第38話 少年時代の決意④
「……こっちだよ!」
少女は、元気よく彼に声をかける。
「……ちょっと待てよ!」
狩生は、そんなはしゃぐ少女の姿を追いかけながら、走り出す。
「……あいつ、どうしてあんなにはしゃいでるんだよ」
2人は、そんなこんなで少女が前を。その後ろを少年が追っかける様に進む。……走ったり、歩いたりして。子供達は、体育館を目指していった。
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町の中にあるとある小学校。――その端には、裸となった木々が立っていてそれらが真ん中にある体育館を囲んで抱き合うように並んでいる。季節の問題もあって虫の声何かは1つもしてこない。一見すると静か。日の当たりも外から見るとあまり良くないように見えていて、午後の落ちかけの太陽によって日陰はより一層濃さを増していた。
しかし、実際に近づいてみると印象は違うものだ。虫の鳴き声は確かにないが、それを上回る程の人々の熱の籠った声。感じる汗の流れ。駆ける足の疾走感……。それから、バスケットシューズの甲高くてしまった音。冬という季節が放つ独特の寂しさや哀愁なんて忘れて溶けてしまうような場所だった。
そんな場所に2人は、やって来た。
「……ここで待ってて!」
少女は、そう言うと靴を乱雑に脱ぎ捨てて体育館の中へと入って行った。
「……お兄ちゃん! お弁当!」
少女の声が、それまでの汗臭い雰囲気をぶち破るかの如く新たな色を添えた。
「……ん? あっ!
すると、妹は乱雑にバッグからベン問いを取り出して、それを体育館の舞台の上にガシャッという音を立てながら置いた。
「……お兄ちゃん。ボールよりも先にお弁当を入れてよ。なんだか、しょっちゅう私が持って行ってる感じだよ?」
すると、彼はタオルで首元を拭きながら妹の方を向きながら喋り出す。
「……すまんすまん。いや~、入れて行こうとは思ってるんだけどなぁ。どうもこう、早くいかないと~って」
妹は、少し冷たい目で言う。
「お兄ちゃん、忘れてバッカ」
「瑠璃? なんだか、その……ばっかが、カタカナで”バカ”って見えた気がするんだけど?」
すると妹は、はにゃ? と首を傾げた様子で口を開かずにやり過ごす。――兄も一緒に黙って弁当の方へ視線を移し出すと、それを見た妹は状況を見て兄へ下から見上げるような感じで言った。
「……そうだ! お兄ちゃん。実はね、良い人を連れて来たの!」
彼女は、突然嬉しそうな顔でそう言い出した。
「……? 良い人? …………瑠璃……」
すると、兄は外に見える1人の男の存在に気づく。――その男は、背が高くて、小学生にしては筋肉もついていた。顔もそこそこ良い顔をしており……。
「……!?」
ここで、兄は1つの大きな結論を見出す。
「なぁ、瑠璃……。その…………今は、練習中でな。だから、その……いっ、いや! 別に俺は、嬉しいよ。大事な妹にその……。えっと…………」
兄は、困惑していた。今、外に見えているこの男が……自分の妹の……。
「いっ、いや、けどさ……早すぎねぇか? まだ俺達小学生だぞ? 小学生でこんな……私達、付き合ってるんです! なんて……おっ、俺……なんだか、先を越された気がして……うっ、だが愛する妹に大切な人が出来たんだ! 祝福せねば!」
「お兄ちゃん、どうしたの? 1人でぶつぶつ喋り出して……。なんだか、気持ち悪いよ」
「うっぐぅ! 妹よ。兄は、お前を心配して……」
「は? 心配? お兄ちゃん、なんか勘違いしてない? 私、バスケチームに入りたいっていう新しい良い人連れて来たんだよ」
「…………ん? え?」
「……え?」
兄は、混乱の中で一つ一つ言葉を出していく。
「……とすると、その……瑠璃や、もしかして……あちらにおられるお方は、その……君の彼氏とかそういうのではなく…………」
「彼氏? 瑠璃、まだ小さいからそういうのはよく分かんなーい」
「純粋にバスケットをしたいっていうので良いんだな?」
「そうだよ」
兄は、大きく溜息をついた。そして、安心と信頼の眼差しで外に見える背の高い男の姿を見つめ、歩き出す。
「……」
狩生は、そんな兄の姿をまじまじと見つめ、彼の言う事に耳を傾けた。
「……初めまして。とりあえず上がってくれ。……コーチの元まで案内するよ。その後、実際に練習を体験してもらうから」
「……いっ、いや! ちょっ、ちょっと待て! 俺は別に練習をしにここまで来たわけじゃ!」
しかし、兄は全く聞く耳を持とうとしない。狩生から一定以上距離をとると、そのまま機械的にコーチという者の所へまで案内するだけだった。……狩生は、言い続ける。
「だから違う! 俺は、確かにそのコーチってのに用はあるが、別に練習をしに来たわけじゃなくてな! ……」
「……コーチ、入会希望者です」
そして、とうとう彼のよく知る人とご対面する事となる。
「……入会希望者? そんな連絡は全く来ていないぞ?」
その男は、鋭い顔をして兄の事を見つめていたが、すぐに兄の後ろにいるその少年の姿を見て驚愕する。――男は、顎に手をやって、普段通りを装うとしたがしかし、自分が今何処にいるのかを思い出して一度咳払いをしてから男はシャキッとした顔で改まって聞くのだった。
「……何の用だ?」
「……いや、別にそんな改まんなくて良いから」
「……じゃっ、じゃあ。一体何じゃ? バスケットをする気になったのか?」
狩生少年は、少しだけコートの方を見渡すが、それからすぐに男の方を見て言うのだった。
「……いや、別に。興味なんかねぇよ。……ただ、ダイエットの成果を見せに来ただけだし……」
すると、太刀座侯はゆっくりと狩生から目線を外していき、そのまま広いコートをぼんやり眺めながら残念そうな顔をして下唇を上唇で濡らしていた。
「……そうか」
太刀座侯は、笛を鳴らす。前にいる選手たちへ一定のリズムで笛を吹かす。――少年達は、笛の音と共に走り出す。……そうして、最後に並んでいた少年達へ笛を吹かし終えると、太刀座侯は口からそのプラスチックの塊を外す。
「……ダイエット、よく頑張ったな。もう帰りなさい。これからも続けるんだぞ。トレーニングを続ける事は大切な事だからね」
男が、少し悲しそうにそう言うと狩生は、なんだか思っていたのと少し違う反応をされた気がして、その場からトボトボと離れて行く。――兄の隣を抜けて、体育館の舞台の近くまでやって来て、練習している選手達に邪魔にならないようにと端っこを順調に進んで行く。
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そして、体育館の入り口近くまでやって来ると彼は座って靴を履くのだった。つい最近、マジックテープ型の靴を卒業して紐を結ぶ型に変えた事もあってか、なかなか紐がうまく結べない……。そんな事に少しだけイライラしながら、少年は靴紐に熱中していた。……輪っかが、うまく作れない。紐と紐の間をうまく通せない……。そんなイライラが、頂点に達していた時、一人の娘の誘惑が彼の耳に入り込む。
「……なんだ。バスケットしたくてここまで着いてきたわけじゃないんだ」
少女の声だ。――彼女は、イライラしている少年の隣へ腰を下ろして体育館の入口から見える空を眺めながら喋っていた。
「……別に、勘違いして連れて来たのは、そっちだし」
「まぁね。でもまぁ、この前の仕返しくらいにはなったかな?」
少女は、小悪魔のような表情を浮かべて少年の靴を見つめた。
「……!? お前、やっぱり覚えて!?」
「当たり前だよ。……あんなひどい事されて忘れるわけないじゃん!」
少女は、真剣だった。……真剣に少年の横顔と横から見える瞳を見つめてそう言った。少年には、言葉が出てこなかった。――なんせ、今の少年はあの頃と違う。彼は、運動を始めた事と自分を大切にしてくれる存在に出会えた事で、もうあの頃のような荒んだ心はなくなっていたのだ。前の彼じゃあ、少女にこんな事を言われても「あーそー」と返すだけだったかもしれない。しかし、この時は流石に何も言い返したりできなかった。
――そして、そんな少年の心情の変化に少女もうすうす気づき始めていたのだ。彼女は、少年へ強い眼差しを向けたまま、話を続けた。
「……まぁ、仕返しがどうとかっていうのは、冗談。でも、許してはいないよ。それは、この前の事もそうだけど、おじちゃんをがっかりさせちゃった事もだからね」
「え?」
狩生は、思わず靴から目線を外して少女の方を見つめた。――すると、たちまち彼女は喋り出す。
「……おじちゃんとどんな関係なのかは分からないけど、私もここにいる皆もおじちゃんの事、大好きなの。だから、あぁいう顔は見たくないの」
「…………」
少年は、黙ったままだった。……この時には既に靴紐を結ぶ動きも止まってしまっていて、彼の視線も下へ固定されたままになっていた。少年は、なんとか振り絞るように言葉を発する。
「……でも、俺は本当にただ報告するためにここまで来てみただけだし……別に興味があるわけじゃなかったし……。だから、俺は別に…………」
「……本当に興味が無かったら、わざわざこんな所へまでやって来て話になんて来ないと思うよ」
「……!!」
少女の刺すような言葉に少年の心がドキリと動き出す。
――間違っちゃいない。
そう感じてしまった。あの時、瘦せたという事を報告するのなら別に今日の夜でも良かったはずなのだ。
――でも、自分はわざわざこんな所までやって来てしまった……。
彼の靴紐を結ぶ手が完全に止まる。それどころか彼の体は全く動かなくなってしまう。
――俺は…………。
自分で自分が分からない。といった感覚を彼は覚えていた。自分が今、何を考えているのかその答えは出ない……。
だが、それでも今日になって一つだけ分かった事があった。……それは、汗を流して頑張って頑張って……その先に待つ結果への達成感。彼は、ダイエットとはいえ、運動を続けた。そして、その結果に彼の体は引き締まった。今では前よりもしっかりした筋肉がついてくれたおかげでよりがっちりとした良い体を手に入れる事ができた。
その喜びを彼は知ってしまった。だから……少女の言う事には納得が出来てしまう気がした。
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「……」
少年は立ち上がった。そして、少女へは何も言わず、コートの中へと戻って行った。――そんな少年の姿を太刀座侯と兄は、見ていた。兄は、弁当箱を置いて狩生の元まで駆けつけて言うのだった。
「……妹を泣かした事に関しては、後でじっくり聞いてやる。だが今は、歓迎する。俺達のチームへようこそ! 俺は、
「……狩生利幸だ。よろしくお願いします」
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