『入口』――二択とコインと彼の望み

 挑戦者として先に進むか。その問いには迷わずYESを選ぶ。たとえ余興だとしても大神タルトの期待には応えなければならない。副官としての義務だ。

 そうして最初に通されたのは目が潰れそうなほどの純白の部屋。モデルルームか一種の現代アートを思わせる無機質さをもつ部屋には、両側についた二つの扉と中央のテーブル以外には何もない。そんな部屋を一通り見回し、大和はまず片手を下ろしたまま軽く指先を動かした。

(……天賦ギフトが正常に使えるかどうか。それが問題だ)

 大きな武器を召喚して感づかれたらまずい。そっと手を開き、手のひらの内側に力を集中させる感覚。一瞬で召喚されたのはデリンジャー……手のひらの中に隠せるサイズの拳銃だ。その感触を確かめるように強く掴み、即座に消失させる。天賦ギフトの行使は問題なく行えるようだ。眼鏡の位置を直し、正面に鎮座するテーブルに歩み寄る。


 真っ白なテーブルの上には金色のコインが鎮座していた。表面にはぎょろりと見開かれた目玉が描かれ、大和をじっと見返している。随分と禍々しい意匠だ、と軽く肩をすくめる。何気なくそれに手を伸ばすと、唐突にコインが喋った。

「クックック……! そうか、そなたが新たなる犠牲者か……歓迎しよう! ここは我ら悪魔の残虐無比にして凄惨醜悪を極める地獄の宴の地……。矮小なる人間よ、せいぜい死なないように頑張ることだな……!」

「……っ!?」

 即座に手を引っ込め、険しい視線でそれを注視する……が、それ以降は特に何かが起きる様子はない。禍々しいオーラも特に出ない。ただの喋るコイン……だろうか。たっぷり一分ほど待ってから恐る恐るコインを手に取り、裏返すと、そこに描かれた口が動いた。

「……あのー、何か言ってもらえます?」

「……何か?」

「いや、その、折角悪魔っぽく振る舞ってみたのにシカトされるとちょっと傷つくんで……」

「…………それはなんか、すみません」

 コインの表を見ると、描かれた目玉がしゅんと伏せられていた。ほの温かいそれの体温がわずかに下がった気さえする。軽く肩をすくめ、大和は肩をすくめて口を開いた。

「……まずは自己紹介を。殺人斡旋組織パートシュクレの首領補佐をしている、武富大和といいます」

「あ、自己紹介あざす……。えっと、私はチップという者で……この迷宮の案内役として派遣されました。短い間ですがよろしく……」

 自己紹介を返しながらも、コインに描かれた目がきょどきょどと動く。どうやら人と話すのがあまり得意ではないらしい。組織にいる爆弾魔の少年を思い出しつつ、ひとつ頷く。

「はい、よろしくお願いします」

「あ、その、わざわざ敬語使わなくても構わないんで楽にしてください……。あと、この迷宮のルール説明を……しますね……」

 変わらず挙動不審なチップを見つめつつ、その言葉に耳を傾ける。


「この迷宮は、その、常に二つの選択肢のどちらかを選んで先に進む必要があります。第三の選択肢とかそういうのは基本的にナシでおねしゃす……。そ、それで、その先に待ち受けるデーモンを打ち倒すことで、えっと、どんな願いでも叶えることができます……」

「……念のため聞いておく。その願いが叶うまでの期間はどのくらいだ?」

「えっと、それはお約束できない……かな……。できる限り迅速に叶えようとはしてみます、けど……願いの規模によっては数世紀後になっちゃうと思います……。まぁ、『明日の晩ごはんはカツ丼がいい』とかならすぐ叶えられますけど……」

「夕食を決めるために悪魔に頼る人などいないだろう」

「うぅ、それはそうですけど……物の例えなのにマジレスやめて……」

 何か言いたげに目を伏せるチップ。こちらも言いたげなことはあれど、一旦スルーして大和は目を伏せる。……期限を約束できないなら、最初に想定していた望みは不適当だろう。それは。大神タルトは今までにデストリエルの力を行使しすぎて、19歳にして残り3年ほどしか生きられない宿命を抱えている。今ここで延命を願えばMDCの手に渡った延命の天賦ギフトも不要になるし、それを巡ってあの会社にいると戦う必要もなくなると思っていた。……この迷宮の条件では、急を要する願いを叶えるには不安がある。

『……まぁとにかく、願いはここで宣言してもらいますんで……その、できるだけ早く決めてもらえると助かります……』

 チップの声にひとつ頷く。……今叶えるべき願いは何だ。脳裏に浮かんだ『贖罪』の二文字を声に出しかけた瞬間、少女の声が脳裏に反響した。


『贖罪、にゃあ……』

 はっと目を見開く。ほんの数日前、パートシュクレ内部に潜入していたMDC所属の少女の姿が脳裏に鮮明に浮かび上がる。ボブカットの茶髪の上で黒い猫耳のカチューシャが揺れて、桃色の瞳が不満そうに大和を見上げている。

『君の経歴はだいたい調べたから知ってるにゃん。けど、君が今してるのは本当に贖罪って言えるのにゃ? 人を殺したことを罪と定義するなら……神官くんの言いなりになって、贖罪っていう看板のもとに人を殺し続けて、それで君の罪は本当にすすがれるにゃん?』

 茶髪の毛先を指先でいじりながら、彼女は眉を寄せて問いかける。長いまつ毛に縁どられた大きな瞳が上目遣いに大和を見つめる。あまりにも真っ直ぐな光を湛えた目が眩しすぎて、思わず目を強く瞑った。刹那、彼女の姿はぶれて消えて、別の姿を幻視する。新緑の瞳を妖しげに瞬かせ、大神タルトが舞台俳優のようにわざとらしく肩をすくめた。

『嫌だなぁ、よからぬこと考えちゃ』

 そうだ、そうだ。人を殺し、罪の意識に苦しむ彼の前に大神タルトが現れた。救われる方法があると甘い言葉を吐いて、無邪気な子供のように微笑んで、手を差し伸べたんだった。

デストリエル様に生贄をサクリフィ・ア・デストリエル。あのお方のために死者を捧げ続ければお前の罪は赦される。それは紛れもない事実だ。……もしそれが嘘だったとしても、君の手はもうこんなに血に塗れているね。おとなしくオレの副官のままでいた方が身のためじゃないか?』

 口の中に苦味が満ちる。大神タルトに救われたのもまた事実だ。あの時彼に手を差し伸べられなければ今頃自分はどうなっていただろうか。たとえ歩んではいけない道に引きずり込まれたとしても、あの日の大和にとってそれは確かに救いだった。いつの間にか強く握りしめられた手の中で、ふとチップが軋んだ音を立てた。

「あのー……感傷に浸ってるところ申し訳ないですけど、なんでもいいので早く決めてください……」

「……っ! あ、ああ……今決める」

 おずおずとした声が耳を打ち、ようやく我に返る。深く息を吸い、吐き、そして手の中のチップと目を合わせた。


「俺の望みは……真実を知ることだ。かの天使に従うことで本当に救われるのか否か、それを知りたい」

 コインに描かれた目をじっと見つめ、宣言する。……欲しいのは確信だ。デストリエルに従うことが本当に贖罪になるという確信が欲しい。もしタルトが嘘をついていたとしたら……そう考えようとして頭を振る。そんなこと、今考えても始まらない。険しい視線でチップを見据えると、そこに描かれた瞳が驚いたように瞬きをした。

「……また随分とキッカイな願いですねぇ。本当にそれでいいんすか?」

「ああ。他に適切な願いが思い浮かばない」

「あんだけ悩んでましたし、別の願いでもこっちは構わないですよ?」

「悩んだ末に出した結論だ。後悔はない」

「本当に後悔しないんですかね? さっき、なーんか悔やんでそうな顔してましたよ……」

「……っ、ないと言っているだろう」

 コインの瞳が見透かすように開かれ、思わず言葉を詰まらせる。それでも無理やり言葉を放つと、チップの瞳は馬鹿にするように細められた。その体温がじわりと上がる。

「……ま、いいですけど。最後の確認ですよ。本当にその望み――『真実を知りたい』って望みでいいですか? ファイナルアンサー?」

「……ああ。ファイナルアンサーだ」

「りょ、了解。……んじゃ、早速二択に行きましょうか」


 チップに描かれた瞳がぎょろりと左右に動く。見ると、両側の壁にそれぞれ扉が見えた。右側には極彩色の宝石で彩られた扉。左側には鈍く輝く鋼鉄の扉。

『あの扉のどっちかを選んで進んでもらいまーす……どっちでもいいんでさっさと選んでもらえると助かります……』

「……少しだけ待ってくれ」

 コインを握っている方とは別の手を掲げ、小さな機械を召喚する。それをまず鋼鉄の扉に向けると、それは甲高い電子音を響かせた。

「……なんですかそれ」

「狙撃や電子攻撃などを検知する機械だ。何か仕掛けがないか先に確認しておきたい」

 チップの問いには簡潔に応じ、今度は宝石の扉に向ける。機械が反応を示さないのを確認し、それを軽く放り投げて消滅させた。

「……決めました?」

「ああ。『鋼鉄』の方に行く」

「……その機械、反応あったんでしょ? じゃあなんで……」

「反応があったからこそだ。俺が概要を知っている武器なら対応も容易いが、反応がないもの……天賦ギフトやそれに類する能力は何が出るか予想がつかないからな。特に洗脳系能力を不意打ちで使われたら堪ったものじゃない」

「さいですか……ま、私は先に進めるならなんでもいいんで。そんじゃ、行きますか」

 チップに促され、大和は鋼鉄の扉に歩み寄る。鈍く輝くドアノブに手をかけ、警戒しながらもゆっくりと扉を引いた。

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