第59話 過ぎ去れない過去

 ――行く所なんて、何処にも無かった。だから、少しだけ回り道をしたかった……。


 白詰と別れた紅崎は、バイクに乗ったまましばらく近くを走り続けた。彼女の琴吹向日葵とは連絡がつかなかったので、話し相手もいないまま……ただ、1人でこのどうしようもない思いを紛らわそうとバイクを走らせた。


 免許を取った時からバイクに乗るのは、好きだった。はじめは、向日葵との旅行であったら良いなぁというノリで取っただけだったのに、今では自分が一番ハマっている。


 ――変な話だ……。





 でも、一番変だったのはそんな事じゃない。紅崎は、しばらくバイクで走り続けた後にまるで吸い込まれるように夜の学校へと入って行った。彼は、学校に誰にも気づかれないで入る方法を熟知していたので、今回も引っかかる事なく彼は校舎内に入って行き、そして……




 体育館に来てしまう。




 明かりをつけると、普段の騒がしい雰囲気は全然ない静けさと寂しさを持った光っているだけのだだっ広い空間だった。


 紅崎は、土足のまま体育館へ上がると口に咥えた煙草を吹かし、そしてバイクの椅子の下にいつもいれっぱにしていたボールを2、3回軽く上に放る。それから、煙草をポイ捨てすると、彼はドリブルをはじめ遠くにあるリングを見つめる。……と思ったら目を瞑り出した。




すると、頭の中に映像が蘇り、耳の奥から音が蘇ってくる。気が付くと寂しいだけだったはずの体育館の匂いもあの時の熱い匂いに変わっていた。









「……天河! 出せ!」


 3Pラインを外側からなぞるように彼は天河の元へ走り出す。そして、天河の鋭いパスが彼の手元に収まると、そのまま紅崎は3Pラインの外側からシュートフォームを編み出し、美しく体を伸ばしながら飛び上がる。まるで、白鳥の舞のように彼はリングを真っ直ぐ見つめてたった一つのバスケットボールを自分の体の上に置いた状態で飛び上がる白鳥の如く、ボールを放った。


 ボールは、空へ高く飛んでいき、そして紅崎とゴールとの間に虹の懸け橋を作るようにアーチを描き、そして何処にも触れる事なくネットを潜り抜けた。


 試合中だったのに、そこだけ時が止まったみたいだった。紅崎のシュートは、まるで一つの芸術品のように整っていた……。



 ――あれは、引退前の東京で一番をとった時の最後の試合……。追い詰められた後半戦を俺の3Pが決まりまくった事でリードを保てたんだっけ……。天河の完璧なパス、霞草と狩生がゴール下に集まって、俺のシュートを白詰が見ている……。





 ――んで、俺はあれを決めて……リードを守ったんだ。あの時の左手の感覚は、どんなだったかな……。もう覚えてないや……。








 もう一度目を開けて、彼はシュートを放った。でも、撃ってすぐに彼は察知した。



 ――入らない……。



 そして、その予想通りボールはそもそもリングにかすりもしないで、空から落ちて行くだけだった。何の音もせず、地面に落ちたボールはドン……ドンと地面を叩く音だけをだしていた。



「……」


 紅崎は、ボールを拾いに行こうとしたが何かめんどくささを感じ、そのままポケットから煙草を取り出して吹かし出す。




「……ふぅ」


 彼が、体育館の天井を見ながら煙を吐き出すとそこに聞き覚えのある声が彼の耳に入ってくる。



「……たまに体育館が煙草臭いと思う時があったが……まさか、お前だったとはな」



「……」


 紅崎が、くるっと振り返ってみるとそこには小さな体をした巨人が立っていた。――中学時代。都内最強と呼ばれた東村のW・Gダブル・ガード。名コンビ。紅崎の相棒ともいえるソイツは今も尚、立派な巨人だった。



「……天河」


 紅崎は、小さくそう言った。すると、彼は上履を脱ぎ捨てて体育館へ入ると、紅崎の元へ駆け寄る。


「……」


「……」


 2人は、しばらく睨み合う。それから話が始まった。


「……ここへ入る時は、土足のままじゃダメだと中学時代に言われただろう? 今すぐ脱げ」


「知るかよ。俺は、もうバスケ部じゃねぇ。テメェらのルールに縛られる必要はねぇよ」


「……なら、せめて煙草を回収しろ。それからちゃんと、家のごみ箱に捨てろ」


「火ぃつけた煙草をゴミ箱に捨てる馬鹿がいるかよ? 安心しな。いつもこうしてるけど、ここの清掃員の爺さんは仕事が良くてな。何の文句も言わずに毎朝ここを掃除してくれるからさ」


「……」


「……」


 2人は、再び睨み合う。すると、しばらくしてから今度は天河が紅崎の放ったボールを取りにゴール下へと歩いて行く。



 ……彼は、ボールを持つとそのまま紅崎に向かって投げた。



「……おっと! 何すんだよ」


 紅崎がギリギリのタイミングでそれをキャッチすると、天河は言った。



「……撃ってみろ」


 紅崎は、固まったがしかし天河の表情は真剣だった。それを察知して彼は、その場でシュートを撃った。――だが、当然そのシュートはネットを潜る事はなくリングに当たって地面に落ちた。


「……」


 紅崎は、黙ったまま天河から目を逸らして立ち止まっていた。……すると、天河が彼の投げたボールを拾ってきて近づいて来て言うのだった。


「……余計な力が入り過ぎてるぞ。もっと、リラックスだ。お前は、事もあってフォーム自体は悪くない。後は、もう少し練習を重ねればまた、前みたいに撃てるようになるだろう。……さぁ、もう一本だ」


 そう言って天河は紅崎にボールを手渡しする。しかし、紅崎はそのボールをシュートを放った左手で弾き、怒鳴り出した。


「なんで俺がバスケの練習を始めなきゃなんねぇんだ! 誰もバスケがしたいなんて言ってねぇよ! だいたい、俺はたまにシューティングなんてした覚えがねぇぞ! バスケを辞めた日から俺は一本も撃っちゃいねえ! 今日がたまたまだ。想太の野郎に変な事言われてそれで来ちまっただけだ! 俺は、戻りたくてここに来たわけじゃねぇ!」


「……白詰が…………。そうか。アイツが……」


 天河は、驚いた様子でコクコク頷いてからボールを拾ってもう一度紅崎の近くまでやって来て言うのだった。


「良いからもう一本撃て。元相棒として見といてやるから……」


 だが、やはり紅崎は天河の持っていたボールを左手で弾いた。



「何が元相棒だ! やらねぇつってんだろ! バスケなんて興味ねぇよ! こんな球入れ遊びで全国だァ? 夢ばっか語りやがって! 俺は、やんねぇぞ! 絶対にだ!  テメェらの馬鹿みてぇな目標について行く気もねぇ! なんせ、辞めた日から俺は一度もボールを持った事なんてないんだからなぁ!」


 ――ドゴッ! と大きな鈍い音が体育館に響いた。それは、紅崎から天河へ向けてのパンチ何かではなかった。天河から紅崎への渾身の一発だったのだ。紅崎は、前に垂れて来た長い髪の隙間から片目だけを覗かせて怒鳴る天河を見た。


「……だったら、なんだこのボールは! どうしてたまにこの体育館は煙草臭いんだ! 戻る気がないだと? だったらなんで体育館に来たァ! それも彼女と別れた後にいつもいつも……。夜の誰もいないタイミングに……。だいたい、馬鹿みてぇな目標だと? その馬鹿みてぇな目標を本気で信じていたのは、一体どこの誰なんだぁ!」



「……!?」


 その時、紅崎の脳内で再生されたのは、まぎれもない自分の声だった。








「……俺達で、バスケ部を強くしようぜ!」









「…………」


 彼は、思い出したくないその光景を全力で振り切る。そして冷静に落ち着こうとした次の瞬間に彼の脳内で別の疑問が浮かんでくる。そして、ふと天河の言ったセリフの中に違和感を感じた紅崎は、口を開くのだった。


「……彼女と別れた後にいつもいつも……って、どうしてお前が……」











「……アタシが、言ったんだ」


 紅崎の後ろからまたも聞き覚えのある声が聞こえてくる。彼は自分の心臓の跳ねる音を心で感じながら振り返ってみるとやはりそこには、がいた。向日葵は言う……。





「花ちゃん…………」

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