第39話 閉まらないドア






「……そこから俺のバスケ人生がスタートした。――その……楽し…かったよ。一緒にバスケットができて、何気ない日常を過ごして……爺さん先生とも……厳しかったしきつかったし……大変…だったけど、でもお世話になったよ。息子のように可愛がられたし。ご飯も沢山食べさせてもらった。俺は、あの人達に育てられて幸せだったんだ」


 狩生は、ドアの前で座りながら目の前に見える2人の男へそう話しかけるのだった。――天河と白詰の2人は、じっと聞くだけ。2人は、何も言おうとしなかった。すると、再び狩生の話が始まる。



「……そんなこんなで、俺は仲間と家族に恵まれる事ができたわけなんだが……せっかくできた仲間とは、中学で早速離れ離れになり、それでも爺さん先生の元へは、ずっとよく行ってんだ。……でも、高校へ入る直前に先生は、倒れちまった。それも突然、俺がトレーニングを見て貰っている時に、だ……」



「……」



「……それで、何度も何度も病院へ通い続けた。俺は、早く治って欲しく、それで……治ったら見て欲しかったんだ。高校での俺を……」



 狩生は、そこから続きを言おうとするも、そこで唇が開かなくなってしまう。彼がごもごもと口を動かしている間、2人は下を向いて目線をわざと逸らした。








 ――しばらく経った。


「……爺さん先生は、高校1年の秋に……逝っちまった」







         *




 ――明かりの全てが消えかかった病院での事だった。狩生利幸は、その日太刀座侯と夕方に会う約束をしており、それを楽しみに1日を過ごそうとしていた。……しかし、悲劇は彼が練習をし終わった後に訪れる。




「……狩生さんですか?」


 病院からの電話だった。……この時の彼は、退院のお知らせなのかと期待していた。



 ――先生、だいぶ元気になって来たしなぁ。昨日も沢山飯食って、久しぶりに散歩をしようとか言ってさ……。




 しかし、違った。



「……誠に残念な知らせではあるのですが…………」









 それは、秋から冬へと変わる不安定な気候の日の事。大雨に撃たれながらも狩生は、練習を途中で抜け出して駆けて行った。――病院へ着くと彼は、エレベーターを使う事なく走り出す。





「……爺さん! じいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんん! ジィィィィィィィさァァァァァァァァァァん!」



 声が裏返ってガラガラになるまで叫び続けた。何度も静かにしてくださいと言われたが、この時の彼の耳にそんな言葉は入って来ない。






 ドアを開けるとそこには、小奇麗にちょこんと、それまでの威厳がまるで全て吸われてしまったかのような見た目で寝ている太刀座侯の姿があった。周りには、医師達がいて、そんな中に婆さんの姿もあって……。



「……利幸!」


 婆さんは、彼の必死な顔を見て、ようやく収まりつつあった涙を再びその目に溢れさせた。だが、そんな事も気にせず狩生は、婆さんを無視して寝ている爺さんの元へやって来る。




「……爺さん。……俺だよ。見えてるか? ……こんなに手を冷やしちまってさ。まだ、冬じゃねぇのに……。らしくねぇよ。……爺さん。なぁ、おい。爺さん……なんで目を開けてくれねぇんだよ…………」



 もう限界だった。彼の瞳から涙が止まらなかった。――すると、そんな彼の元に後ろから婆さんがそっとやって来て、彼の事を優しく抱きしめた。そんな2人の姿を見て病院の医師は、申し訳なさそうに言うのだった。




「……おじいさん、今日君と会える事が凄く楽しみだったんだよ。昨日の夜なんてずっとその事ばっかり言っててね……。でも、今朝突然体調を大きく悪化させてしまったんだ……私も手は尽くしたつもりだ。…………最後に言っていたよ。もう少しだけ長く生きたかったって……。あの人は、本当に君の事が大好きだったんだね……」







 ――か……。



 狩生は、それからしばらく病院の中で爺さんの事を見ていた。全く動く事のないその姿をぼーっと見つめながら彼の心は次第に縮こまっていくのだった……。





 ――違う。爺さんが、死んじまう事はもうどうしようもない事だったんだ……。俺が、部活や学校をサボってでも、駆けつけてやれれば……。それで……。
















          *




「……バカ野郎が。んなわけねぇだろうが……」



 下を向いたまま座っている狩生の事を見て天河は、小さな声でそう言うのだった。狩生は、そんな天河の事を見上げる。



「……確かに死んでしまったのは、残念な事だと思う。後悔をしたくなる気持ちも分かる。……けどな、それでここまで落ち込む事はなかっただろうが!」



 すると、そういう天河の事を見て、狩生はふつふつと自分の中の怒りを露わにしていく。


「……お前に俺の何が分かるんだ! 俺にとって、あの人は初めて家族と呼べる大切な存在だったんだ! 悲しむのは、普通だろう!」



「……あぁ、普通だよ! けどな! 今のお前の姿を見て、あの世にいるその人はどう思うんだよ!」



「それは……」










 天河は、言う。


「……なぁ、狩生。これは、お前自身が変わろうとしないとダメなんだ。俺達が色々言っても、多分よくねぇんだよ。なぁ、あの世にいる爺さんに喜んでもらおうぜ。お前の今を見せてさ……」



「…………」






「……後は、お前自身の問題だ」




 そう言うと、天河は白詰に小さく「行くぞ」と告げてその場からいなくなろうとした。――そんな彼の事を追いかけるように白詰は、天河に言うのだった。



「おい! ちょっと、冷たくねぇか? 流石にこれは……」




「……アイツなら、もう大丈夫だ。……俺達に顔を見せた段階で、あいつ自身に変わろうとする気持ちはあるって分かった……。後は、俺達が踏み込めない領域の話だ。……行くぞ」




「あ~、おい!」











          *




 ――分かっている。変わるのは、自分なんだって……。昔の悲しみにいつまでも溺れているのは自分だ。





「……昔は、こんな事なかったのになぁ……爺さんと最初会った時も普通で……」






 狩生は、ドアを閉めずにその場でただ立ち続ける。――そして、自分がこのドアを閉めれない事にいつの間にか気づいてしまうのだった。












「……そう言う事なんだな。……爺さん」






 この日、青年は初めて空を見上げた……。その空は、雲一つない快晴で、太陽が彼の事を照り付けているのだった……。

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