第58話 紅白戦

 ――シュートを教えろ。


 それは、一見すると変な話だった。そもそも白詰が中学時代に5人の中でエースをはれたのは、1on1が強いとかドライブが速いとかそれ以前にシュート力が十二分にあるからであり、それは紅崎自身もよく理解していた。だからこそ、白詰が何を言おうとしているのかその真意を彼は、瞬時に理解する事ができた。


 そして理解できた時、紅崎の心の中でモヤモヤとした苛立ちが現れたのだった。



「……シュートだぁ? なんで今更、俺がバスケなんか……」


 紅崎は、ブランコの椅子から立ち上がると顔を強張らせながら白詰の元へと急ぎ足で一歩二歩近づき、怒鳴りつけるように言った。しかし、その反対に白詰の方は落ち着いた感じに暗闇の公園の中で彼の目だけを見て話を続けた。


「……狩生と霞草が戻って来た。これでインサイドはかなり強くなるだろう。狩生のテクニカルなゴール下と霞草のルーズボールやリバウンドを何処までも追いかけるがむしゃらなプレイスタイル……。インサイドは、今や都内でもかなりのものになった。……けど、それだけじゃあダメなんだ。今のチームには、アウトサイド……つまり、3Pシュートを撃てる選手が少ない。天河は勿論撃てるが、成功率は全国のシューターの比べりゃ低い。だから、少しでもアウトサイドを強くするためにも……扇野原に勝つために俺が、エースとしてアウトサイドを撃つ」


「……」


 紅崎は、彼の説明を全て聞いた。だが、その上で彼の怒りは尚、収まらなかった。


「……だったら、1人で毎日適当に3Pスリーでも撃ってろよ! わざわざ俺に3Pスリー教えろとか意味分かんねぇ事言いにここまで来てんじゃねぇよ!」


 紅崎は、そう言うと座っている白詰の背中を蹴飛ばす。すると、その勢いで彼は一瞬上半身が傾き、ブランコの上から転げ落ちそうになるが、すんでの所で踏ん張り、彼はそのままブランコと共に前へと飛び出していく。そして、ブランコが前から後ろへと戻ってくると彼の背中は再び紅崎の足に捕まる。

 背中に足が当たった瞬間に、紅崎は喋り出す。


「……ふざけやがって! 俺は、もうやめたんだぜ? それなのに、今更…………。誰がテメェらのためにシュートを教えるかってんだ! ふざけやがって!」


 紅崎は、もう一度白詰の事を蹴り込もうと足を思いっきり後ろへ下げる。――しかし、彼が白詰の背中を蹴ろうとした瞬間、白詰はそのままブランコの上から飛び出していき、まるでマット運動のラストを飾るような美しい着地をしてその場を抜け出す。

 紅崎も白詰が飛んで行ったのを確認すると、そのまま蹴るのをやめてブランコを足で抑えた。

 白詰は、夜の闇で覆われた紅崎を真っ直ぐ見つめて喋り続ける。


「一回戦の相手……扇野原は、都内……いや全国でも圧倒的な攻撃力を誇るチームだ! それに対抗するにはこっちも攻撃力を上げる必要があるんだ! 俺達が勝つには今のままじゃ武器が足りなすぎる! インサイドだけ強くてもダメだ! だから、3P


「……」


 彼には、口を開く事さえできなかった。分かっていた。中学時代、シューターを務めていたのは自分だという事を。白詰の3Pが必要という言葉の意味を……。



「……」


 ──でも、それでも。


 心の奥の何かが解けなくなった知恵の輪のように絡みつく。この感覚が邪魔するが故に、紅崎は何も言えないままだった。



 ──この野郎、そこまで言ってきて頼んだりはしねぇつもりかよ……。







 そして、彼はいつの間にか距離の近くなっていた白詰の事を真っ直ぐ見つめて、自分の右手を夜空に向かって高く上げる。


「!?」


 白詰は、紅崎のその姿を見て咄嗟に彼が何をしようとしているのか理解した。だが──


 紅崎の拳が、白詰の立つ月明かりで照らされた場所へ侵入してきて、そのまま白詰の頬は紅崎の物凄い勢いと共に振り下ろされた拳が激突し、白詰の体はそのまま地面へ倒れ込んだ。

 ドサッという重たい音を立てて白詰の体が地面に衝突すると、紅崎は彼の事を見下ろして言うのだった。


「させるかよ。……テメェらが何を望んでいようが、俺には関係ない話だ。そんなのに乗っかるかよ……。一回戦の相手に勝つためぇ? はっ! こんな下らねぇ事頼みに来る位なら負けちまえよ! 東京No. 1の扇野原にテメェらじゃ勝てるわけねぇんだからよ」


 紅崎は、そう言い終えるとその場からそそくさといなくなろうと彼に背を向ける。しかし、彼が何処かへ行こうとした途端に、地面に倒れていた白詰が力強く地面を蹴り上げる音が聞こえてきた。――紅崎が咄嗟に振り返ると、白詰は彼のすぐそばまで近づいて来て、そして下から紅崎の頬を殴りつけた。


「……いってっ!」


 紅崎が、ばたばた音を立てながら地面へ伏すと、殴った白詰の方は、ちょっぴり赤い頬っぺたに触れて、痛そうに顔を歪ませつつ触れた指を反射的に離した。彼は、言った。


「……俺は、テメェに戻って来て欲しいだなんて一ミリも思っちゃいねぇ。テメェが彼女とイチャコラしてぇんなら勝手にやってりゃあ良い。俺にとっちゃテメェの復活なんてどうだって良いんだ。けど、俺達の試合の結果について勝手に決めだすのは我慢ならねぇ……。負けちまえだと……? もう一度言ってみろよ。今度は、テメェの腹だ……」


 紅崎は、公園のコンクリートの地面を見つめながら息を切らす。そして、白詰の事を睨みつけると、彼はゆっくり立ち上がった。――そして、ゆっくり白詰の方へ近づく。


「……? 教える気になったか?」


 白詰が、彼を煽るような態度でそう言うと突如、白詰の腹部に重たい一撃が入る。



「……!?」


 彼が、お腹を抑えて前かがみの状態で地面を見つめながら息を切らしていると、今度は紅崎が怒鳴り出した。


「……やってくれたじゃねぇか。よくも俺の顔に……。ふざけやがって……。テメェも、天河も……バスケ部なんて……バスケなんて……。どいつもこいつも皆、何もかも……ふざけやがって。ふざけやがってよぉ!」


 紅崎は、そう言うと前かがみになってお腹を抑える白詰の髪をひっぱり、その顔面に思いっきりパンチする。更にパンチで怯んだ白詰が地面に倒れると、そのまま彼の体の上に乗って、白詰の頬っぺたを殴りまくった。


「……呑気にバスケ部に戻ってきやがって! テメェらは良いよなぁ! 大した理由もなく単純にやる気なくして戻って来ただけなんだからさ! このっ! ……それで今までサボって来たくせに卒業が近いからって今更、全国だァ? 夢物語もたいがいにしやがれ! んで、勝手にやってりゃあ良かったのに、今度はシュートを教えろだァ? のこのこ来て、感動的な事言って……それで……何が3Pが必要だ。何が全国の猛者どもだ! 何が、扇野原だ! 俺は、テメェらの球入れ遊びに参加さえできなかったってのに……それが今更、今更今更今さら今更いま更……何だってんだ! いっその事テメェも、試合の前にくたばっちまえ! 想太ァ!」


 殴り続けた。ひたすらに……白詰の頬っぺが、紅白饅頭のように赤く膨れ上がるまで殴り続けた。そして、彼の目が閉じ切った所で紅崎はとどめと言わんばかりに片手を空高くに上げてもう一度、殴りかかろうとするとその直前で彼の手は止められる。


「……何!?」


 白詰の手が片方だけ紅崎の手を止めに来ていたのだ。彼は、止めた手から片目だけちらりと顔を覗かせると、言った。


「……見てたよ。2年前のインターハイ。……お前が、去って行く姿を……」


「……!?」


 紅崎は、固まる。――白詰は続ける。


「あの時、何があったかは分からねぇ。けど、あの時のお前は色々普通じゃなかった。……どうしてあんな見た目だったのかは、おおよそ見当はつく。同情もするよ……。でも、だからってあの人らと同じように振舞うのはちげぇだろ? それじゃあ、お前が憎んでるあの人らと同じだ。そんなの嫌だろ?」


「……」


「……別にそれでも覚悟が決まらないって言うのなら、戻って来なくて良い。その代わり俺に3Pシュートのコツを教えてくれ。教えてくれるだけで良い。後は、俺がなんとかする」


 紅崎の拳は、もうすっかり力が抜けていた。今の彼には白詰を殴ろうという気持ちは微塵もなかった。そして、すっかり弱くなったその拳を白詰の手からどかすと、彼はその上から降りて、そして立ち上がる。


「……紅崎?」


 白詰が心配そうに声をかけるが、彼は一度も振り返らない。


「……おい! 何処に行くんだ! 紅崎!」


 白詰は何度も彼の名前を呼んだが、それでも紅崎が帰ってくる事はなかった。そのうち、紅崎は公園の外へ出て行き、彼はバイクのエンジンをかけるとそそくさとその場からいなくなるのだった……。

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