第5話 好意、すれ違い①


 竜は本来、気性が荒い。乗る側にも竜にも、特殊な装具をつけてようやく安全に乗ることができる。ミヴは竜の背中にまたがり、周囲を注意深く見回しながら装備した帯革を落ち着かない様子で触れた。羽化して数か月経った体は、もうまったく痛みがない。

 びゅうびゅうと激しい風が体を斬りつけるのを感じながら、渓谷を目指すそのまなざしが、ふと揺らいだ。

『――………… タリ?』

 その時ふいに、ミヴの乗っている竜が暴れ出した。

『…… ミヴ! 手綱!』

 タリがはっとしたように叫ぶ。

 竜が頭をめちゃくちゃに振って、制御がきかなくなる。

 ぶつかる。

 タリは避けない。



 ミヴは肩にかついだ包みを下ろし、道中の低い石垣に座り込んだ。都の方の空に視線を送ってみるが、ここからは遠すぎて竜の姿はほとんど見えない。

 竜の寿命は短い。ミヴが若い頃に天覧試合で乗った竜はもういないだろう。

「―― ミヴ? どうしたの、そんなところで」

 ミヴが歩いてきた方角と反対側からやってきたタリが、少し離れた場所から言った。彼女は幼馴染のそばまで歩いてくると、ミヴがたった今下ろした荷物に目をやった。

「さっきそこでガラヤがくれた」

 尋ねられる前にミヴは説明をする。

「…… カリャサがね。今朝方目を覚まして、イグニも問題ないって言うからちょっと用事済ませに出たらガラヤに会って、カリャサが無事羽化できたのを報告したらくれた」

 タリはそう、とひとつ表情を変えずに頷くと、「よかったわね」と口にした。

「リーニュにも知らせないと」

「ガラヤはすぐにでも息子に鳥文を飛ばすって言ってたけどね」

「じゃあ、いいか」

 タリは時々、こういうふうに大雑把というか、周りのことになると急に無頓着になることがある。彼女の中では理屈が通っているのかもしれないが、羽化した瞬間に突然里を出たのも、竜にまたがった状態で再会したのも、ミヴにはわけがわからなかった。

 ミヴはため息をつくと、立ち上がって包みに手を伸ばした。

「手伝おうか」

「…… 助かるよ」

 タリが軽々と包みを持つと、裾から昔負った傷跡が見える。彼女はそのまま、危なげなく歩き出す。

「ガラヤがくれたってことは、芋?」

「そう」

 ミヴは足を引きずりながら頷いた。

「喜んでくれるのはいいけど、そのあとのことを考えてくれないんだよ、あいつはいつも」

 こっちは足が不自由なのだからと何度説明しても次の時にはすっぽり頭から抜けてしまっているらしく、あまりミヴの足のことに対して気を遣われた記憶がない。基本的に仲間意識が強く良い奴ではあるのだが、いかんせんそういうところがあって、子どもの時には気にならなかったことだが、成人して、足を負傷してからは特に気になるようになってしまった。

「でも、良い奴だよ」

 ミヴの内心を知ってか知らずかタリがそう言って、ミヴは「だから嫌なんだ」と返した。



 筆記試験が迫っている。

 リーニュが今読んでいるのは、ずっと前に母タリが使っていたという本だ。基本的な竜の生態に関する知識は、里の者たちに叩き込んでもらったし、幼い頃から竜の成長を見ながら過ごしてきた身としてはほかの受験者よりはかなり有利なはずだ。実技試験も、簡単に言えば体力を計るためのものなので幼い頃から野山を駆けまわったり農作業の手伝いをしていたリーニュは心配ないとタリは言っていた。

 騎士の登用試験自体の倍率は高く、竜騎士ともなればもっとだ。

「ナナヤ」

 仕事の斡旋所に入ると、ちょうどナナヤが窓口で手続きをしているところだった。ナナヤもリーニュと同じ、騎士の登用試験を受ける予定だ。

「仕事見つかった?」

「まあ一応。短期だけど」

 リーニュはというと、日雇いの仕事をぽつりぽつりとこなしながら勉強をしていた。居候させてもらっているので宿代がかかっていないのが幸いしている。

 それぞれが用事を済ませた後、ナナヤに少しだけ付き合ってほしいと頼まれて日用品店に入った。とりあえず里の者の紹介で知り合いの家に一時的に住まわせてもらっているが、なにかと要り用らしかった。

「なんの仕事してんの」

「広場前の喫茶店の給仕。下宿先の伝手で」

「………… へえ」

 喫茶店で客に愛想を振りまくナナヤを想像した。ピュイに会ったら教えてやろう、と思っていると横でナナヤが眉をひそめる。

「なんだよ。言いたいことがあるなら言えよ」

「いや、いいよ、言ったら多分笑っちゃうから」

「ぶっとばすぞお前」

 リーニュを小突こうと動かしたナナヤの腕が、そばの棚にあたって積んであった品物が崩れそうになる。

「―― おっと」

 ナナヤの頭の上にさっと伸びてきた手が、すんでのところで崩落を防いだ。

「大丈夫?」

 自身に落ちてくるのを見越して閉じた目を開けると、ナナヤはその手の主―― ピュイの顔を呆けたような顔で見つめていた。彼女の様子に首を傾げつつ、リーニュは同郷の友人に声をかける。

「ピュイ、もしかして背少し伸びた?」

 この前一緒に馬車に乗ったときは座っていたからわからなかったが、今立っているのを見ると、同年代の中では大きい方だったナナヤとさして変わらないくらいになっている。

「うん。まあ羽化したから多少はね。でもいまだに夜とか膝が痛くて――」

「―― っこ」

 ふいにナナヤは不自然な音を発して、ピュイとリーニュはそろって間に立つ彼女を見た。

「これ買ってくる」

 近くにあった品物をつかんで会計を済ませに行ったナナヤを横目に、リーニュは先ほどの話に戻した。

「それ、まだ伸びるよきっと」

「そうかな」

「ナナヤを見下ろせるくらいになるよ」

 冗談で言うとピュイは、「だといいけど」と言って笑った。




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