第2話 羽化、旅立ち②
ユールリルとエイリードの家はリーニュの家から少し歩いた、里のはずれにある。里の端っこの、長にもらった小さな家だ。前に住んでいたのは身寄りのないぼけた老爺で、彼の介護をしてくれるならとこの里に住むことを許されていたが、その老爺はもういない。今はふたりで畑やら内職をやって細々と暮らしている。
彼らの家の戸がふいに開いて、中から誰か出てきた。
「…… ロイセ?」
男性と呼ぶにはまだ少し幼さの残る体が、名前を呼ばれたことでぱっと振り返る。彼は「リーニュ」と驚いたように言うと
「いつ明けたの?」
と聞いてきた。
リーニュは「今朝方」と答えてロイセの体をまじまじと見た。顔の輪郭から始まって、手や腕は羽化する前よりも骨ばっているように見える。
「本借りたの返してたんだ、寝てる合間で読んでたから―― あ、ごめん。僕診療所に戻らないとなんだった」
じゃあね、と挨拶して、ロイセは父であるイグニの診療所に戻っていった。ロイセの後ろ姿をぼんやり見送っていると家の裏の畑から背の高い男性が出てきた。
「おー、リーニュ。どうした」
「林檎、持ってきた」
エイリードはいつも悪いな、と言ってリーニュを家に招き入れた。家自体は小さく立派ではないが、部屋の中はいつもすっきりと片付いていて手入れも行き届いていて、窓際に飾られた花はリーニュが来るたびに変わっている。
「ユールリルー」
エイリードがよく通る声で奥に向かって同居人を呼ぶが、返事がない。寝てんのかも、と言いつつリーニュを椅子へうながした。
「体はもういいのか?」
「うん。まだちょっと関節が痛いけど」
「あー、あれ地味に痛いよなあ」
台所で茶を淹れる背中は、リーニュ自身のそれよりも、母タリのそれよりもずっと広い。羽化は単に、今まで性別のなかった体に性を付属させるだけのもので、体はこれからも性別それぞれの「らしい形」へと変わっていく。
リーニュもその例外ではない。みんな、みんな。
(―― カリャサだって)
椅子の上で足をぶらつかせ考えていると、家の戸が開いた。
「おまえ、どこいたんだよ」
木製のカップをリーニュの前に置いてエイリードがたずねると、ユールリルは上着についた葉を払ってから中に入ってくる。
「珍しい虫がいてさ。捕まえようと思ったんだけど、逃げられちゃった」
エイリードがため息交じりに「子どもか……」と呟くが、ユールリルは気にしない様子でリーニュの隣の椅子に腰かけた。
「リーニュが来てるならなおさら捕まえられたらよかったな―― そういえば、河のそばでピュイに会ったよ。虫見せたらびっくりして河に尻餅ついてびしょびしょになっちゃってて可哀想だった」
「ピュイ、虫嫌いだから……」
ピュイは小柄で気弱な少年で、いつもびくびくとなにかに怯えているような子だった。そのせいでナナヤを筆頭とする子どもたちにいじめられているのをよく見かけた。冬には雪を投げられ、夏には河に突き飛ばされるというのが、リーニュの知るピュイの子ども時代だ。リーニュの言葉に、ユールリルは「そうなんだ」とどこか寂しそうに笑った。
「もっと早く知られたらよかったな。…… あの子、明日里を出るって言ってたけど、リーニュは?」
「あー、うん。僕も明日か明後日には」
答えると、ユールリルが「寂しいなあ」と口にしたので「年末には戻ってくるよ」と言っておく。
「どっか下宿すんの?」
ふとエイリードが聞いてきて、リーニュはううん、と首を振る。
「テクとトキ…… あ、兄貴たちが都に住んでるから、しばらく居候」
都で働いている二人の兄(同じ親を持つ者のうち、先に生まれた者。ここでも性別は問わないものとする)を指して言えば、エイリードはへえと口にした。
「二人一緒に住んでんの?」
「うん」
「仲良いんだね」
「うん。でもみんなが変だって言うから、トキは気にしてる」
「みんなって?」
ユールリルが聞いて、リーニュは一瞬口ごもる。
「…… カリャサのお母さんとか、ピュイのおばあちゃんとか。あとナナヤのお父さんも、ちょっと変わってるって言ってた」
今挙げた人々は、ユールリルとエイリードのことも同じように言っていた。そういう大人たちは自分の子どもを彼らに寄せ付けないようにしていたので、ユールリルがピュイの虫嫌いを知らないのも当然だった。
つい先日亡くなったピュイの祖母は特にその傾向が強かったように思う。
「男同士とか、女同士の兄弟なら一緒に住んでもいいけど、男と女の兄弟は変なんだって」
そのくせ男二人で暮らしているユールリルとエイリードのことは変だと言う。リーニュにはわけがわからない。
テーブルの上に突っ伏すと、残りが少なくなったカップに追加の茶が注がれる気配がした。その横でユールリルが口を開く。
「まあ、そういうことを言う人の考えを覆すのは俺たちには難しいね」
ユールリルの声はどこか諦めたようで、リーニュはなんだか悲しくなった。
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