第56話 ユニフォームだけを残して……。

 ――それから、俺と向日葵は病院で何度も2人だけ話をした。最初の頃は、お互いに何の話をするべきか悩んだりもしたけど、今ではお互いにただその場にいるだけで楽しいと思えるくらい親密になったし、前よりもっと気軽な感じに話せるようになった。




 いつの間にか、紅崎にとって一番楽しみな時間が向日葵との時間に変わっていたのだ。そして、それは向日葵も同じだった。彼女は学校が終わると毎日、紅崎の元へお見舞いに行った。そして、いつも他愛のない話をする。今日もそうだった……。









         *



 ――この日は、テスト期間だったためいつもより少し早く向日葵は病院へ向かった。彼女が、紅崎の病室へ向かった時には丁度、紅崎もリハビリを終えたばかりで休憩をとっていた。2人は、担当医がいなくなった後の病室でいつも通り話を始めた。


「……お疲れさま」


 向日葵は、病院の受付の近くの自販機で買ったドリンクを彼に渡すと紅崎は喜んでそれを貰い、ぐびぐび飲み干した。


「かなり、元気そうだね。だいぶ治って来たのかな?」


「あぁ、医者もそろそろ退院しても良いかもって!」


 紅崎は、嬉しそうにそう言った。すると、向日葵も紅崎の笑顔を見てつられたように大きく笑ってにっこり笑顔をした。


「ホント!? やったじゃん! これでインターハイ出れるね!」



「うん! なんとか間に合った……。良かった……」


 紅崎は、心底嬉しそうに自分の掌をグッと握ってその中に力を込める様にググっと震わせる。彼は、真っ直ぐ前を見た。すると、そこには少し前に看護師さんにかけて置いて欲しいと頼んであった自分のユニフォームの姿があった。――濃い目のエメラルドブルーにオレンジのラインが入った長めの半ズボンとダボッとしたタンクトップ型の肩まで隠れたユニフォーム。その真ん中には、白字の英語で大きく「KOUSEI」とプリントされていて、その下には番号が印刷されていた。




 ――15番……。



 その数字を見て、紅崎は目を瞑る。




 ――待ってろよ。天河、花車……。俺も、今行くぜ……。



 そして、インターハイの大舞台で天河達と共に試合に出ている自分の姿を妄想し終えた紅崎は、目を開けるとスッキリした表情になって向日葵に言った。


「……なぁ、ちょっと外の空気を吸いたいんだ」







         *


 病院の外の庭の木々は、桜なんてすっかり散り切っていた。これから来る夏に備えてそこには桃色の花ではなく、蒼々と茂る緑の姿があった。そんな病院の庭の真ん中の青い空と輝く太陽に丁度照らされた場所で、車椅子を押す向日葵とそれに乗った紅崎の姿があった。2人は、木々の木陰から吹く風を感じながらゆっくりと庭の中を進んで行き、そして雀の声を聞いて癒されながら話をしていた。――紅崎は自分の少しだけ伸び出した短い坊主頭の髪をかきむしりながら言った。


「……向日葵。あのさ、今度のインターハイ。俺が試合に出て、それでチームが勝ったら……その、その後にさ……大事な話をしたいんだ。……良いかな?」


 それは、まだ明るくて涼しい春の終わりに唐突に告げられた言葉。



「……うん。分かった」


 向日葵は、何の躊躇いも迷いもなく返事を返し、2人はそのまま病院の庭の一番奥まで進んで行ったのだった……。














 ――――それから一週間後に紅崎は、復活。練習にも少しだけ参加し、そしてすぐにインターハイが始まる事となった……。

 これまでの紅崎とは違い、練習の後にはアセロラだけが置かれているのではなく、今度はちゃんと向日葵が彼に飲み物を届けに行っていた。そんな2人は、明日のインターハイ初戦を楽しみにしていたのだ……。





















         *


 ――それは、突然起こった。



「……いっけね! 試合が楽しみ過ぎて夜、全然眠れなかったぜ!」


 そんな焦った声で息を切らしながらバスから降りて早朝の人気の少ない休日の外の町を走るのは、回復したばかりの紅崎だった。彼は、光星のジャージの下に直接ユニフォームを着た状態で町を走っていた。最早、つい最近まで骨折していたなんてあり得ないと言えるくらいに速くて元気な走り……。彼は、この日自分自身でも絶好調であるのが分かっていた。そして、試合会場である大きな体育館スタジアムの近くの人通りの少ない住宅街の細い道の所で彼は、再びコートの上に立つ自分を妄想しだす。




 ――待ってろよ! 天河、花車。皆!











 しかし……。彼が、疲れて息をきらした所で悲劇は起こった。突然、紅崎の頭に大きく硬い何かが激突したのだ。


「……!?」


 彼は、驚きながらもそのあまりの痛みと衝撃に耐えきれず、よろめきそうになる。しかし後ちょっとの所で踏ん張り、紅崎は倒れずに立ったまま後ろを見渡す。そして、鋭い声で威嚇するように言った。


「誰だ!」


 すぐに正体は分かった。なんせ、相手は全く隠す気なんてなかったのだから……。



「……よぉ。紅崎。元気そうじゃねぇか……。お前、これからどこ行くんだよ?」


 そこには、同じバスケ部の上級生。それも前に摸擬戦をやった5人と更にもう数人、特に柄の悪い集団が4人程集まっていた。彼らは、紅崎とは違って少しラフな格好をしており、肩にパンパンになったバッグをかけていた。バッグをぶん回していた真ん中の1人が続ける。


「……まさか、俺達を出し抜いて試合に出ようとか思っちゃいないだろうなぁ? なぁ、紅崎よぉ……」



「……アンタら」


 紅崎は、体を震わせながらも必死に抵抗しようと足を一歩だけ前にだす。


「……退けよ! これから大事な試合なんだ! アンタらだって今日、出るだろ? こんな所で、こんな意味の分からない小競り合いなんてしてる場合じゃ……」


 言いかけた所で、紅崎は懐に強烈なパンチをもらう。驚いた彼は、痛みと共に体の奥から一気に咳が込み上げて来て、その場で体を丸めて咳込んでしまう。


「……なっ、なんで…………」


 真ん中に立つ上級生の1人が、言った。



「なんでだぁ? んな事、理由は1つしかねぇだろ? おめぇのせいで……おめぇらのせいで、上級生俺達は試合に出る事もできねぇってのに……てめぇら一年共は今年ぽっと出のくせに生意気にユニフォームを持って、しかもいきなり試合に出れるだぁ? おめぇ、俺達がやっとの思いで掴んだスタメンの座を何処までも何処までも邪魔してきやがってよぉ! なぁ、紅崎ィ~? お前を見てると、俺らはイライライライラすんだよぉ!」


 言い終わるや否や、男は紅崎の顔面目掛けて思いっきり殴った。――そして、それを皮切りに彼らは一斉に紅崎1人を囲んでボコボコに痛めつける……。


 そのかごめかごめの中で、紅崎は目から涙を流しながら、そして鼻から血を垂らしながら彼らに懇願するように告げた。


「やっ、やめろ! やめてくれぇ! ……やっと治ったんだ! 今日は久しぶりの試合なんだ! これが終わったら、俺には大事な約束があるんだ! だから今日だけは……今日だけは!」


「っせー! 良いから黙って殴られてろ!」


「だいたい、テメェは前から気に食わなかったんだ! ちょっとうまいからってチヤホヤされやがって!」


「……最近、俺達に内緒で彼女まで作りやがってよぉ!」










「やめろぉぉぉ! やめてくれぇ! やめてくれェェェェ!」





















































































「……紅崎、遅いなぁ。もう試合始まっちまうよ」


 体育館の中、ベンチの近くで刻一刻と動く時計の針を見ながら天河達は、アップを始めていた。すると、そんな彼の元に1人の男がやって来る。


「……おい! 天河。もう時間だからアップ終わりだ。集合するぞ!」


 上級生で光星バスケ部のキャプテン、草野がそう言った。彼は右手でバスケットボールを弾ませながら、ボールを籠の中へと戻す。そして、右手の人差し指に巻かれた絆創膏の位置を整えながら小田牧の立つ所へ天河と共に走って行った。



 ――しばらくして、試合開始のブザーが体育館中に鳴り響く。光星の選手達が5人。コートの上に立つ。会場は、この時大きく沸き上がっていた。



「おい! 見ろよ! 今年の光星のスタメン。全員一年生らしいぜ!」


「うわぁ! すげぇ! しかもアイツらのうち4人があの東村中学でスタメンだったんだってよ!」



「マジかよ! 東村ってあの東京最強の!? すげぇ! これは、これから先が期待できるなぁ! 光星すげぇ!」



 高校バスケの試合を観戦しに来たバスケ好きの大人達が試合観戦をする中で、1人。座席に座りながらそわそわした様子で誰かを探すようにキョロキョロ見渡している少女の姿があった。


「……あれ? 紅崎君?」


 彼女は、必死に彼の事を探したが、紅崎の姿はコート上の何処にもなかった。それどころか、向こうに見える光星ベンチにすら彼の姿はなかった。――少女は、アセロラジュースの入った大きな水筒を持ってそれでも尚、探し続ける……。





 この時、ちょうど外は大雨だった。ちょうど、今日から関東地方にも梅雨が訪れるとの事で、今日はその最初の日という事でいきなり大雨と、そして雷が鳴り出していた。





 そんな大荒れの外から1人の男が、ボロボロになったジャージを着たまま観客席の端の入口に立っていた。彼は、試合をしている選手達の事をぼーっと見て、そしてそのちょうど真横に位置する2階の観客席に座っている少女の事をチラッとだけ見た後に、その瞳から一筋の涙を零す。その涙は、とても美しく彼の頬っぺたを滑り落ちていく。



「よし! ナイシュー! 白詰!」


 コートからそんな声が聞こえてくる。男は、ゴールの近くに立つ白詰の喜ぶ姿をジッと見た。




 ――すると、どういうわけか彼は、白詰と目が合ってしまう。白詰の顔が少しだけ固まる。








 ――紅崎…………!





 しかし、白詰がその男の事を仲間達に知らせようとした瞬間に、試合は再開した。



「……切り替えろ白詰! DFだ!」



「あっ、はい!」








 それっきり、男と白詰の目が合わさる事はなかった。……そして、それと共に男はコートを去った…………。大雨の中、傘もささずに男は1人、血を流しながらも懸命に片足を引きずって彼は下を向いたまま体育館から一歩一歩と離れて行ったのだった……。



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