第4話 羽化、旅立ち④
都に近づくと、馬車の車輪が不揃いの地面を打つ不規則な音が、整備された石畳を打つ規則的な音に変わった。ふいに大きな石などの障害物をはじいたせいで荷台が揺れることもなくなり、数日間馬車に揺られていることに対して多かれ少なかれ疲れを感じていた三人は安心したように息を吐いた。
「…… でけえ」
石でできた城はなんの飾り気もない。淡々と積み上げられた冷たい石がずっしりとそこに存在しているだけである。てっぺんからは、先ほど見かけた竜の一団が降り立ったり、また飛び立ったりするのが見える。
都の入り口で荷馬車から下りて運転手にそれぞれ礼を言うと、リーニュたちはそこで別れた。
リーニュは紙に書かれた住所を頼りに、兄たちの住む下宿に向かった。人に聞きながら到着した下宿は、大通りから少し外れたところにあった。
(ここだ)
入り口に書かれていた下宿の名前に頷くとリーニュは中へ入った。入り口にはだれもおらず、住人らしき姿もない。部屋番号はいくつだったかと紙を再び確認しようとしたリーニュの耳に、なにか言い争うような声が聞こえてくる。
「なんでいっつも俺の邪魔ばっかするんだよ!」
聞いたことのある声に、リーニュは嫌な予感が止まらない。一応様子だけでも確認しようと声のする方へ行ってみる。
「邪魔なんかしてない!」
「してるだろ!」
すると案の定、リーニュの三つ上の双子の兄たちが、下宿の食卓らしきテーブルの上でもみ合っていた。住人らしき人だかりの陰からこっそりと見ながらリーニュは眉をひそめた。
まったく同じ二つの顔は、体格もそう変わらないせいで、もみ合うほどに無関係の他人からは区別がつかなくなっていく。
「トキのせいで俺全然女の子と仲良くなれないじゃんか!」
今、上になってもう片方の胸ぐらをつかんでいるのが、双子の兄の方。名前はテク。男性を選択している。
「悪いのはテクと私を見分けられない向こうの方でしょ。私はその程度の奴にテクが騙されないよう選別してあげてるだけ」
兄のテクを見上げて淡々と返しつつ、同じように服をつかんで離さないのが、弟のトキ。女性を選択している―― にもかかわらず、兄とそう変わらない服装、凹凸の目立たない体に高い背丈、女性としては短すぎる髪のせいで一目ではそうそう女性だとはわからない。
二人はもみ合いながら、まったく同じ顔を殴ったり、引っ掻いたり、蹴飛ばしたりしながら周囲を荒らしている。里にいた頃から変わりない光景だが、やや過激になったようにも思える。周りの迷惑も考えてほしいものだ。
リーニュは辺りを見回して、目的の物を発見すると人混みの隙間にしゃがみ込んだ。そして、だれかとだれかの足の間に手を伸ばして、床に落ちていた鍵を手に取る。鍵には部屋番号が書かれた布切れが結び付けられている。紙に書かれた部屋番号と照らし合わせて確認すると、リーニュは頷いて踵を返した。
階段を上って角にある二人部屋がテクとトキの部屋だ。リーニュは鍵を開けて、中に荷物を置いた。
部屋は寝台が二つと小さなテーブルがひとつあるだけで、かなり質素だ。
(…… 疲れた)
リーニュは片方の寝台に腰を下ろし、これからやるべきことを考えた。
まず、絶対に忘れてはならないのが、騎士の登用試験。これに受かって、さらに優秀な成績を修めないと竜騎手にはなれない。
次に宿探し。ずっとこの狭い下宿に置いてもらうわけにもいかないし、寝台も足りないのでできれば安くて良い宿があれば至急引っ越したいところだ。
そのためには、仕事探し。試験は筆記試験が二段階、そのあとに実技試験、最後に問答を交えた面接試験があって、期間にするとまあまあ長い。その間の生活費も稼がなきゃならない。タリに少しばかりの小遣いはもらったが、それだけでは到底足りない。
そんなことを考えながらリーニュはあくびをした。
―― とりあえず、今一番必要なのは睡眠だ。眠いとなにもできない。どちらの寝台か知らないが、借りて寝よう。もしかしたら明日の朝まで起きられないかもしれないが、トキは空いている方の寝台で寝るだろうから心配ないだろう。テクは………… 床で寝かせておけばいいか。
そう考えてリーニュは、片方の寝台で眠りについた。
『女を選びなよ、リーニュ』
カリャサがいつだったか自分に言った。なんの話の流れだったか、リーニュの手首をつかんで。
『そしたら、俺がずっとこの里で守ってってあげる。リーニュはなにも心配しなくていいんだよ』
子どもの、白く細い指が同じように細く頼りないリーニュの腕へとからむ。
カリャサの目はいつになく真剣で、リーニュはなにも言えなくなってしまった。
なんだか横があつい。狭いし寝苦しい。眠りにつく前には感じなかった温度にリーニュが身動ぎすると、すぐそばに兄の顔がある。リーニュは問答無用で蹴飛ばした。
「ああ、びっくりした」
床に落下したテクがうめくのを尻目に、リーニュは寝台から立ち上がった。するとちょうど、トキが部屋に入ってくる。
「あ、リーニュ。起きたの」
トキはどこかで水浴びでもしてきたのか、濡れた髪から雫が垂れている。
「昨日部屋に戻ったら寝てるんだもん。びっくりしちゃった。…… テク、なんで床で寝てんの?」
眉をひそめる双子の弟の問いには答えず、テクはため息とともに起き上がる。
「…… トキはよく寝られたみたいだね」
双子の兄の言葉に、トキは「はあ?」と眉間の皺を濃くした。
「寝られるわけないじゃん、誰かさんに逆恨みされて殴り合ってさんざん怒られたあとなのに」
「片付け全部俺に押しつけたくせによく言うよ」
「そもそもテクが悪いんでしょ」
また始まった。いちいち相手もしていられないので外に出て朝食を探すことにする。
「リーニュ、ご飯食べに行くの?」
「えっ俺も行く」
部屋から出ようとしたリーニュの後ろから兄たちがついてきて、鬱陶しいのが顔に出そうになるが、朝食を奢ってもらえるかもと思い至って迷惑そうな顔は引っ込める。
朝は都のあちこちに色んな店が出ている。
「好きなの好きなだけ買っていいからね」
「そんなにはいらない」
どこか嬉しそうにリーニュの隣で言うテクに答えつつ、大通りに出ている露店をひとつずつ見ていく。
「私にはパンひとつ買ってくれたことないのに」
「リーニュ、向こうにおいしいパンの店があるんだよ」
トキの恨み言を無視して、テクは熱心にリーニュに話しかけてくるがリーニュはほとんど聞いていない。
このあと仕事も探したいので適当なパンを買ってきてもらうことにする。
「おう、テク」
パンを買いに行ったテクを待っている最中、知らない男がトキに話しかけてきた。別の店で買った飲み物に今まさに口をつけようとしていたトキは、少しだけうんざりしたような顔をする。しかし、男はそれに気付かずに、
「昨日は助かったよ、ありがとうな。テクさえよければ、また来てくれよ」
とだけ早口で言って、急いでいるのかトキが何か言う間もなくさっさと行ってしまった。
男が去った後、トキはしかめ面のまま無言で飲み物を飲んでいたので、リーニュもなにも言わずにテクを待った。
「また間違えられた」
テクが戻ってくると開口一番にトキがそう言って、テクはまたかとトキと同じような渋い顔をした。
「間違えられるような格好しなきゃいいだろ。ただでさえそっくりなのに、トキがそうやって男みたいな格好してるからみんなが間違えるんだ。俺もみんなも、おまえの被害者だよ」
「私がどんな格好してようが私の自由でしょ?」
「他人に迷惑かけんなつってんの」
まただ。
リーニュはテクの手からパンをひとつもぎとって、その場から離れようとした。
「お前がそんなだから、リーニュがこんな男だか女だかわからない格好してるんじゃないの?」
面倒だから相手はせず自分のやるべきことをやろうと思った瞬間火が飛んできてリーニュは顔をしかめる。
「今は羽化したばっかりだからいいかもしれないけど、これからはそうもいかないんだから――」
巻き込まれたことに抗議しようとした瞬間、テクの顔がびしょ濡れになる。
「他人に自分の価値観押し付けんなつってんの!」
トキの方を見れば、カップの中身が空になっている。
付き合ってられない。
リーニュは今度こそ兄たちに背を向けた。
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