第53話 THE END

「ワンショット!」


 小田牧が、フリースローラインの前に立つ紅崎へボールを渡す。彼は、慎重にそして呼吸を整えてから貰ったボールを自分の額の上に構えた。




 ――バスケットのフリースローとは、選手がシュートを撃とうとした時にDFがファールをする事で起こるボーナスイベントだ。文字通り、フリー。つまり、誰にも邪魔される事なくシュート撃つ事ができる。そして、その撃つ位置はゴールから少しだけ離れたリングの真正面に敷かれた一本線。――フリースローラインから投げられる。ちなみにシュートを撃つシューター以外の選手は、後ろで待機しているかまたは、体の大きい選手はシュートが外れた時のリバウンドをとるためにゴール下エリアの台形のラインの外側で獲物を狙うワニの如く待ち構えているのだ。


 ※ちなみに、このシュートを外すとよく監督やチームメイト達から溜息をつかれるので撃つ時は注意が必要である。






 紅崎は、額の上でボールを構えたまま呼吸を整えるために深呼吸を繰り返すだけで、動こうとしなかった。



「……!」


 すると、紅崎の前でリバウンド待機をしている白詰がその様子のおかしさに気づく。




 ――手が震えてやがる。



 白詰は、禁断の果実にふれた時のアダムのように自分の顔を引っ込めて体育館のラインを眺めた。




 ――おかしい……。アイツは、いつもシュートを撃つ時に震えたりなんかしない。いや、それどころかこんなに長い時間フリースローで待たされた事もなかった。そろそろ5秒経っちまうぞ……。



 ※フリースローは、必ずシューターが5秒以内にシュートを撃たないといけない。それができないとシュートカウントはなし。場合によっては、そのまま無駄な時間だけを過ごして相手のターンになる事も……。






 白詰が、心配していると小田牧が5秒の笛を吹こうとしたその直前にようやく、紅崎はボールを投げる。




 ――なんだ……この汚ねぇボールの回転は……!



 白詰は、紅崎の放ったシュートの回転を見て、本能的につい、体が若干前に出かかる。しかしすぐに今はリバウンドをとる時でない事を自覚し、彼は足を引っ込めた。


 すると、それと同時に紅崎の放ったボールがバックボードに当たり、リングの先に当たる。まるで、ピンボールのようにバスケットボールがリングの上で暴れだし、やがて竜巻のようにネットの中へと吸い込まれるようにボールは入っていく。


 1年生チームのスコアが一つ。変わる。





「……よしっ! まずは一点だ! その調子でいこう!」


 ベンチからは、花車のエールが聞こえてくる。他の一年生チームの選手達もほっとした表情を浮かべてその場に立ち続けた。




「ツーショット!」


 小田牧は、リバウンドエリアで立っていた上級生チームのCセンター黒川からボールを受け取り、それを紅崎へ渡す。すると、彼はその貰ったボールを自分の前で二度、バウンスし始める。




「…………」



 紅崎の大きな呼吸の音が静まり返ったコートの中で聞こえてくる。彼は、ボールを自分の利き手である右手で持っていると、逆の手で自分の左足の太ももの皮をギュッとつねった。



「…………!」


 その光景を白詰は見逃さない。いな、白詰だけではなかった。それは、紅崎の後ろで待機していた天河も気づいていた。しかし、紅崎は慎重にボールを額の上に持ってきて、そのまま震える体の震えを堪えてシュートを撃った。



 ボールは、体育館の上空でアーチを描く。しかし、その半円はいつもよりも滑らかではない。



 ――何か、やはり変だ……。あの左足、まさか痛んでるんじゃ?



 白詰の心配は膨らむばかり、しかしそれでもここで自分ができる事は、何もない。彼は、棒立ちしたままリングに向かって落ちて行くボールを見た。そして、そのボールはリングの一歩手前に当たって有らぬところへ飛んで行ってしまう。

 紅崎は、その様子に我に返った時のように口をぱかっと開けているだけだった。



 この試合、いや今日初めて紅崎が外したシュートだった。――彼のシュートの精度はかなり高い。特にフリースローなどのゴールにより近い位置ともなればその精度はほぼ100%と言っても過言ではない。しかし、彼は外してしまった。その事に紅崎は内心焦りを感じ出していた。



「ドンマイ。……気にするな。まだ、もう一本ある。ここを決めれば良い。切り替えていこう」



 そんな彼の事を後ろから背中を押すようにポンッと軽い力で叩く天河。彼が紅崎の背中から手を離すと、彼は無言で頷く。そして、もう一度自分の左手で足を触った。



「…………」


 白詰は、それを見てさっきのフリースローの前の渋谷が突進してきた時の事を思い出していた。



「……紅崎」


 白詰は、利き足を後ろにしてゴールを睨んだ。――すると、そんな白詰の事を見て彼の後ろに立つ山口が口だけで笑う。



「……スリーショット」



 小田牧は、もう一度紅崎にボールをパスすると、そのままバスケットゴールの裏へ隠れるように移動をする。そして、その間に紅崎はゴールを真っ直ぐな瞳で狙っていた。




 ――次は、決めねぇと……。



 紅崎の心の中は、緊張と心配と焦り……その他負の感情でいっぱいだった。



 ――いてぇ。いてぇけど、撃たないと……。さっきは外したんだ。今度は、もっとしっかり狙って……。でも、外れたらどうする? さっきやられたこの左足。最初にフリースロー投げた時よりもいてぇ……。どんどん痛みが増していってる。でも、撃たないと…………。いや、撃っても入るのか? …………って、ちげぇ撃たないと。



 すると、ベンチから花車の声が……。



「5秒経っちゃうぞ! 早く撃てー!」




「…………!」


 紅崎は、慌ててすぐに自分の持っているボールを投げた。――そのシュートは、形だけは美しかった。そう、それだけを見ればまさにお手本のような輝きを持つ素晴らしいシュートフォームだ。


 しかし、それは体の構えだけの話。実際に投げられたそのボールは、リズムも回転も全てがバラバラ……。何もかもが噛み合っていなかった。それどころか、ボールは若干右側に傾いてさえいた。




 ――ダメだ。足をかばい過ぎてる! これは、落ちる!



 白詰は、自分の足に力を込める。……すると、そんな姿を見てか周りの人間達も途端に叫び出し、動き出した。




「……リバウンドぉ!」


 両チームのベンチから聞えてくる。しかし、それが聞こえてきた頃にはもう遅かった。リバウンド待機をしていた上級生達の構えるタイミングが一瞬早い。




 ――これは……!?


 後ろから見ていた天河は、ほんの一瞬だけのそれに驚く。――しかし、ビッグマン達がリバウンドの準備を始める中、ボールは音もせずリングの前を通過する。




「…………!?」



「何!」


「……エアボールだ」


 シュートがリングにさえ届かなかった時の事をエアボールという。フリースローの時にこれが起こると、リバウンドはなし。すぐに相手ボールとなる。



「……上級生ボール!」


 小田牧がそう言うと、一年生チームのメンバーはすぐに切り替えて、走り出す。彼らは口々に紅崎へこう言った。



「……ドンマイ」


 しかし、そんな中でただ一人だけ違った。



「……ドンマイ。大会前なんだ。無理はすんなよ」


 白詰だった。彼は、それだけを伝えると走り去って行く。紅崎は、自分の足の太ももをギュッと掴んで、それからさっきまで狙っていたリングに背を向けた。




「……紅崎君。大丈夫かな……」



 その様子を上で見ていた向日葵は心配そうに小声でそう言う。しかし、だからといって彼女にもどうする事もできない。彼女は、悲しげな瞳を浮かべて試合を見続けた。







         *


 上級生チームのターンだ。紅崎は、マーク相手の渋谷を必死に追いかけていた。すると、突然自分の足に電流を流されたような痛みが走る。



「……くっ!」


 紅崎が苦しそうな顔をしていると、マークマンの渋谷が彼にだけ聞こえる声で言った。


「…………結構効いてるみたいだなぁ。その足。……入念に狙っといて良かったぜ」



「何……?」


「……お前は、一年共の中でも特にヤベェからな。正攻法じゃどうにもならん。だからちょっとおとなしくしてもらおうと思ってな」


 渋谷は、笑い出す。それも紅崎しか聞こえない見えない小さくて悪どい笑み……。彼は、渋谷の万円の笑みに我慢ならず、睨み返す。



「……テメェ、ざけんな。最初からこれが狙いで……!」



「最初からってわけじゃねぇよ。でもまぁ、いつかお前の事は絞めようって話にはなってた。……ほら、お前生意気だしよ」



「……んだと!」



「腹立つんだよ。入って来ていきなり、俺らよりもうまくて、しかも何でもこなせて、女子にまでモテる。この試合だって、このまま行けば俺達の3年間の努力が水の泡にだってなるかもしれない……。ぼかぼかぼかぼか3Pが入る奴が試合にでれねぇわけねぇもんなぁ……!」



「……ぐっ!」


 紅崎は、睨み続けた。――しかし、彼は決して暴力は振るわない。ここでやっても意味がない事を知っているからだ。




 ――このクズをぎゃふんと言わせるには、殴る事じゃねぇ……。この試合を乗り越えて野郎の言う通り、スタメンになる事だ……。落ち着け、俺。こんな野郎、すぐにでもぶっ潰してやるんだ!



 紅崎は、冷静な顔で深呼吸をし、自分の呼吸を整える。そして、いつもの真面目な顔で坊主頭をかきあげた。すると、草野からパスを受けた渋谷が舌打ちをして紅崎に言った。



「……それと、もう一つ。苛つくんだよ。テメェのその生真面目顔が……」




「……!」


 刹那、渋谷は紅崎に向かって最高速のドライブを決める。しかし、その進行方向は紅崎の左のすれすれ……。紅崎は、咄嗟に体を引っ込めようとしたが、左足の痛みがその動きを妨げる。



「……ングッ!」



 渋谷が、紅崎の真後ろで告げる。



「……さっきので潰れなかったんだ。今度は、ちゃ~んと始末してやらぁ」




 紅崎の足が、思いっきり踏みつけられる。渋谷は、まるで興奮したゾウが人間をぺしゃんこにするかのような勢いと力強さで紅崎の足を踏んで、更に追い打ちと言わんばかりに泣き所を蹴り上げた。








 渋谷は、紅崎の傍から離れるとそのままシュートを撃ち、見事にそれは入ってしまう。――上級生チームのスコアが動く中、コート上では奇妙な動きがあった。




 紅崎が左足を抑えて蹲っているのだった。



「……大丈夫か! 紅崎!」



「おい!」



 コート上にいた選手達だけでなく、ベンチからは花車が、そしてコートの端から顧問の小田牧が駆けつける。体育館の二階にいた向日葵はその場で口元を抑えて動けず、声も出せないで見ていた。

 駆けつけた上級生チームの5人以外の人々は皆、紅崎の名を呼ぶ。……呼び続ける。数多の人々に囲まれながら、紅崎はまるで馬小屋でイエスが誕生した時のように泣き叫び出した。






















「……うっ、うんぐぅ…あっああああああああああああああああああああ…………」

















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