狩生編

第31話 次なる場所へ

 ──霞草が、走り出したのと同じ頃。




「……じゃあ天河、俺ももう行くぜ」


 汗を拭きながら白詰がそう言った。天河は、顔に「?」を浮かべながら彼に聞き返す。



「今日はやけに早いな。お前も帰って勉強するのか?」


「いや、霞草と違って俺は頭悪りぃから、勉強なんてしねぇよ。……ただちょっと寄らなきゃ行けねぇ場所があるんだ」



「寄らなきゃいけない場所?」





「……狩生を何とかしねぇと」




 白詰の顔を見て、天河は黙った。彼もまた、昨日のサイゼでの一件で狩生の豹変っぷりを目の当たりにしたからだ。


 白詰は、続ける。



「……バスケが一緒にしたいからっていうのも勿論あるんだ。けど、それ以上に俺らは、アイツを2年間あんな状態にして放置しちまったんだ。……助けねぇとダメだ」



 天河は、彼の言葉を聞いてゆっくりとその瞳を開き、告げた。



「……アイツと、実際に会った事は?」



「1年の時以来、一度も……」



「……そうか」




 天河は、少し黙って空を見上げる。





 ――少しして、彼は言った。



「……分かった。なら、俺も行こう」






 2人は、狩生の家まで走り出した。














       ~その頃~



 ――天河達が普段走っている場所と反対側に、大きなバスケットコートがあった。


 早朝の時間帯。このバスケットコートは、いつも1人の男が利用している。扇野原と背中に書かれた体育着を着た男――航だった。



 彼の毎朝の日課。それが、この朝のハンドリング練習だった。






 ――ハンドリングとは、バスケットの基本であるボールのスムーズな扱い方を習得するための練習だ。具体的には、ボールを両手で弾いたり、一本指、二本指などでドリブルをしてみたり、自分のお腹の周りで手に持ったボールを素早く右手から左手へと回すようにしてボールに慣れる練習などが挙げられる。

 バスケを始めたばかりの選手達が必ず通らねばならない基礎的な練習なのである。




 航は、白詰との練習を始めてやり出したあの中学の頃から今までずっとこの練習を欠かした事が無かった。だから、彼のハンドリングスキルは今や全国レベル。東京都で敵う相手は、まずいないとされていた。




「……よしっ。次は、両手でドリブルをする練習だな」








 ――彼のこの練習は、今や毎晩一緒に練習をするようになった白詰にさえ伝えていない。それは、彼に勝って欲しいという航なりの優しさと、いや勝ちたい。という勝利への執念。そして、試合当日に自分も相手もお互いに最高のプレイができるようにという願いから航は、練習仲間である白詰にさえ伝えなかったのだ。







 その日も、1人だけの時間で終わるはずだった。――しかし、そんな彼の元によく知る1人の人間が現れた。



 その男は、メガネをかけており、大きな身長を持っていて、そして何よりバスケットボールを弾ませていた。






「……ん?」



 航は、その男の姿を見て気づいた。


「……霞草」




「……あぁ、久しぶりだな」


 霞草は、ボールを弾ませるのをやめて、航の元まで歩いた。――航は、そんな霞草の姿を一瞬だけ見た後にすぐ視線を正面に移して、それから2人の会話が始まった。……まずは、航が尋ねた。




「……バスケ。またやるのか?」




「あぁ。……しばらく勉強ばかりしていて、体が訛ってそうでな。今日は早速久しぶりにリバウンドの練習でもしようと思って……」





「なるほど。……しかし、悪いな。俺はこの時間、ゴールは使わない。だが、お前のリバウンドの練習に付き合ったりは出来ないんだ。……スクリーンアウトの相手を探しているのなら他を当たってくれ」




「……いや、別にお前に頼もうと思ってここまで来たわけじゃない。ただ、今のうちに相手の事は知れる限り見ておこうと思ってな」




「……ふーん。なるほどね」



 霞草が、メガネを上にクイっと上げて話を続けた。


「……インターハイ初戦。俺達光星は、正直圧倒的に不利だろう。――大会主催者も俺達の事を扇野原お前らのパフォーマンス用のセットとしか見ていないと思う。それくらい、今の俺達とお前達との間には実力の差がある」




「……うん」




「……だから、今のうちにこの高校三年間の間にお前がどれだけ成長したのかを見ておこうと思ってな」




 航は、霞草の言葉を聞いてニッコリ笑う。――そして言った。



「……流石だね。バスケから距離を置いていたとはいえ、その参謀っぷりは健在みたいだね」



 霞草は、再びメガネをクイっと持ち上げて言った。


「……当たり前だ。僕は、このチームの頭脳ブレインであり、リバウンダー。そして、全体のサポートをする人間だ。昔からこの役割は変わっちゃいない。…………天河が指揮し、白詰と紅崎が点を取り、僕が彼らのサポートをする。そして、その間に狩生がフィールドを整える。それが俺達のやり方だ」




 それだけ言うと、霞草は再びボールを弾ませて航の傍から離れて行った。











 ――そして、霞草の姿がバスケットゴールの近くまで来たタイミングで航は言った。





「……確かにそうだね。君らのチームバランスは昔からそうだった。……けど、試合当日までに全員を揃えられるのかな? 特に……狩生と紅崎は、もしかしたら不可能かもね」







 霞草は、彼の言葉を聞くと黙って、ボールを高く投げた。――そして、走り出す。




 ゴールの近くまでやって来ると、彼はジャンプして、宙に浮いたままだったバスケットボールをキャッチする。――そして言った。


「……確かにそこは、大きな不安材料だ。…………しかしな」






 霞草は、そのまま落下していく反動を使って、思いっきり右手に持つバスケットボールをそのゴールの中へねじ込んだ……!






 ――ガコンンッ!!



 という音が鳴り響き、それと共に霞草は下を向いたまま言った。







「……それでも今度の試合は、ただじゃ負けん。絶対に全力を持って戦おう」










 航は、そんな彼の言葉とアリウープした姿を一切見る事なくドリブルをしながら口を開く。



「……あぁ、待ってるよ。光星学園の皆……」












 それから、2人は同じコートで別々の練習をするようになった……。

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