第8話 好意、すれ違い④


 ばたん、と下宿の扉がいささか乱暴に閉まった。寝台の上に腰かけていたトキが「ちょっと、古いんだから気をつけてよ」と文句を言ってくるが、リーニュは聞いていない。

「あ、もしかして試験の結果? この前二回目の試験が終わったんだよね」

 封筒を開けるそばからテクが覗き込んでくるのを普段なら蹴飛ばすなり押しのけるなりするのだが、リーニュはすばやくその中身に目を走らせた。

「結果は城門前に張り出されるって言ってたじゃない」

 手紙はタリからだった。内容は簡潔で、必要なことしか書いていない。ただ冒頭に、カリャサが起きたことが書いてあったので取り急ぎ部屋に飛び込んだのである。―― が、書いてあるのはカリャサが起きたことと、カリャサふくめ里の者が元気であること、それからテクとトキへ、喧嘩して人様に迷惑をかけないようにとの注意が書かれているのみだった。なんだか手紙というよりはなにか報告書とか、そういったもののようだった。

 何度読み直しても、カリャサの性別に関することは記載されていない。

 今すぐ破り捨てたい衝動に駆られながら、自身の母親とはこういう女だったと思い返して、一緒に送られてきた小包みと一緒にテクに押しつけた。

「お母さんから」

「え? お袋?」

 テクが訝しげな顔で受け取る正面からトキが、「母さん、なんだって?」と体を乗り出してくる。

 リーニュがそれを尻目に部屋を出ようとすると、すかさずテクが「どっか行くの?」と声をかけてきた。

「散歩」

 本当は試験の結果を見に行くのだが、正直に言うと帰ってきた時にしつこくどうだったと聞いてきそうなので黙っておく。合格したら伝えればいいかと思いつつ下宿を出て歩いていると、同じように歩いてきたナナヤと遭遇する。

「母さんから手紙来た」

「なんて?」

「カリャサがやっと起きたってことしか書いてなかった」

 リーニュの不満そうな様子が伝わったのか、ナナヤはくつくつと笑った。

「どっちか教えてやろうか」

「…… 知ってんの?」

「知りたい?」

 ナナヤがにやにやとリーニュを面白がるように見ているのがむかついて、リーニュは「いい」と断った。

 城門に近づくと、黒山の人だかりができていてそれらをかきわけてもっと前に行かないと見えなかった。リーニュやナナヤのような羽化したばかりの受験者は全体の二割か三割ほどで、あとは羽化して何年か経っていそうな者ばかりだった。リーニュたちと同い年くらいの受験者がときおりぴょんぴょんと跳ねて結果を見ようとしているのが見える。

 リーニュはナナヤと一緒に人をかきわけて前に出た。

 しばらく二人で自分よりも大きな人らにもまれながら結果を眺めて、ナナヤが「お前、何番?」と聞いてきた。リーニュは静かに自分の番号を伝えて「受かってる」と答えた。

 次は実技試験だ。

「…………」

 あとふたつ、試験を通過して竜騎士になれば天覧試合に出られる。竜に乗ることができる。

 竜に乗って。

 そして。

 突風が吹いた。

 リーニュの体がなぶられ、髪が荒らされる。リーニュの髪は、蛹化に入る前に多少伸びても構わないようタリに軽く切り揃えられたまま、伸ばしっぱなしになっている。

 乱れた髪をかきあげながら歩くリーニュを道行く人々が振り返って見た。そして連れと言葉を交わしたり、頬を染めたりする。

「お前髪伸ばすの?」

 そんな様子を横で眺めていたナナヤがたずねると、リーニュは「え?」と首をかしげた。

「カリャサ次第?」

「なんでカリャサが関係してくんの」

「だってお前、カリャサのこと好きじゃん」

 リーニュは少し黙って、わけもなく空を仰いだ。上空には憎らしいほど青く澄んだ空が広がっている。

「カリャサを好きなのはナナヤじゃん」

「ガキ」

 いつもカリャサの後をついてまわっていたのを指摘して言い返すと、小馬鹿にしたような口調で揶揄されたのでこぶしで軽く肩を突いた。すぐさま同じくらいの力加減でこぶしが返ってくる。本当になんでわざわざ女を選んだのか謎だ。

「なんで僕がカリャサを好きだと髪伸ばすのさ」

「そういうもんだろ」

 わかんないのかよ、とナナヤが呆れたように言ってくるがリーニュだってその意味くらいは理解できる。

 …… まさか、ナナヤは本当にカリャサのことが……?

「好きな人に、長い髪が好きとか言われたの?」

「は? なんだそれ、別に言われてねーし」

 リーニュの指摘に今度は頬を赤く染めて答えたナナヤに、リーニュは内心驚きを隠せない。喫茶店で働いている件とは違って、ピュイやロイセに言いふらそうという気にはなれないでいるリーニュをよそに、ナナヤは赤くなって照れた顔を誤魔化すように言葉を積み重ねる。

「好きとかそういうあれじゃなくて別に、こないだたまたま久しぶりに会って、そんでガキの頃と雰囲気変わってるからちょっとびっくりしたっていうか」

 久しぶりに会った、ということはカリャサじゃない。

 じゃあ誰だ?

 ナナヤが恥ずかしさを誤魔化しつつ話しながら伸びてきた髪をいじるのを見て、リーニュはナナヤが最近会った共通の知り合いを思い出す。

『ロイセね、ナナヤのこと好きみたい』

 ふと先日ピュイが言っていたのを思い出した。そういえば、ナナヤが髪を伸ばしはじめたのもそのくらいだった気がする。

「…… 里にいた時から好きだったの?」

「いや、す、好きっていうか、反応が面白くてちょっかい出してただけで、そんな意識してたわけじゃないけど、久しぶり会ったらなんか…… もう、いいだろ、俺の話は」

 間違いない。

 リーニュは確信する。相手はロイセだ。

 里にいた時はロイセは事あるごとにナナヤと言い合いになっていたし、間違いないだろう。なにがどうなってそうなったのか、まったく理解できないが。

 となると、心配なのはピュイとロイセだ。ピュイの言うこともわかるけれど、そのためにあれだけ仲の良かった二人が疎遠になってしまうだなんて納得いかない。だって悪いのはピュイをいじめたナナヤであって、ロイセでもピュイでもないのだから。

 ―― ナナヤがピュイを、いじめさえしなければ、みんなうまくいったんだろうか。

 リーニュはふと、自身の左手を見つめた。


『ほら』

 同じ大きさの手が目の前に差し出される。

『リーニュはすぐ迷子になるんだから』


 あの手が差し出されることは、もう二度とない。


『だめだ、許さない』


 きつく握られた手と、不安そうに揺れるカリャサの翡翠の瞳。

「…………」

「おい、リーニュ、大丈夫か?」

 ふいに顔をのぞきこんできたナナヤに、リーニュははっと我に返る。

「受かってほっとしたのはわかるけど、ぼけっとしてて馬車にひかれでもしたら全部パーだぞ」

「…… うん、わかってる」

 なかばぼんやりしたまま返せば、ナナヤは「本当に平気か?」と心配そうに眉をひそめる。

「ちゃんと帰れるか? 俺下宿まで送ってってやろうか?」

 基本的には仲間意識が強くて、仲間に対しては良い奴ではあるのだ。弱い者いじめさえしなければ。大丈夫、と言ってリーニュはナナヤと別れた。

(原因はわかってる)

 でも、どうすればああならずに済んだのか、リーニュにはさっぱりわからないのだった。

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竜の背中に乗せるモノ 水越ユタカ @nokonoko033

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