第7話 ヘラクレスの門とモロッコ

 ヘラクレスの門。正確にはヘラクレスの2本の柱。門にも見えよう。

 これはジブラルタル海峡のこと。ギリシャ神話のヘラクレスが海峡の両岸に柱を立てたといわれている。

 グラナダからバスでアルヘシラスへ。アルヘシラスがジブラルタルへ行くにも、モロッコに行くにも便利な港町。アルヘシラスは日曜日には店が全部閉まる。それは嘘だが、それに近いものがある。ビールは買えたが、ワインは買えなかった。おつまみも充分なものが買えなかった。


 バスで日本人旅行者と隣の席になった。バスは指定席。多くの客がバスにいた。日本人は2人のみ。隣になった偶然に二人とも驚き、話をしながらバスに揺られた。

 そして彼と一緒にモロッコとジブラルタルへ行くことになった。


 モロッコへ行くのには2種類の方法があった。日帰りツアーに参加する方法と、アルヘシラスからモロッコのタンジェへフェリーで行く方法。アルヘシラスとタンジェ往復のフェリー代は値が張った。ゆえに私と相棒の日本人は、セウタ、ティトゥアン、タンジェと回るツアーに決めた。45ユーロ。タンジェのフェリー往復は50ユーロ以上だった。


 翌日、8時に待ち合わせ。この日は雨が降り、非常に天気が悪かった。8時に港のブースへ。そこから高速フェリーに乗り、セウタへ。30分程で到着する。ガイドと合流し、ミニバスに乗り、モロッコとの国境へ。


 セウタ。KOEIのゲーム・大航海時代をした人なら、お世話にならざるをえない有名な港。私はセウタに立ったことに、少しだけ感動していた。


 ミニバスは国境へ到着。相棒は陸路で国境を越えるのが初めてのようで、興奮していた。


 相 なんかすごい警戒だね!

 私 うーん、普通じゃないかなぁ。


 入国手続きはガイドがやってくれ、私たちはミニバスで待つだけだった。

 ガイドが戻り、バスは走り出す。モロッコの田舎道、いや、岩の荒野につくられた道を走る。風景はスペインと大差ない。

 違うのは人里に入ってから。家の形がユニークだった。なんというか、形は正確に思い出すことはできないが、独特な形をしていた。興味ある方は他のWEBサイトを参照してください。


 街の家は レンガで造った家を白く塗っている。外面はのっぺらぼうで窓がぽっかりあいている。ガラスの窓なんてない。鉄格子で内側から木戸を閉めるのだろう。屋根も白く、平ら。バザール街にはこれが密集というより家々が繋がっている。


 ティトゥアンに到着して、バザールを案内される。香辛料、果物、衣類、金属製品など日用のものが売ってある。

 モロッコの男性の外套が格好良かった。多くは灰色で、長袖。裾はロングコートのよう。特徴的なのはフードで、とんがり帽子のようになっている。つばはない。なにやら魔道士のよう。フードの先をとんがり状にせず、後方に折り倒している人もいる。ひげを生やしたモロッコ人に、それは非常によく似合っていた。


 絨毯の店に連れて行かれる。ツアーには必ずあるお買い物タイム。誰が買うものか。彼らは絨毯を何枚も広げながら、英語で話しかけてくる。何色が好きだ? これはいいものだ。私は英語をまったく話せないフリをした。日本語で言ってくれ。そういうと彼らの営業努力の矛先は相棒に集中した。私は相棒のおかげでのんびりできたのだった。


 そのあと、街で昼食を取った。食事はツアー料金に含まれている。

 モロッコ料理。クスクスとチキンと野菜を茹でた(煮た?)もの。大皿にどんと来る。味はないので、ソースをかける。これが辛いだけのソース。まぁ、美味しくなかった。

 次はオイルや香辛料の店へ。ここでも営業が始まる。いい香りのするもの、体によいというもの、様々なものを試してくれたものの、あまり面白いものではなかった。

 ティトゥアンはこれで終わり。タンジェへミニバスは走る。風景は変わらない。眠くなったので、少し寝た。


 タンジェは近代的な街に見えた。後日、タンジェに行ったという旅行者の話では、一歩路地に入るとかなりボロいと言っていた。

 私たちはツアーのため タンジェでの下車はホテルで休憩するだけだった。車窓から街と大西洋、ジブラルタル海峡を眺め、起伏に富む地形を楽しんだだけで 徒歩で街歩きをしたわけではなかった。


 ツアーが終わり、セウタ港に戻り、ガイドと別れる。午後8時のフェリーでアルヘシラスへ帰るという。2時間ほどあったので、私は一人でセウタの街を少し観光した。


 翌日、相棒とイギリス領ジブラルタルへ行った。この日は天気が良かった。バスターミナルでラ・リネア行きのバスに乗り、ラ・リネアのバスターミナルから徒歩でジブラルタルのイミグレーション(入管)へ。10分もかからない。


 イギリス領に入り、まず驚くのは飛行機の滑走路を横切ることである。民間にも軍用にも使っているという空港の滑走路は、むろん、離陸着陸時には閉鎖される。それ以外のとき、ゲートが開く。


 風が強い。遮るものがないため風がごうごうとふきぬけ、やってくる。木の少ない荒野や海上でも同じであろう。往路はまだましだった。復路、それはまさに台風だった。風に押されてよろける。まっすぐ立っていられない。そんな横風だった。


 滑走路を抜け、歩いて市街へ。1キロもないだろうか。相棒と話しながら歩いていると「メインストリート」という名のジブラルタル市街のメインストリートに出る。

 ジブラルタルは狭い。ターリクの山に登らなければ、徒歩でも回れるだろう。


 さすがイギリス領。英語の看板ばかり。スペインは英語の看板なんてほとんどない。メニューもないところがある。英語が得意なわけではないが、英語があるだけで安心する。英語が誰にでも通じるということも安心感に大きく寄与しているだろう。


 ターリクの山へはロープウェイで登る。しかし、運休。さて、どうしたものか。

 相棒と相談していると、ターリク山のタクシーツアーがあるという。25ユーロ。ヘラクレスの柱がある展望台、鍾乳洞、猿がいる展望台、第2次大戦時の要塞を回る。

 まず ヘラクレスの柱。ギリシャ神話の柱だ。私はすごく期待していた。だが、そこにあったのは かなり新しい2本の柱に支えられた ただのインフォメーションボードだった。ヘラクレスの柱と書いてある。


 なんだこれは? すごく失望した。しかし、展望台からの眺めは最高だった。陽光突き刺さる青く碧いアルヘシラス湾(?)が、鮮やかに輝いていた。何枚も写真を撮った。


 次に鍾乳洞。赤や青でライトアップされていて美しい。ある外国人が「これは危険だ」といっていた。

 私も無条件で同意した。鍾乳洞内の順路にはコウモリの糞が無数に落ちており、その爆撃にあえば大惨事である。さいわい、爆死せずにすんだ。


 猿がいる展望台は絶壁の上にあった。ターリク山の東側は絶壁なのだ。猿の糞があり、注意が必要だった。眺めはまずまず。

 このあたりから小雨が降ってきた。そして風が猛烈に強い。そのなか、要塞へ。入り口の横に展望台があった。滑走路を見下ろすと、スペインが見える。


 轟音が聞こえた。私は滑走路が見える場所に向かう。そこには離陸体勢をとりつつある航空機。それはエンジン音を引きずりながら滑走し、離陸した。

 要塞は岩山を掘ってつくってある。水が染みこんでポチャポチャ落ちる。前日、大雨が降っていたのでかなりの勢いで滴が落ちていた。要塞内は砲台あり、武器製造所あり、兵舎ありの(当たり前だが)軍事施設だった。

 そして、ツアー終了。


 観光後、私と相棒は カフェでサッカーのプレミアリーグを見ながら食事をとり、アルヘシラスに戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る