第36話 少年時代の決意②

「……フフ、さぁ少年よ。どんどん食べろ。おかわりもいっぱいあるぞ〜!」


「よっしゃ! おかわりぃ〜!」


 狩生少年は、その時からほぼ毎日この駄菓子屋のおばちゃんとおじさん夫婦の家でご飯をご馳走してもらうようになった。少年のその食べっぷりは、見ていてとても微笑ましくて、それでいて美味しそうだった。

 おばちゃんとおじさんの夫婦は、少年が来るようになってからご飯の作る量が倍位に増えて、経済的に大変な部分があった。しかし……。


「美味しそうに食べる少年を見ていると、なんだか孫を持った気分になる。フフフ、食わせよう。思いっきり……」


「……えぇ、そうですねぇ」


 2人は、それでもご飯を作り続けた。毎日毎日……。


 そうやって毎日、ご飯を作り続けたのと同時に男は、言い続けた。



「……ところで少年よ。こうやってほぼ毎日家へ来ているわけだ。食い終わったら一汗かきにでも……」


「やだ」



「……ぬ!? なんじゃ、わしはただ少し体を動かそうと言うつもりだったんじゃぞ」



「そうやって、バスケットコート連れてくんだろ? おっちゃん、それ何回目だよ?」



「……うーむ。なかなかやりおるのぉ……」



「……分かったら、ご飯持ってきてよ!」


 少年のいたいけな笑みが男の胸に射しこむように輝いて見えた。男は、お茶碗を持って、よそいに行こうと立ち上がるが、そこでふと、ある事を思い出したように振り返った。



「少年よ、今日は何倍食った?」



「あ? これで4杯目」



「……昨日は?」



「……うーんと、5杯かな?」



 男は、ハァとため息をつき、さらに尋ねる。


「……その前」



「ふっふっふぅ! 聞いて驚け。その日は新記録を更新! なんと10杯だ!」





 ──男は自分の額を抑えてガクンと落ち込みだす。



「少年……お前、ちょっと鏡を見てみろ」



「え?……」




 狩生は、部屋の近くにあった鏡を見る。──そこには、それまでの自分とは全然違う姿があった。



「……」


「……ぶっちゃけ、太ってるだろ?」


 男が言う。──狩生は鏡と男を交互に見た。



「……少年よ。だからこそ、お主は運動をするべきじゃ。ワシと一緒にこの後、走りに行こう」


「……なっ!? 嫌に決まってんだろ。俺はスポーツなんてしねぇからな!」




 すると男は顎に手をやって考え出した。


「……少年、お前はスポーツをする事に何か嫌な理由でもあるのか? どうもお前はあまりに嫌がりすぎている気がしてな……」






「……別に理由なんかねぇよ。ただ、ちょっとな……」



「なんだ?」



 少年は、頬っぺたを指でかきながら恐る恐ると言った感じで話し始める。



「……そのさ、俺はぶっちゃけ誰かと一緒に何かをやるって事が苦手でさ……。小さい頃から親と生活した事なんてあんましなくて……。だから、その……」


 すると男はコクコク頷いてから納得した顔で告げた。


「……お前の言いたい事は、まぁ分かった」



「……」



「じゃがな、少年よ。お前は自信をなくすにはあまりに若すぎる。確かにお前の生活環境は酷い…かもしれん。それで落ち込むのも子供なら当然じゃ。しかしな、お前くらいの歳なら全然まだ“がむしゃら”ができるでないか。一度、挑戦してみるのもワシはありだと思うぞ。──ふふっ、なーにただその辺を少し走ってみるだけじゃよ。それにな少年、ワシに遠慮する事は一切ないぞ」



「……爺さん」



「ただ走るだけのダイエットじゃ、バスケットはもっと明るい時間にせんとボールが見えなくてシュートも撃てんからな」










 ──少年は走る事にした。











       ~その日の夜~



 ――太刀座侯と狩生少年の2人が、ぽつぽつと電柱の明かりで照らされていた町の一本道を並んで走る。



「……はぁ、はぁ……なぁ、爺さん……」


 息がキレキレの狩生少年と整った呼吸を続ける太刀座侯。2人は、お互い顔を見合わせる事なく話しを始める。




「……どうした?」



「はぁ、はぁ……いや、そのさ……爺さんは……どうしてそんな元気なんだろうって思ってさ」



 太刀座侯は、走りながら高らかに笑いだす。


「グハハハハハ! な~に、どうして息切れしないのかって? そりゃあ、ワシは定期的に運動をしているからな。歳をとっても体が衰えぬように工夫しておるのだよ少年」



「……そうか」








「……なぁ、爺さん」


「……どうした?」


 ――狩生は、少し間を開けてから喋り出す。



「……いや、そのさ。俺、初めてだったんだ。人の作ってくれたものを食べるっていうのがさ。……それで…………」


 少年が、何かを言おうとした次の瞬間、太刀座侯は最初から次に言う事を理解していたかのように告げた。



「……これからも家へ来なさい」


「え?」


「……お前は今、手作りの飯を沢山食べるべき時期なんだ。お前は、確かに太り出した。太る事は身体にとってもあまり良い事でない。それはちゃんと痩せないとダメであろう。……しかしな、だからといってこれから先は家へ来て食事を取る事は禁止なんて、そんな事は言わん。これからも、久美子の飯を食いに来なさい。ワシも……それに久美子だって、お前の沢山食べる姿が大好きなんだ。孫が出来たみたいでな」


「孫……?」



「……あぁ、まぁ……そのなんだ。あんまり気にしないでくれ。大した事ではない。とにかく、これからも家へ来てご飯を食べて行きなさい。ワシらは、いつでもお前を歓迎するぞ」




「……爺さん」



 ――2人が、なんだかほっこりした温かい雰囲気に包まれ出した所で太刀座侯は、口元を少しだけムッとした形に変えて、大きな声で喋り出した。



「ただし!」



「え?」

 狩生少年は、そんな太刀座侯の突然の一声に驚き、つい顔をそちらへ向けてしまう。――太刀座侯は、続ける。



「……これからは、定期的に運動もする事じゃな。ワシの方で簡単なメニューを考えておく。久美子にもその内容を教えておくつもりじゃから、しっかりこなすように」



「……え、えぇ?」


 少年の顔が一気に暗黒に染まる。彼は、太刀座侯の言葉を聞いてからすぐにその視線を上から下へ落とし、走るペースも若干落ち込んだ。

 ――太刀座侯は、そんな少年にペースを合わせて更に告げた。



「……な~に、別に簡単なものよ。ちょ~っと、筋トレと走り込みをさせるだけじゃ」



「……うっ、うぅ……きちぃって……」






 ――こうして、狩生少年のダイエット大作戦が始まるのだった。最初こそ、嫌々やっていた狩生だったが、駄菓子屋のおばちゃんにもトレーニングを見てもらうなどの助けを貰い、何度も続けていくうちに彼は、次第にトレーニングを苦だとは思わなくなっていた。


 ……そして、ここから少しずつ彼は、駄菓子屋の老夫婦達に対して好感を覚えていく事になる……。



 その大きな分岐点となったのが、とある冬の日の事であった。







「……久美子~。ワシは、行ってくるぞ!」


「あら。いってらっしゃい。今日も頑張ってね」


「うむ。……それじゃあ、少年のトレーニングの方を頼むぞ」


「えぇ。あなたも練習頑張ってね」


「うむ! 今日もビシバシ行くかぁ〜!」


 

 太刀座侯が出て行くと、そのちょうど後に家の中にいた狩生が現れる。彼は、ドアをぼーっと眺めていた。


「爺さん、今日も練習に行ったの?」


「えぇ。そろそろ試合なんですって。張り切ってましたよ」



「……ふーん」



 狩生はここ最近、太刀座侯がいなくなる度にドアの向こうをぼーっと眺める事が多くなった。そんな彼の事を駄菓子屋のおばちゃんは、にこやかな顔で見るのだった。






 ――そして、少ししておばちゃんは少年の背に合わせるように自分の体を低くして目を見て言った。


「……私達もそろそろ始めましょうか。朝の時間帯は、全然人も来ませんし、お店のすぐ傍のスペースでやりましょう」



 少年は、ハッと気づいておばちゃんの方を振り返る。そして、ほとんど聞いていなかったおばちゃんの言葉を断片的に繋ぎ合わせて理解する。


「……分かった」



 少年は、早速腹筋を始める。――おばちゃんの言う通り、この時間帯は本当に人がほとんど来ないため、彼がここで軽い運動をしたところで誰からも何も言われる事はなかった。季節が冬であった事もあって、彼の体は程よい汗をかいたベストコンディションとなる。


「……98……99…………10、0!」


 腹筋を終えた少年は早速、疲れから床に大の字で寝転がりだし、そのまま呼吸を整えるべく、大きく空気を吸っては吐くを繰り返し続けた。


「はーい。お疲れね。……利君、大分痩せたんじゃないかい?」


 おばちゃんが声をかける。――狩生が、よっこらっしょと言いながら立ち上がって鏡の前に立つと、そこには夏場あんなに膨れていたはずの腹がきゅっと凹み、逆に腕や足が良い具合に筋肉のついたバランスの良い体がそこにはあった。



「……確かに。俺、なんか良い感じじゃない?」


 おばちゃんは、ニッコリ笑って言うのだった。


「ええ。カッコよくなったね」


 少年は、笑った。


「……だよな? そうだよな! ダイエット成功だよ! ははっ! な~んだ、案外簡単に終わっちまったじゃんか!」


「良かったねぇ~」


 少年は、それから嬉しさのあまり居ても立っても居られなくなり、とうとうその場で靴を履きだした。


「……何処に行くんだい? まだトレーニングが残っとるよ!」


 おばちゃんがそう言うのを狩生は、笑いながら返した。



「……爺さんに今すぐ、この姿を見せてやりたいんだ! 良いだろ?おばちゃん。帰ったらまたいつも通りトレーニングするからさ!」



 駄菓子屋のおばちゃんは、それを聞いて心の何処がぽっかりした気分になり、微笑みながら言うのだった。


「……分かったよ。行ってらっしゃい……ただし帰ってきたらちゃんとトレーニングするんだよ」



「うん!」



 狩生は、お店の入口から出て行った。――そして、ただひたすらに走り続けた。……しかし、最初の信号に差し掛かった所で彼は、ある一つの大事な事を思い出すのだった。




 ――爺さんが普段、何処でバスケット教えに行ってるのか聞くの忘れたァァァァ!





 信号が青に変わったその瞬間に少年は、もう一度駄菓子屋に戻ろうと体を反転させた。


「……キャッ!」


 すると、向こうから一人の少女と偶然にぶつかりそうになる。少年の方は、普段から体を鍛えていたという事もあり、なんとか転ばないで済んだが、少女の方は倒れてしまう。



「いたた……」


 少女は、お尻を痛そうに擦っていた。幸いな事に泣き出したりする素振りは、全くなかったので、狩生少年はホッと安堵した。


「……大丈夫か? 怪我は?」


 そして、少年が自分の手をその少女に向けて伸ばすと、そこでようやくそれまで下を向いていて、いまいち顔の見えなかった少女の素顔が明らかとなった。



「……え?」


「……は!」



 2人は、目を合わせた途端すぐに分かった。目の前にいるのが、お互いに誰なのかを。それは、太刀座侯と出会う前のグレていた時期の狩生が、財布を取り上げようとしたあの少女だった。……2人の少年少女は、寒い冬の日の昼間に再開する。


 それが、彼の次なる物語における重要な再開であった事は、また別の話。


 





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