第62話 決戦前夜(マリッジブルー)
その日は、久しぶりにバスケ部の練習が早く終わった。その帰り道、5人はあえて一緒に帰らないでそれぞれバラバラに帰路へ着いた。これは、そんな彼らのそれぞれの前夜をまとめた物語である……。
~天河の場合~
明日の試合が待ちきれなかった彼は、練習の後に花車にも内緒でこっそりバスに乗っていた。本来、彼の家は学校から近いためバスなんか乗る必要は全くない。それこそ、練習の疲れもある状態でそんな事をするのは余計に疲れてしまうものだし下手をすれば明日の試合にも影響が及ぶかもしれなかった。しかし、天河はそれでもバスに乗って突き進んだ。更に終点の新宿に到着すると、今度は電車に乗り換えた。
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「千駄ヶ谷~。千駄ヶ谷~」
黄色い電車がホームに止まるとその中から1人の高校生が大人に混じって現れる。彼は、途中まで大人に混じって同じ場所を歩いていたが、段々真逆の方向を行くようになり、最終的に彼は1人で目の前に見える大きな体育館の中に入っていく事になった。
千駄ヶ谷駅の近く、毎年冬に高校バスケの最終全国大会ウィンターカップが開かれる体育館。――東京体育館。今年の夏のインターハイは、何周年かの記念大会とされ、予選から全国大会まで全てを東京で行うらしく。また、その会場のほとんどがこの東京体育館なのだ。
天河は、体育館の外側をぼーっと見渡すとまるでそこに吸い込まれるように体育館の中へと入って行きそうになった。しかし、その受付で彼は一度足止めを食らう。
「君! 今は、インターハイの準備で関係者以外は立ち入り禁止なんだ! 帰りなさい!」
天河はそこで、はっとなりすぐに何か言い返そうと頭を回したが咄嗟に言葉が思いつかない……。すると、体育館の奥から中年の男が1人がやって来た。
「どうしたんだね?」
男が尋ねると受付のおじさんは、困った顔で弱弱しい海藻のようになった髪の毛の生える頭の後ろをポリポリかきだした。
「……いやぁ、それがですね。大会関係者でもないのに体育館の中にこの子が入ろうとしてて……」
すると、中年の男は天河の事に気づき、彼の傍に駆け寄って優しい顔で訊ねる。
「君、明日インターハイに出る子かな?」
「はい!」
彼はたちまち元気よく答える。すると、男が優しい笑顔を浮かべて受付のおじさんに言った。
「少し位なら構いませんよ。さぁ、おいで。君が明日戦う場所だよ」
中年の男は、そう言うと天河の事を案内しだす。――そして、体育館の大きなドアを開けるとそこには、天河がこれまで経験した事のない程の迫力と興奮、熱気が待っていた。
「……!?」
彼は、体育館のそのあまりの大きさに驚きを隠せないでいた。それどころか、まだ観客なんて誰一人いないはずのその場所からはもう既に観客の声援が聞こえてくる。観客席は、2階と3階があり、どれも広くて大きい。そして、しっかり掃除がされていて奇麗だ。体育館も体育館のオールコートが3面もあった。天河が、体育館の真ん中の2面のセンターサークルの上に立つとこの体育館の凄さがすぐに彼の目と体が理解する。……いや、もはや彼の理解を超えていた。
――まるで、もう既に武道館ライブをしている歌手のようだ……。
それが、彼の感想だった。少しして、案内してくれた中年の男が天河に問いかける。
「……ここと、もう一つ。別の会場を使って明日からの予選をやっていくんだが……君、学校は?」
その問いかけに天河は胸を張って答えた。
「……光星です!」
すると、男は首を傾げて答えた。
「……光星? 聞いた事ないな……。あー、でもなんか最近何処かで見たような……」
男は、そんな事をぶつぶつと喋っていたが、天河はもう彼の言う事でさえ気にならない。それ位、この体育館の雰囲気にのまれそうになっていた。
…………しばらくして、中年の男が天河に向かって言った。
「そろそろ、帰りなさい! 僕らの休憩時間もそろそろ終わる頃だし、明日は大事な試合があるのだろう!」
天河は、その声を聞いて顔を上に向けたままトボトボとその体育館から出て行こうとした。――帰り際に彼は、会場の上に飾られているスローガンの書かれた大きな旗のようなものを見た。それは、西側に扇野原高校。東側に光星高校だった。
――なんだ……。ちゃんとあるじゃないか……。
彼は、そう思いながら体育館を出て行った。
~白詰の場合~
その日の彼の夜の特訓はなかった。その代わり、渡と想太の2人はいつものストリートコートにやって来ていた。航が、コートの上に立つ白詰を見つめて言うのだった。
「今日で、この練習も終わりだ。今まで短い間だったけど楽しかったよ。ありがとう」
「それは、俺だって一緒だぜ。付き合ってくれてありがとな……」
「……」
「……」
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航は、言った。
「……明日の試合、頑張れよ。大丈夫さ、練習でできなくても本番でできるようになる事だってあるんだ。絶対にあきらめるなよ……。そんで、今度は東京体育館のコートの上で戦おうな」
「あぁ……」
「じゃあな想太。明日の試合、良い試合になる事を期待しているよ。楽しみにしてる。おやすみ……」
「あぁ……」
~霞草の場合~
彼はその日、久しぶりに定時で帰宅してきた父と母。3人家族でご飯を食べていた。父が慎太郎に話しかける。
「太郎。明日だが、父さんはまた仕事だ。留守番を……」
と言いかけた所で白米を頬張る母が父に言った。
「ちょっと! アナタ! 違うでしょ! 明日は、息子の晴れ舞台。一緒に見に行くって約束でしょ!」
「え? あぁ、そうだったな。……お前は、明日試合だったな……」
「うん……」
慎太郎は、普段通りの態度で父に返事だけを返した。すると、父は少し厳しい口調で言いだした。
「……明日の所は、強いらしいな。まっ、私としては勝っても負けても別に良い。お前がまた前みたいに勉強だけをしてくれるようになってくれれば、こっちとしても安心できるというものだしな。……うむ。すまない。失礼だが母さんや。ちょっとトイレに……」
そう言うと、霞草父はテーブルを離れてしまう。残された母と息子は、寂しそうにご飯を食べていたが、そんな所で母が息子に声をかける。
「……お父さん、あんな事言ってるけど本当は慎ちゃんが試合で頑張ってる姿を見たくてしょうがないのよ。それに仕事あるって言ってたけど、お父さんの仕事の早さ知ってるでしょ? 明日の夕方の試合には絶対に間に合わせてくるわ。だから、安心して試合に集中しなさい」
慎太郎は、それを聞くとパクパクと白米を食べるスピードを速めてそして口元だけを嬉しそうに横にスライドさせる。
「……おかわり!」
息子のその元気な一言に母は、ノリノリでご飯を沢山茶碗の中に盛り込むのだった……。
~狩生の場合~
それは、練習後の夕方の時刻に遡る。彼は、地元のとある霊園にいた。その霊園の中のとあるお墓の前で手をあわせ、そして思いをそのお墓の中へ伝えていた。
――明日、試合なんだ。久しぶりの出緊張してるけど、どうか天国から見ていて欲しいです。爺さん、俺がんばるから。だから、応援してくれ……。
彼が、そうやって思いを伝えている時に、ちょうど別の誰かが彼の前に現れて話しかけてくる。
「……バスケ、復帰したんだってね」
狩生は、その声を知っている。いや、知っていた。成長しても変わらないその高い女の声……。
「お前……」
成長した彼女は、美しくそして、可愛らしくなって彼の元に現れた。その桃色の長めの髪の毛を右側で結んだサイドテールと呼ばれる髪型で、昔の泣き虫だった頃とは到底思えないような大人びた雰囲気を醸し出していた。
「……久しぶり」
そう「扇野原」と書かれたジャージを着た状態で……。狩生は、そんな彼女の変化に一瞬見惚れるもすぐに気を取り戻して、彼女が同じく手を合わせて終わるまで待ってから水の入ったバケツを戻しに歩き出す。すると、彼女もそれに着いて来て2人は、話を始める。
「……俺に財布盗られて泣いてたあの頃が懐かしいな」
「……ねぇ。なんか、もうあっという間だったね」
狩生は、そんな事を言いながらも彼女のその着ているジャージを見て一言、きまずそうに尋ねた。
「……ところでそのジャージは一体……?」
彼女は、ニコッと笑って答えた。
「……うん。明日の試合に狩生君がいるって聞いたから先生のお墓に行けば会えるかなって思って……」
「……はぁ」
狩生は、呆れた感じにそう返す。すると、彼女は突然しおらしい声と雰囲気で話し出した。
「……引き籠ってるっていう話しを聞いた時は、本当に心配したんだよ。何回か会おうと思ったけど、でも私じゃ力になれないと思っていけなかった……。だから、こうして復帰してくれて私もお兄ちゃんもすっごく喜んでるの。……お兄ちゃん、明日はミニバスの人達とみんなで私達の試合を見に来てくれるんだって! 私は、マネージャーだから試合には出れないけど、でも全力でサポートはしていくつもり! 狩生君達も頑張ってね!」
「そうか……」
狩生は、彼女がそう言ったのを聞いて少し嬉しくなったのか、口元をニコリと笑わせてみせてから彼女に言った。
「……明日、試合が終わった後にまた、昔の面子でご飯でも食べに行こう」
「…………うん」
そうして、狩生は0円を出るとそのまま別れようとした。
「じゃあな
しかし、狩生が手を振って別れようとした次の瞬間、彼女は突如彼に急接近してきて言ってくるのだった。
「……だ~め! 今日は、あの時の300円分何か奢ってもらうから!」
「マジかよ……」
2人は、その後も一緒に晩御飯を食べてそれからやっと帰宅したのだった……。
~紅崎の場合~
――それは、2人で紅崎の家で寝ている時に起きた話だった。
「……」
紅崎花は、眠れなかった。何度も目を瞑ってもその瞳は開かれるばかり、それどころか意識が
──ヤベェ……彼は長く伸びた髪の毛を何度も何度も掻き分けて、寝よう寝ようと自分の部屋の天井を見つめた。すると、隣で寝ていた向日葵の方がゴソゴソ音を立てて、しまいには彼へ話しかけてきた。
「……どうしたの? 寝れない?」
彼女は眠たそうにその瞼をチカッ、チカッと開けたり閉じたりしていた。すると、そんな彼女の事を見た後に紅崎は語り出した。
「……ダメだ。勝てる気がしない」
向日葵はそれを聞いて紅崎と同じように髪を掻き分け、眠たそうにしていたその顔をぱっちりあけて彼の話を黙って聞き続けた。
「……俺はさ、高校に入ってからクズみたいな生活を送り続けていたから……だから、こんな
向日葵はすぐに彼の言った事を否定した。
「……アナタはクズなんかじゃない。練習だって頑張ったじゃん。毎日毎日走って、シュート撃って……。凄いわ」
しかし、それでも彼は言うのだった。
「……良いんだ。勝てなくても。たとえ勝てなくても、俺は立っていたいんだ。試合が終わる最後の最後まで情熱を燃やしたままコートの中で試合を終えたい……。その時まで果てずに立っていられたら……戦えていれば、俺は……俺は、自分がまだまだクズではなかった事をお前に見せられる」
「花ちゃん……」
「……お前には最後まで見ていて欲しいんだ。俺が明日の試合を最後まで戦い抜く姿を……。情熱と共にコートに立っている俺を。それが為せた時、自分がクズじゃなかった事を証明できる……」
向日葵は、まっすぐ彼の事を見つめて、それから誓うのだった。
「分かった……」
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──こうして、それぞれの夜は幕を閉じるのだった。そして、ついに彼らは決戦の日を迎える事となる……。
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