第37話 少年時代の決意③
「……」
「……」
二人は黙った。お互いに目と目が合わないようにわざとらしく視線を外し、口をモゴモゴさせて待っていた。
何を喋るべきか。どう話を切り出すべきか。分からない。……でも、そうしてくうちに時は残酷に過ぎ続けている。
──何か、言わないと……。
これ以上、待ってればきっともっと言い辛くなる。それはなんとなく彼にも分かっていた。
目線は外したまま、狩生は深呼吸をしてゆっくり口を開けた。
「……その」
「……?」
「その……立てるか?」
顔面は完全に違う方向を向いていた。一見すると誰に言っているのか分からないって位に。しかし、そこに手が加わった。
狩生の手が少女の元へ優しく差し伸べられた。
「……」
その光景を少女はじーっと見る。──しばらくして恥ずかしくなったのか、少女は瞳を逸らしたが、微かに返事の声が聞こえてくる。
「…………う、ぅん……」
少女は小刻みに震える手を狩生の方へ伸ばしていき、そしてちょこんと上に乗せるようにその手を握った。
――少女は、そのまま軽く少年の掌に体重をかけながら、立ち上がろうとする。少年も普段から体を鍛えていた事もあって、少女の事をうまく支える。……そして、少女が、スカートから露わになった自分の膝小僧を少年の前に露わにすると、そこで少年は右手にグッと力を入れて、少女を立たせた後に申し訳なさそうな顔を作った。
「……おっおい!」
「……!?」
少女は、突然少年が発した叫び声に驚き、小動物のように小刻みに震えるその手をサッと引っ込めて、恐ろし気な表情を浮かべる。
――しかし、今の少年にはもう少女を虐める気持ちも何もなかった。彼は、ただ純粋に言うのだった。
「……膝を怪我してるじゃねぇか! おい! 血まで出てるぞ! ちょっとこっち来い!」
「……え? えぇ!?」
大きく口を開けたまま少女は、力いっぱい少年に引っ張られて丁度すぐそこに見えた公園の水道の元まで連れて行かれるのだった……。
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「……痛くねぇか?」
「……うっ、うん」
そう問いかけて来ながら、少年は全開にした蛇口の水を自分の手に当てながら、少女の膝の全体に水をかけていった。少女の靴や靴下、そして肩から下げていた少し大きめのバッグがそれぞれベンチの上に雑に置かれている。
──しばらくすると狩生は、申し訳なさそうに蛇口を閉めて、近くに生えていた葉っぱを一枚ちぎって、少女の膝の傷の上に被せた。
「すまん。絆創膏とか持ってないからさ。しばらくこれで我慢してくれ」
「うっ、うん」
少女はしかし、心配そうな顔で葉を見つめていた。……そんな彼女の事に気づいた狩生は、頭をポリポリかきながら口を開いた。
「……その、一応……言うとな……。この葉っぱを傷口の上に乗せとくと血が止まるんだよ」
「……?」
「いや、ホントだって! 俺、よく喧嘩する事が多かったからさ。こう言う事は、なんか知ってるんだよ!」
「…………」
少女は、黙ったままじっと少年を見つめていた。――しかし、狩生少年の慌てた感じが、なんだか面白く見えてきてか……少女の表情は、段々緩んで行く。
「ふふっ……」
気づくと小さい声で一度、彼女は笑い出した。
「フフフッ……ウフフフ!」
そして、とうとう我慢できなくなった少女は、大きく笑い出した。……それは、なんだかそれまで見えていた少女の年齢よりも更に幼く見えてしまうような……そんな純粋さと明るさ、幼さが垣間見えたような光景だった。
「……なんだよ? そんなに笑う事ないだろ?」
頬を赤く染め上げた狩生がやっとの思いで発したのは、そんなセリフだった。
「……だって~」
少女の笑みが、少しだけ彼らの関係を雪解けさせていく。
「笑うなよ! こっちはわりと心配してたんだぞ!」
「ごめんごめん」
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――それから少女が、笑い終わるまでの間、狩生少年は頬を赤らめながらジッと待ち続けた。やっと、彼女が笑い終えた時には、少年は安堵のあまり「ふう」と息を吐く程だった。
「……その、なんだか色々ありがとうね! 前にね……お財布を取り上げられた時の事を思い出して怖かったけど……本当は優しいんだね!」
――少年は、赤くなるのを堪えようと彼女の顔から自分の目を逸らす。
「……別に、気まぐれだ。その……痛そうだったから水くらいかけてやろうと思っただけだし!」
「エへへ! ありがとう!」
「…………おっおう」
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また、しばらくして少女はベンチへ移動し、そこにちょこんと座る。少年は、彼女の隣に座るのがなんだか恥ずかしくてか、座ったりはせず、彼はただ少女の目の前に立つ事にした。
ふと、空を見上げていた少年が喋り出す。
「……そういえば、名前を聞いてなかったな。俺は……」
「
「……あっ、あぁ。そっそうだぜ! 俺は、その辺の奴とは違う!」
「うん。確かにこの前は怖かったね。……でも、さっきので結構印象変わったよ。案外……良い所もあるんだね」
「なっ! そっ、そんな事はねぇぞ!」
「あぁ! そいえば、最近はなんか前によく一緒にいた怖そうな人達とも全然一緒にいないね! それで余計に怖く見えなかったのかなぁ」
「んぐぬぬぬ……」
・
・
・
――そうして、2人があれやこれやと雑談をしていると、ふとそこで少女は思い出した顔で立ち上がる。
「……いけない! 今日は、お兄ちゃんの所までお弁当を届けに行くんだった!」
彼女は、慌てて自分の隣に置いてあるバッグを開ける。……すると、中には緑色のランチョンマットに包まれた少し大きめのお弁当箱が1つだけ入っていた。
少女は、それを確認するとすぐにバッグを肩から下げて、バッグの中から腕時計を取り出し、時間を確認。
「……あ! もうそろそろお昼になっちゃう! お兄ちゃんのバスケ終わっちゃうよ!」
――バスケ!?
少女は、バッグの中に腕時計をしまい、そして公園の入り口の向こうを見つめる。
「……じゃあ、その怪我の手当とかありがとうね! 私、行かなきゃ!」
少女が、目的地に向かって走り出そうとしたその寸前に、少年は彼女へ大きな声で叫び出す。
「……ごめん! 待って!」
少女は、ハッとした顔で振り返る。
「……どうしたの?」
「あのさ、その……お前のお兄ちゃんが行ってるバスケって誰が教えてるとかって分かる?」
彼女は、左上を見上げながら過去の記憶を呼び起こしていく……。
「……えーっと、確か……。あっ! そうだよ! 駄菓子屋にいるあのおじちゃんだ!」
「マジか!?」
少年は、食い入るように少女へ尋ねる。
「うっ、うん。前にお兄ちゃんのお弁当を届けに行った時に会ったし……」
――ラッキーだ。
思わぬ事に驚きを隠せなかった少年。彼は喜びのあまり、そのまま少女へ言った。
「……あっ、あのさ! 良かったらその……俺もそこに用があるからさ! 連れて行ってもらってもいいか? 実は、道に迷っちゃってさ! 何処でやっているのかを聞き忘れて……」
少女は、自分の唇に人差し指をあてて考え出す。……この時、少女の脳裏には1つの言葉が浮かび上がっていた。それは、兄がお風呂上りに言っていたさり気ない会話の中での言葉。
「……人が足りてねぇんだよ。今のチームにもう一人誰かが来てくれると良いんだがなぁ」
「……どんな人が良いの?」
「……まぁ、そうだなぁ。欲を言ってしまうと背が高くて足の速い奴だなぁ」
「……そんな人いないよぉ~」
「……まぁ、そうだろうなぁ」
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少女は、正面を向く。――目の前には、背の高い男が1人。
「……俺もそこに用があるからさ!」
少年のその言葉が彼女の中で響く。
「……これだ」
「……え?」
少年は、何がこれなのか少女に尋ねようとしたが、それよりも先に少女の心の中に一つの思いが芽生え、そして喋り出していたのだった。
「……行きましょう! 私に着いてくればもう安心です! 必ず、体育館まで安全スピーディーに案内します!」
少女の突然の変わりように少年は、驚きながらも返事をする。
「……おっおう」
こうして、2人は体育館を目指して一緒に歩き出すのだった。
――待っててね! お兄ちゃん!
少女は、空を見渡した。
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