第60話 試合に出たかった……

「……向日葵。どうして……なんだ?」


 紅崎は、その場に立ったまま彼女へ問いかけた。彼女は真っ直ぐ彼だけの事を見つめて言うのだった。


「……花ちゃん。アタシね。花ちゃんにもう一回バスケットをして欲しいの」


「……!?」


「だって、アタシがあの時本当に好きになったのは……他の何者でもないバスケットを楽しそうにやっている貴方なの! 本当は、もっとずっと前に言うべきだった。貴方の心の傷にだって早くから気づいてた。なのに、貴方と一緒にいたい気持ちが大きすぎて言えなかった。……アタシには勇気がなかった…………」



「でっ、でも……それでよかっただろう! バスケなんてする必要は何処にも……」


「違う。違うよ花ちゃん……。花ちゃんは、やっぱりバスケ部に戻るべきなんだよ!」


「……!?」


「……あの時、星を見に行った時に……分かったんだ。花ちゃんは、バスケをやめてからずっと居場所も……夢も……希望も、自信も……何もかもなくなってしまったんだって……。それは、アタシといる時だってそう。アタシじゃあ貴方の新しい居場所にはなりきれない。だから、アタシは花ちゃんに……」



「……やめろ。お前までそんな事言わないでくれ。……俺には、もう何もないんだ! でも、せめて最後に掴んだお前の事だけは大事にしたいんだ。それさえ違うと言われちゃあ俺は……」


 紅崎は長い髪に自分の顔を隠し、1人下を向いた。彼はその場で何も言わず向日葵の事も見ず、自分の足元だけを見た。すると、そんな彼の元に彼女は近づいて行き、彼の体を優しく抱きしめる。夏が近づくこの少しだけ蒸し暑いこの時期なのにも関わらず、紅崎はそのハグに安心できる温もりを感じた。


 彼女は言った。


「……アタシね。最後の試合見てたんだよ。中学の最後の試合……。花ちゃんが一番輝いていたあの試合を……」


 その時、彼の脳裏に再びあの試合の映像が流れる。











 ――第3Q 3分。 52VS50


 東村が2点だけリードをしていたその試合。第3Qは、特に15点も最初はリードしていた。しかし、点差でリードはしていても相手の勢いは物凄いものだった……。徐々に相手チームの追い上げが始まった。この試合で東京都一位が決まる。そうなれば、気合が入るのも当然だった。……今、東村は後ろから追いかけてくる得体の知れない敵からどう逃れるかを本気で考えねばならない状況だった。……だが、そんな事を思っているうちにとうとう、そのスコアボードは大きく変わってしまう。


「よーし! ナイシュウ! これで逆転だァ!」


 相手の3Pシュートが決まってしまう。あれだけあった点差は、あっという間に縮まり今では逆転されてしまったのだ。


 ――52VS53。スコアボードには、確かにそう書いてあった。会場は沸いた。東村を打ち破るかもしれない。大逆転劇が見られるかもしれない。この逆転で勝負はもう全く分からなくなってしまった、と……。


 そこから両校は、何度も何度も点の取り合いをし続けた……。しかし、差は一向に縮まらない。



 ――このままでは、第4Qまで響いてきちまう。まずい……。なんとか、第3Qだけはうちの流れを持ってこなくては……。


 それは、お互いに思っている事だった。そして、残り時間数秒。このタイミングで敵チームは仕掛けて来た。




「……天河にダブルチームだと!?」


 コート上にいた東村選手の全員がそう思った。ボールを保持する時間の最も長いPG。バスケットの試合は、ここにかかっているといっても過言ではない。そして、ここを叩けば当然、攻撃の手は止まってしまう……。


「……天河、持ち過ぎんな!」


 味方の声がベンチからも聞こえてくる。しかし、それは天河にも分かっていた。

でも、ダブルチームで囲まれている状況でフリーの味方を見つけるなんて難しい事だ……。彼は今、絶体絶命のピンチだった。そして、彼がピンチという事はそれすなわち、東村全体のピンチを差す事となる。



「……くっそ……」


 ドリブルする手がどんどん苦しくなる。そんな時だった。




「……寄こせ!」


 囲まれている天河の元に走って来る1人の男が見えた。彼は、天河の後ろへ走って来てそのまま彼からボールを手渡しされて、ドリブルを始めた。


「……紅崎、頼んだ」


 ボールを渡される寸前にそう聞こえた。紅崎は、ドリブルで少しだけ前へ出ると3Pラインから離れたコートの真ん中の丸いセンターサークルの近くからシュートを放った。




 ――そのシュートは、しっかりとアーチを描き、そして綺麗にネットを通り抜けた。そして、今第3Qは東村の2点リードで終わったのだった……。















 ――自然と、涙が流れていた。今の自分じゃ、絶対にできない思いきったプレイ。あの頃の自分は、本当に強いなと改めて実感させられてしまった。



「……好きだったな。あの花ちゃんが……。また頑張る姿を応援したいな……。足を怪我した時なんて本当に心配だったな……」


 向日葵もいつの間にか泣いていた。……その時、紅崎の脳裏にもう一つ別の映像が流れた。


 ――それは、入院していた頃の向日葵と病室で話していたある日の事だった。



「……アタシもバスケしてみよっかなぁ」


 何気ない一言。でも、それがとにかく嬉しかった……。




「……良いね! 治ったら色々教えてやるよ!」



 紅崎の頭の中で様々な音と映像が蘇り続けた。彼女の温もりを感じながら凍っていいたはずの彼の思い出の1ページがどんどん動き出していったのだ。







「……向日葵。あのさ、今度のインターハイ。俺が試合に出て、それでチームが勝ったら……その、その後にさ……大事な話をしたいんだ。……良いかな?」








「知るか。……俺だって困ってんだ! ったく、これじゃあシュートに集中できねぇじゃねぇか!」








「俺、絶対インターハイまでに足治すから! ……だから、その時まで絶対待っててくれよ!」









「……うっ、うんぐぅ…あっああああああああああああああああああああ…………」








 でも、そんな数多の思い出の中でもやっぱり一番鮮明に聞こえてくるのは、この言葉だった。



「……俺達で、バスケ部を強くしようぜ!」









 紅崎は、全てを思い出してその目を潤わせた。すると、そんな彼に追い打ちをかけるように向日葵は、彼の体から一瞬だけ離れてポケットから小さく折りたたまれたくしゃくしゃの青いユニフォームを取り出した。


「……花ちゃん。今度こそ、これを…………」


 くしゃくしゃになったそのユニフォームの真ん中には大きく「15」の数字が印刷されていた。……それを見て、紅崎の目元でせき止められていたものが大洪水を起こした。




「……うっ……うっ、うぅ…………」


 彼は、泣いた。まるで赤子の頃に戻ったように彼女の肩の上で泣きじゃくっていた。その顔は、もうカッコいいとは程遠い位にグチャグチャで汚かった。でも、そんな事よりも向日葵は今の泣く紅崎をただ撫でたかった……。聖母マリアが幼いイエスを寝かしつけるように彼女は紅崎の事を再び抱きしめ、そして撫でた。


 ――彼は、彼女の肩に顔をうずめたままグチャグチャになった声で天河にも聞える位大きく言った。





「……しっ、ちあいに…………し"あ"い"に………………し"あ"、い"に。し"あ"い"に出たがったよ"ぉぉぉ……」



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