を出しに行ったらしく、その噂がすぐに僕らの耳にも入って来る事になった。



「……そんな、あの紅崎が…………」


 当初の僕らの反応はそんな感じだった。皆、どうして彼がやめてしまったのか分からなかったが、試合後に彼とクラスが一緒だった花車曰く、物凄く近寄るなオーラを醸し出しており、話そうにも話せなかったという。しかもそれだけじゃなく、夏休み中も連絡が取れず、夏が明けると彼は学校に来なかった……。そのせいで、天河や花車、霞草、狩生は、紅崎がどうしてやめてしまったのかが分からないまま時間を過ごす事になっていった……。


「……まぁ、本人がやめると言ったんだ。それを俺達がどうこう言った所で関係ない話だろ? 今は、とにかく練習だ。冬の大会にも俺らは出られないんだから。当然、来年の夏に向けて練習あるのみだぜ」


 ショックで下を向いていた仲間達にそう声をかけたのは、白詰だった。彼は、普段と全く変わらない表情と態度で彼らにそう言う。……が、これには流石の天河も少し思う所があったのか、彼は白詰の胸ぐらを掴んで、壁に体を叩きつけて声にならなかった声を振り絞り、怒鳴るのだった……。



「……ど……どうして、そんな冷たい事が言えるんだ!」



「……!」


 天河は、続けた。


「お前らが……仲の悪い事は知ってるさ。それは、俺達もよく理解できている。けどでも違うだろ! 紅崎は俺らの仲間だった。皆で全国制覇を目指すんじゃなかったのかよ!」


 段々早口になる天河の声が、白詰の胸に響いてくる。その言葉の1つ1つに白詰は痛みを覚える。





 ――何となく、状況は察していた。一回戦の始まったばかりの頃にボロボロの姿の紅崎を見た時からなんとなく、だ。同い年のメンバーの中でおそらく、白詰だけが何があったのかを理解していた。


 でも、だからこそ何も言えなかった。もしも、ここで自分がおそらくこうなんじゃないかと言って、彼らがもしも先輩達に怒り、先輩達との間で喧嘩にでも発展してしまえば……それこそ大問題になる。全国大会どころの話ではなくなってしまう。今のこの重たい状況を見る限り、そうだった。だから、白詰は何も言えなかった。



 そして、そんな白詰の気持ちを何となくではあるが、察せたのが他でもない霞草だった。


「やめよう。……2人とも。こんな事をしても、紅崎は戻ってこない。……今は、練習するしかないんだよ……」


 彼は、白詰と天河の間に立って喧嘩を止めるためにそう言うと、次第に睨みつけていた天河の目は潤いだし、白詰の顔は暗くなる。2人は、それから力の入らなくなった掌をだらんと下に下げて、そのまま何も言わずに時が過ぎるのを待った……。それは、周りにいる他の1年生も同じだった。




 だが、この時霞草はメンバー達の涙を見て、1つの決意をした。



 ――僕が、紅崎の代わりにもっと強くなって、3Pなんてなくても大丈夫な位のリバウンド力を身につけないと……。強固なゴール下を作らないと……。








 ――僕が、このチームを立て直さないと……。










 それからというもの、霞草は毎日遅くまでバスケの練習に明け暮れ、朝も夜もずっと走ってばかりの生活を送るようになる。それは、彼がこれまでやって来ていた勉強の時間や寝る時間をも徐々に徐々に侵食していった。



 ……気づくと、霞草の生活の大半がバスケになっていた。彼の頭は、もうとにかく頑張って自分達の「夢」を叶えなければというある種の呪いに憑りつかれているようにさえ思えた。


 バスケ部の練習中も誰よりも張り切ってするようになり、彼はそのうち周りにいる意識の低い人間に対して強く当たる様にもなった。そして、それが原因でやめる部員まで出てくる始末だった。白詰達が戻る前の光星バスケ部に天河達の代が天河と花車だけだったのは、そう言う事だ。全て、霞草の責任感の強さや真面目な性格から来るきつさに耐えきれず、やめてしまったのだ……。


 そして、そんな彼の厳しさは最終的に彼やその周りにいた最も身近な人々にも影響が及ぶ事になった。



 その最初の犠牲者が狩生だった……。当時の狩生は、ちょうど恩師の太刀座侯を亡くし、立ち直れない状況だったわけだが、霞草はそんな立ち直れずに練習を一日だけ休んでしまった彼に対してかなりきつい事を言ってしまう……。




「……今は、うじうじしてる時じゃないぞ! 今を生きている俺達にはもっと大事な事があるだろう! 練習しなきゃダメだ! きっと、お前の恩師の人もそう思ってるはずだ!」



 それは、あまりに心無い一言。結局、この日もその次の日も狩生は部活に来ず、徐々に部活だけでなく学校にさえ来なくなってしまう……。




 狩生の実質の退部を受けて、他のメンバーの指揮は更に下がっていく一方だった。しかも、この頃には本格的に先輩達による天河達東村中学出身者に対するいじめも起こりだし、本格的に彼らの居場所が部活内から消えだしていた……。




 ――そして、心の拠り所もなく居場所もなく、仲間も2人いなくなってしまい……。バスケ以外に何もしなくなってしまった霞草は、とうとうずっと努力を積み重ねてうまくいっていたはずの勉学の方でも支障をきたしてしまう。


 彼の成績は、夏休み後から冬にかけてどんどん落ちて行った……。夏休み明けのテスト、中間……それから期末……。2位、19位……48位とそれまで1位をキープしていた彼の成績はもうとんでもない位に落ちぶれた。





「進太郎! いい加減にしなさい! バスケばかりして睡眠もとらず、それじゃあお前にとって良くないじゃないか!」



「……しょうがないだろ! もうこうでもしないと、俺は俺達の大事な夢を叶えられないんだ!」



 実の父ともこの頃は、少し仲が悪くなった。霞草の心は、どんどんどんどん追い込まれていき、でもそれでも……大事な自分達の「夢」のために、そして失った仲間の分まで自分が強くならないといけないと、それ以外何も見えていなかった。


「進ちゃん。……あのね、バスケも良いけどやっぱりちゃんと睡眠はとらないとダメよ……」



「母さん、良いんだ。……平気だから。僕は、父さんの子供だよ? 自分の体調は一番よく理解しているって!」



母からも心配された。けど、彼はそれでもやめなかった。……そう、もう誰も彼を止める事はできなかったのである。









 そんなある日、とある模試が塾の最後の時間に配られた。


「……霞草君! 君、このままじゃまずいよ? 本当に医者目指してんの? 今、これだけ成績を落としたらもう、大学なんて何処も行けないよ? はい。もういいよ。それだけ分かったら、とっとと行った行った。……はい次。白田君!」


 霞草は、ずっと模試の答案を見ていた。見続けた。そこには、大きく成績が下がってしまっていた自分の姿があった……。落ちぶれた自分の姿が数字として表れていた。



「……白田君ね、君はもう論外だよ! なんだい、この成績は……! 舐めてるのかい? …………」



 後ろで塾の先生の𠮟っている声が聞こえてきたが、それさえも段々彼の耳に鮮明な音として認識できなくらいになっていた。





 ――僕は、何なんだ……。僕は……どうしてこうなんだ……? 「夢」が、叶わない……。どれだけやっても、誰も僕を応援してくれない……。僕は、何をやっているんだっけ……。どうして、こんなに苦しんでいるんだっけ……。どうして、こんな頭がくらくらするんだろう……。








「霞草! 霞草! ……おい! しっかりしろ!」





 気づくと、彼は意識を失ってしまっていた。原因は、睡眠不足との事らしく、彼の父のいる病院に霞草は運ばれる事になった。目を覚ましてから全てを聞いた霞草は、この時必死に自分の看病をしてくれた父に涙が出た……。






「……ごめん。父さん。俺、バスケばっかで……」



「良いんだ。良いからよく休みなさい」


 父の疲れの溜まった声を聞いて、霞草は改めて医者である父に尊敬の念を抱いた。そして、それと同時にバスケの「夢」に憑りつかれていた彼の心は、「夢」から解放され、そこから今度は逆にその反動でバスケ部に次第に行かなくなった……。





 自分が叶える可能性のある夢は、医者になる。それだけなんだ。仲間も揃わないバスケなんて、もう無理なんだ……。




 ……そう思った。
















 ――でも、今は違う。仲間がいる。短い期間ではあったが勉強としっかり両立できた。僕は……僕が本当に欲した「夢」は……。


 今度こそ、亡霊に憑りつかれないで、俺だけの純粋な思いで……。







 少休憩タイムアウト終了のブザーと共に霞草は、コートに戻って行った。彼は、メガネをベンチに置いて行って裸眼の状態で閉じていた目を見開いた。


 ――よし。伊達メガネだったからな。問題なく見える……!



 タイムアウト悠久の眠りを終え、過去の夢から覚めて今、第2Q後半戦が、ここから始まる……!









       扇野原VS光星

      第2Q残り4分30秒

         得点

        40VS27

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