本編
プロローグ
板チョコに似た色合いの扉を三回ノックすると、中から聞き慣れた声がした。入室を促す声を受けて一人の青年が扉を押し開けた。背中で結わえられた水色の髪がなびく。重厚感のある軍服姿が、お菓子の家を思わせる内装の部屋に足を踏み入れる。
「……失礼する」
「やだなぁ、大和。そんなに畏まらなくてもいいっていつも言ってるだろ? きひひっ」
独特の笑い声を上げ、執務机に向かっていた人影が椅子ごと振り返った。ハニーブラウンの髪の下から新緑の瞳が無邪気に瞬き、左目の下で閉じた瞼の刺青が目を焼く。童顔気味の青年は軽く立ち上がり、大和と呼ばれた軍服姿に歩みよった。無造作に肩にかけられたスーツのジャケットが翻る。
「大和、お前いっつも態度固いよな。そんなだからモテないんじゃないか?」
「……そういう話はいい。用件を話せ、タルト」
「きひっ。まぁ落ち着けって。せっかちな男は嫌われるよ?」
タルトと呼ばれた青年は軽く肩をすくめて微笑んだ。愉快そうに語る間にもその口調は安定する気配を見せない。腹立たしそうに眉根を寄せる大和を眺め、タルトは唐突に大きな目を細めた。
「お前に遂行してほしい任務がある」
「……っ!」
真剣身を帯びた声が低く響く。背筋を正す大和に、タルトは舞台俳優のように両手を広げながら語りはじめた。
「二択迷宮オルタナティブ。悪魔による試練の迷宮。今回はお前にそこを攻略してほしい。そうすれば、いかなる願いも叶うだろう……ってね?」
「……『デストリエルの神官』が悪魔に頼るのか?」
「アレはこの世界の悪魔じゃないからノーカン。っていうかこの世界じゃ、下手な悪魔より一般人のほうがよっぽど悪魔みたいな性根してるだろ? そこに悪魔なんて存在したらどんな惨状になるか考えてみたいと思うの?」
「……それは、確かに考えたくないな」
ざわり、と脳裏にノイズが走った。テロリストの怒号と民衆の悲鳴。小さな身体が弾丸を浴びて砕け散る光景と、重い銃爪を引く感覚。……幻覚だとわかっていても振り払えない記憶。あれに限らず、悪魔よりも腐った性根や狂った心なんて探せばごまんとあるだろう。
「でしょ? それに今回の取引はデストリエル様公認だから安心してよ」
「安心できるか。だいたい、何で俺なんだ」
「お前に頼むのが一番楽しそうだったからな」
「お前は俺を何だと思ってるんだ……」
「そうだな……相棒って答えと駒って答えならどっちが欲しい?」
無邪気に笑うタルトを眺め、肩をすくめる大和。……大神タルトはこういう人間だ。怒りも恐怖も悲しみも痛みすらも感じない故に、共感性が著しく欠如している。その無邪気な残虐性を見初められて『デストリエルの神官』のひとりとなり、かの天使に生贄を捧げる手段として殺人斡旋組織『パートシュクレ』を使っているのだ。そして大和は彼の副官を務めている……が、彼からすれば駒としか認識されていないのかもしれない。
(……いや。タルトには恩もある。とやかく言うのはやめよう)
軽く頭を振り、相変わらず無邪気に微笑んでいる彼を眺める。
「……その迷宮に挑むこと自体には異論はない。だが、そこでどんな願いを叶えればいい」
「なんでもいいよ?」
「……は?」
思わず目を見開く。何食わぬ顔で応じたタルトは、んー、と顎に手を当てながら考える。
「ほんとになんでもいいよ。オレ的にはデストリエル様の御意志に沿って動いてほしいけど、これは命懸けの迷宮攻略だからな。ちょっとはお前の希望も聞いてやらないと割に合わないでしょ?」
「……本音は?」
「余興だからどうでもいい」
「そんなことだと思ったよ」
げんなりと肩をすくめる。この神官様があんなお優しいことを言うとは思えない。むしろ傍若無人が過ぎるほうがこの青年らしいとまで思う。
……だが、願いなど急に聞かれても困る。自分のこと、タルトのこと、それにあの少女のこと。差しのべられた手を思い出し、猫に似た笑顔を脳裏に描く。
「一応確認だが、願いはひとつしか叶えられないのか?」
「当たり前じゃん。お前のインテリは顔だけか? ……まぁいいや。願いの内容は君が決めるといい。でも、デストリエル様の御意志の邪魔にならない範囲で頼むよ?」
「……ああ。わかっている」
「ならいいや」
重々しく頷く彼を見つめ、タルトも満足げに微笑んだ。……ひとつしか叶えられないなら選ばなければならない。己の罪と、彼の命と、彼女の望みを秤に載せて考える。そんな彼を愉快そうに見つめ、タルトは軽く手を振ってみせた。
「じゃ、行っておいで。君の願いが叶うように、デストリエル様に祈っとくよ」
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