『六分の一』――ミサイルと煙と消せない記憶

 扉を開けると、その先はまたしても真っ白な部屋。こう白い部屋ばかりではそろそろ目がおかしくなりそうだ。皴が寄った眉間を指でぐりぐりと押し潰しつつ、部屋の反対側の壁についているドアを見比べる。左手側には磨かれたように新しい扉、右手側には何十年も使われ続けたような古い扉。手の中のチップに視線を落とし、大和はまた問いかける。

「次の二択について聞きたい」

「あ、はい……。次はそっちのドアのどっちを選ぶか、なんですけど……えと、その、ドアの先にも進んでもらいます……。その、どっちのドアを選ぶかで先が違ってくるもので」

 チップの目玉が新しいドアの方を向く。金属製の扉が照明の光を浴びて光沢を帯びている。

「あっちの新しいドアはでかいビルに繋がってます……。その、えと、一階に出るので……そこから七十五階の最上階に登ってもらいます……。……あ、でも、エレベーターとか自販機とかは使えないですし、各部屋のドアはロックされてて……非常階段を地道にコツコツ無様に進んでいくしかない……です」

「……今若干口悪くなかったか?」

「き、ききききき気のせいじゃない……ですかね……」

 上ずった声を発するチップから目を逸らし、考える。七十五階まで徒歩で移動するのは当然、体力を消耗する。一旦考えるのをやめ、もう一つのドアに目を向ける。木製の扉の表面にはささくれができており、ところどころ汚れも目立っていた。

「……それで、古いドアは?」

「向こうのドアはレンガ造りの街に出る……んですけど、えらい空爆の被害に遭ってて、その空爆を搔い潜りながら10km進まなきゃいけない……です」

「10kmか……」

 アナザーアースで言うと、だいたい東狂とうきょう駅から下鬼多沢しもきたざわ駅までと同じくらいか。それなりに距離がある。そのうえ空爆があるとなると……攻略にかかる労力はどちらでもさほど変わらないかもしれない。


 考えた末、大和は指先でチップを軽く弾いた。それを掴み、目を合わせる。

「今からもう一度お前を弾く。目の面が出たら新しいドア、口の面が出たら古いドアだ」

「あ、はい……な、なるべく痛くしないようにお願いしますね……」

「善処する」

 言い放ち、再び指先でチップを弾く。それは高い音を立てて白い床に落ち、数度バウンドしてから静止した。露わになった面は――牙が並ぶ口。

「あ、はい、えっと、じゃあ古いドアってことで……」

「ああ。……危険な行軍になる。お前はここに隠れていろ」

「あっはい助かります」

 チップを拾い上げて軍服の胸ポケットに入れると、古びたドアに手をかける。押し開けると、それは軋んだ音を立てて道を開いた。


 ◇◇◇


 ……煙臭い空気が鼻をつく。顔をしかめつつ、大和はまず周囲の様子に注意深く視線を走らせる。レンガ造りの街並みはあちこちが崩れて焼け焦げ、煙が昇っている。その先を見上げると、曇天の下に古めかしいデザインの爆撃機が点々と浮かんでいた。円筒形の爆弾が次々と落とされ、遠くの街が焼けてゆく。……そしてそこかしこに転がる、もう誰かも識別できないほどに焼け焦げた遺体。

「……ッ!」

 否応なく脳裏にいつかの光景が広がった。炎に包まれた異国の街。武装したテロリストたちが人々に銃口を向け、派手な音を上げながら容赦なく発砲する。首魁と思われる男が腕を振ると繁華街にたちまち炎が広がった。自警団とテロリストの争う声、建物が焼け焦げる匂い、それに頭に銃口を突き付けられるプレッシャーと、すぐ傍で香る硝煙の香り。天賦ギフト発現に伴う両手の痛みと、初めて握った拳銃の冷たさすら鮮明に脳裏に浮かぶ。体温が急激に下がっていく。耳鳴りのように銃声と悲鳴が反響する。思い出したくなんかないのに、こびりついた焦げ目のように消えない記憶。思わず膝を突きかけたその時……胸ポケットの中でチップがかすかに動いた気がした。

「っ……!」

「……なんでもいいので、早く進めてくれませんか……!」

「あ、ああ……そう、だったな」

 震える膝を押してゆっくりと立ち上がる。一度深く息を吸い、脳を冒す記憶と一緒に吐き出す。今は考えるな。やるべきことに集中しろ。そう自身に言い聞かせ、眼鏡を直して顔を上げる。琥珀色の瞳に煙たい街の風景を映し――大和は勢いよく踏み込んだ。背中で結ばれた髪が勢いよくなびく。

「チップ、進行方向の指示を頼む」

「わっかりましたー……!」


 空爆を完全に避けきるのは不可能に近い。盾ごときで受けきれるような爆弾だとも思えない。進行方向に落ちていく爆弾を視認すると、大和は右手を軽く振って対戦車誘導ミサイルを召喚した。隣に浮かせたまま銃口を爆弾に向け、右手の指を鳴らして発砲する。ぶつかり合った火薬が上空で爆発を起こし、煙を撒き散らした。左手側に呼び出したガスマスクを素早く装着すると、煙を避けながら更に走る。

「っ!」

 煙の中に再び落とされた爆弾を視認し、思わず後ずさる。軍用ブーツのざらついた底が煉瓦造りの街道を滑る。即座に照準を合わせてミサイルで撃ち落とすと、額を押さえて一度深く息を吐いた。額に嫌な汗が浮かぶ。空気を吸い込みにくい状況で走ったからか、呼吸が浅くなっているのを自覚する。……頭が痛い。足を止めればすぐにあの記憶が思考回路を冒すのだ。耳元で悲鳴が反響し、あまりにも重かった引鉄の感触が隙あらば浮かんでくる。今となってはすっかり慣れてしまったが、あの日震える指で引いた引鉄は何よりも重く感じて――……

「……いや、今は」

 頭を振って記憶を振り払い、再び走り出す。降ってくる爆弾をミサイルで必死に撃ち落とすことに集中しながら必死に足を動かす。……思い出すな。足を止めるな。今はやるべきことに集中しろ。そうしなければ果たすべきことも果たせない。

(俺のすべきことだけを考えろ。感傷に浸っている暇があるなら走れ!)

 死に物狂いで自身に言い聞かせながら、煉瓦が敷き詰められた道を駆け抜けてゆく。

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